9.夏 豊嶋 希美×高橋 樹

カラン、と厨房の金属音が響く。

 油と出汁の混ざった昼どき特有のにおいが、制服に染みつく。


「先、休憩入りまーす。三十分もらっていいですよね?」


「おう。今入っとけ。あとでピーク来るぞ」


「ういー」


 食洗機の音を背中で聞きながら、休憩室の扉を押す。


 ふう……疲れた。

 学費のためとはいえ、週5とか普通に働きすぎ。

 高校生の扱いじゃない。まあ別にいいけど。


 スマホを開いた瞬間。


 ――通知、8件。


 うっわ。


 嫌な予感しかしない。


***


通信アプリ


千葉

『バイト休憩入ったらソッコー連絡頂戴!画面見つめてずっと待ってるから!!』


はい出た、テンションの暴力。


『既読ついた!!!』

『希美ー』

『のぞーー!』

『のんちゃーーん!』

『のんたーーん!!』


 なんで増やしてんのよ呼び方。


「……うっぜ。画面でもうるさいってどういうことよ。歩く騒音機め。小学校の時のあだ名で呼ぶなっての!!」


すぐ返したのに、向こうは一瞬で既読がつく。


千葉

『じゃないと無視するっしょ?

とりあえず、来週の火曜空けといて!一生のお願い!!!』


希美

『何回目の一生のお願いだよ。毎年3回はあるし。

うちに関係なくね?……バイトは定休日だけどさ……

は?千葉お前、バイト先の定休日まで覚えてんの!?』


千葉

『てへぺろ。めんごっ。

とりあえず来週火曜に

俺、希美、樹、樹の友達でカラオケ行くからーよろしくーーーー』


 勝手に決めんなよ。


希美

『はっ?勝手に決めんなし!』


既読がつくより早く返事が来る。


希美

『無視かよ。金は千葉持ちね。その日の夜ご飯も○イゼよろーー』



千葉

『( ̄ー ̄)bグッ!金はないけど払う気持ちはあるぜっ!』


 気持ちで会計できる世界線どこにあんのよ。


『とりあえずお願いね?

樹がどうしてもって言うから、俺のため思って』


 ……は?


 樹が?


 ちょっと待て。なにそれ。


希美

『は?なんで?マジ?』


千葉

『( ̄ー ̄)bグッ!』


 おい。

 それスタンプじゃん。

 答えろよ。


 ……はぁ。もう。


 休憩室の冷房がやけに強く感じる。

 暑い厨房から一気に冷えて、少しだけ腕が震えた。


(樹が、どうしても……?

 なに?どういう意味?

 まさか真奈の件……いやでも、なんでうち?)


 気になるけど、千葉から引き出せる情報はゼロ。


 こういうとこだけ犬のくせに飼い主の言うこと守らないのほんと腹立つ。


「……はぁ。面倒くさ」


でも、胸の奥がちょっとだけざわつく。


樹が何を考えてるのか。

千葉が何を隠してるのか。

そして、自分がそこに巻き込まれてる理由。


(……火曜、行くしかないか)


休憩はまだ二十分残ってるのに、なんかもう疲れた。




火曜日・当日。


「希美ーーー!迎えに来た!ってまだ家着かよー!まったりさんだなーー!」


玄関で千葉が大声を出す。うるさい。朝から元気すぎる。


「……千葉。お前、時計の読み方知ってる?今6時半。どこのカラオケ行くつもりだよ、ほんと」


「まぁ細かいこと気にすんな!おじゃましまーーーす!希美麦茶ーーー!」


「おま……ちょっと待ってて。めんつゆ薄めてくる」


「いや!麦茶!めんつゆじゃない!俺そうめんじゃない!!」


はぁ……なんでこうなるのか。とりあえず兄ちゃんが起きる前に家に入れないと本気で殺される。


「ほら、早く入って。兄ちゃん起きる前に。うちが殺される」


「オッケーー!準備、なる早でよろしくね?」


「……はいはい。着替えるから覗くなよ?兄ちゃんに助け呼ぶからね?」


「物理的抹消……!絶対見ない!見たいけど見ない!」


本当に面倒くさいやつ。

でも、この距離感に慣れてしまってる自分もどうかと思う。


そんなこんなで――。


カラオケ前。


「千葉っちー!希美ちゃん!来てくれてありがとう!今日は楽しもうね!」


樹が手を振ってくる。いつも通り爽やか。腹立つくらい爽やか。


「俺の友達来れなかったーごめんね?」


「まじかよーーー!それなら俺も希美に怒られなくて済んだのに……」


「カラオケのことは怒ってないから。朝早すぎって怒ったの」


「なんかしおらしくなーい?女の子のふりー?」


ガンッ。


「いってーーー!」


「ははは。ほんとお似合い!妬けちゃうなー」


樹のその一言で、なぜか空気が少しだけ変わった。

千葉も私も、なにも言えなくなって、なんかむず痒い。


……なにその言い方。

誰に妬いてるのよ、ほんと。



その夜。

バイト終わりでぐったりしていたところに、通知が鳴った。


通信アプリ

樹「希美ちゃん、今日はありがとう!連絡先も聞いて教えてくれたから、ほんと嬉しかった!!

今度さ……夏祭あるの知ってる?」


「うん」


すぐ返してしまった自分に、少し呆れる。


樹「んとー……2人で夏祭いかない?

もちろんエスコートするし、家まで送り届けるから」


「え? は? 別にいいけど。。」


樹「ほんとっ!! やったー!

楽しみにしてるねー! 楽しみにしてて?」


「え。うん」


そこまで喜ぶ?

なんなのほんと。

わざとじゃなくて、天然でこれなの?

どこまで王子様なのよ。


……いや、それより。


あからさまに狙われてるよね。

どう考えても、向けられてる。


真奈ちゃん、樹くんのこと好きなんだよね……。


どうしよ。

うちなんかには出来すぎだし、そもそも――

そういうの、向けられたことなんてほとんどない。


樹くんみたいなのに、もし真っすぐ来られたら……

心がもたないよ、うち。

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