7.夏 高田 真奈 × 高橋 樹

窓の外から聞こえてくる風鈴の音と、扇風機の弱い風。

 夏の夕方って、なんでこんなに胸の奥がふわふわするんだろう。


 私は自分のベッドに座って、スマホを胸の前でぎゅっと抱えた。


「ふふ…やった。私頑張ったよ。ね、真奈頑張った!

 とうとう樹くんのID…ふふふ」


 声に出た瞬間、自分で自分がちょっと気持ち悪いと思う。

 でも嬉しいものは嬉しいんだもん。仕方ない。


「なに、悪代官みたいにニヤニヤしてんのよ。気色悪いわよ?」


 ドアの隙間から、姉がじっと私を見ていた。


「ん?ちょっと借りるーーー!」


「ちょっ…!あっ!やめてーー樹くんにまだ送れてないのっ!

 文章にすると、私、真奈です。だと硬い? とか考えちゃって…!」


 私の必死な抵抗もむなしく、スマホは姉の手に吸い込まれていく。


「ふんふん。あっそう。うんうん。へーそうなんだ。」


 完全に“楽しんでる声”だ。


 やめてよほんと……私の人生かかってるんだよ、これ。


「……よし!これでオッケー!

 真奈、可愛くて優しくて頼りがいのある姉に感謝しなさい!

 送っといたから」


「ありがとう……え!? 今なんて言った?送っといたから?

 え?誰に?ねーーーー!お姉ちゃん!!

 あっ……樹くんに……」


 スマホを奪い返した私の画面には、


 送信済みの文字。



《真奈の通信アプリ》


『真奈だよー! 突然なんだけど、今度の土日空いてるかな?

 遊園地の券4枚もらっちゃって、どうかな??と思ってー

 よければ一緒に行きたいな。』



 …………終わった。


 私の初恋、終わった。


 終わった終わった終わった。

 これ、絶対お姉ちゃんの文章じゃん。元気すぎ。明るすぎ。

 “真奈だよー!”なんて人生で言ったことない。


 ベッドに倒れ込みながら天井を見た。


(もういい……夏だし……海に沈もう……)


 そのとき。


ピコン。


 心臓がひゅっと縮んだ。


 震える指で画面を見る。



樹『いけるよ。他誰来るの?

 楽しみにしてるね。ありがとう』



 ……え?


 え?


 え??


 なんで優しいの……なんで普通に受け入れてくれるの……

 なんで断らないの……

 なんで“楽しみにしてるね”なんて言えるの……?


 布団に顔を埋めながら、声にならない声が漏れた。


「……はい。お姉ちゃんは神です。女神です。真奈幸せです……」


 姉は横で腕を組んで、勝ち誇った顔で言う。


「でしょ? 女はね、最初の“勢い”が命なのよ。

 それに樹くんなら断らないと思ってた。

 ほら、返信きたんでしょ? よかったじゃん」


 なんか悔しいけど……

 全部正しいのがもっと悔しい。


 でも。


 胸の奥が、夏の夕暮れみたいにじわっと温かくて。

 涙が出そうなくらい嬉しくて。

 スマホを抱きしめたまま、私はぽつりと呟いた。


(……ほんとに行けるんだ)


(樹くんと……遊園地……)


 夏が、動き出した気がした。




 どうしよう……

 まだ火曜日なのに、楽しみすぎて寝れない。


(お姉ちゃんに、どら焼きでも買ってあげよう。

 これで……おあいこ、だよね)


 スマホの画面を胸にぎゅっと抱きしめる。

 画面の向こうで、樹くんの“いけるよ”が光って見える。


 だめだ。

 思い出すだけで口角あがる。


(夢じゃ……ないよね?)


 深呼吸をひとつして、通信アプリを開いた。


――――


《通信アプリ》


真奈

麻紀、土日、空いてない?


麻紀

日曜なら大丈夫だけど。

どうしたのーー?

恋のお悩み相談かな?


真奈

うん。

で……デート。

樹くんとお出掛け。

麻紀もきて、ついでに千葉くんも誘う。


麻紀

デートっ!?

いつから真奈そんな積極的なったの!?

千葉くんも……?

行く!絶対行く!!!

真奈ありがとう愛してる!


真奈

え? ……あ、うん。

え?


麻紀

初めてあった時に

“あ、私の王子見つけた……”

って思ったの。

内緒だからね!

うちも応援するから応援して?


――――


「……え、そっち?」


 思わず声に出た。

 なんか、私が想像してた流れと違うんだけど……?


 でも麻紀の“行く!”は本気のやつだ。

 あの子が楽しそうなら、まあ……いっか。


(……日曜日、楽しみすぎる)


 スマホをそっとベッドの上に置いて、鏡の前に立つ。

 笑顔の練習。いつもの癖。


 でも今日は、ちょっと違う。


 頬が熱い。

 自然と笑えてしまう。


「……お姉ちゃんに、香水とピアス借りようっと♡」


 だって、デートなんだ。

 初めての、“ちゃんと好きな人と行くデート”。


(わぁ……どうしよう。

 ほんとに楽しみっ)


 胸の奥が、何度も何度も跳ねる。

 夏が始まる前なのに、

 私の心だけ先に夏みたいに騒がしい。


 日曜日が、早く来ますように。



○×○遊園地。

入口の大きなアーチの前で、私と麻紀はきゅっと肩を寄せて立っていた。


「真奈ーー!待ったー?」

走ってきた麻紀が、私の服を見た瞬間、ぱぁっと顔を明るくする。


「えーー!真奈可愛い♡

 流石、私の女神ー!

 THE・真奈って感じなのに、いつもより大人だね?」


「そ……そうかな?」

胸の前で指をぎゅっと握る。

「火曜日からずっと考えてたから……そう言われると安心する……

 楽しみなのに……今は怖い……どうしよう! 麻紀!

 私、熱出て帰ったことにして……」


「はいはい出た、真奈のやつ。」

麻紀は笑いながら私の背中を軽く叩く。

「大丈夫だから。今日の真奈、可愛いよ?」


 ――その時。


「おっ! 二人とも早いね?」

樹くんが片手を上げて近づいてくる。


「俺らのほうが早く来たと思ったんだけどなー。

 二人ともめっちゃお洒落さんで……俺ら浮いてない?」


「真奈ちゃーーん! 麻紀ちゃーーん! おはよーー!」


 弾丸みたいな声とテンションで千葉くんが登場する。


「真奈ちゃん誘ってくれてありがとねー!

 樹のおまけだとしても嬉しいよー!」


 そのまま麻紀に顔を近づけ――


「麻紀ちゃんめっちゃ可愛いじゃん!

 女優さんいる!? と思ったら麻紀ちゃんだった!」


「……っ!」


 麻紀が固まる。

 そしてなぜか赤い。


「ち……違うよ!」

私は慌てて否定した。

「おまけじゃないよ!

 樹くんも千葉くんも、麻紀も……三人と行きたかったのっ!」


「…………可愛い」

麻紀がぽつりと呟く。

「……うちが? ……よし。よし今日だ。」


「まーきー?」

何が“今日”なのかはわからないけど、顔がすごく決意に満ちている。


その空気を切るように、樹くんが笑って言った。


「とりあえず行こうか?

 目いっぱい遊ぼう!」


「う……うん!!」



絶叫マシンで泣き笑いして、

お化け屋敷で麻紀が叫び、

樹くんと並んで歩く時間が、

胸の奥をくすぐる。


楽しかった。

ほんと楽しかった。


途中から麻紀が気を利かせてくれて、

気づけば二人きりの時間が増えていた。


樹くんと、

並んで歩いて、

写真撮って、

名前呼ばれて、


(……夢みたいだった)


ふふふ。

思い出しただけで頬が熱くなる。


帰宅後――

スマホが震えた。


ピコン


「今日は楽しかったよ。

 ほんとあっという間だった。

 久しぶりに全力で笑ったよー。ありがとう。

 今度ご飯ご馳走するね!」


「……ご、ごはん!?」


目が一気に覚めた。


ご飯って……デートじゃん?

やった。

また会える。

また笑える。

また名前呼んでもらえる……!


(これは……もしかしたら……脈あり!?)


「よし……お姉ちゃんにケーキ買って帰ろーっと♡」


足取りが軽くなる。

夏のはじまりみたいに。

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