葦の髄から天井を覗く

 翌年、世に出たとある文章が僅かばかり注目を集めた。その一部をここに記しこの話しを終えることとする。

 以下がその文章の一部である。





上文略。


 三澤朋美(事件時34)は看護学校卒業後看護師として働いていた。24才の時に結婚、出産。このタイミングで退職、結婚相手の実家で義理の家族との同居を始める。しかしこの義理の家族との折り合いが悪く、特にそれが顕著だったのが姑の柿沢淳子(事件時63以下柿沢)だった。三澤は次第に精神を病み自室に籠るようになる。この状態がおよそ1年半続き、育児放棄状態だった為「育児不能」とみなされ離婚。離婚後は看護師に復職し、派遣の契約看護師として各地を転々とする。長いものでも1年半程、短いと数ヶ月で契約を満了し次の勤務地へとその身を移した。規則性を見出すなら次第に南下している。勤務態度は真面目だったが人付き合いは無く、三澤のプライベートを知る者はいなかった。最後の勤務地であるK県での派遣契約を満了すると、中国旅行へ向かう。これは派遣先の同僚に話していたそうだ。中国での詳細な行動は不明。ただ浙江省へ滞在していた事が確認される。繰り返し魚類を買いに来る日本人が居たとして現地人が記憶しており、宿泊先と推測されるホテルでは大量の生ゴミが捨てられていたことを清掃員も記憶していたので同一人物だと思われる。尚、この中国滞在中に自身のスマホを破棄、何らかの方法で白ロム端末と違法SIMカードを入手したと思われる。帰国後、その足でI県にある柿沢宅へ向かい道中でスーツケースの中身を投棄。柿沢宅ではピアノ教室が行われ玄関に鍵が掛かっていない事を知っていた三澤は、下駄箱上のスマートキーで車を解錠。車内に潜む等して柿沢を待ち構え、何らかの方法で気絶させるとその身をスーツケースに仕舞う。柿沢の車をS県の山中に破棄。ここからSNSで依頼したと思われる人物の運転による移動が始まる。複数人にそれぞれ数万円で依頼しておりリレーをする形で移動したと思われるが、その経路は蛇行を繰り返すものだった。確認の取れた人物によると休憩を何度も促されたそうだ。おそらくそのタイミングで睡眠薬様の物を柿沢へ投与していたと思われる。最終的な到着地はY県N湖。高度成長期に保養所目的で建造された施設が湖畔を囲むように複数在るが、バブル崩壊後いずれも閉鎖。林道から一番離れた位置にある廃屋の二階広間へと柿沢を運び入れた。その部屋には三澤が何らかの方法で入手した医療、医薬品が数十点発見されており、その殆どに使用された痕跡があったとの事。他、三澤が買い集めたと思われる物品が数百点山と積まれていた。購入場所の特定には至らなかったが、これらの製造年からすると三澤は何年も掛け購入しては運び入れる事を繰り返していた模様。ここで行われた事の詳細は分からない。解剖により直接的な柿沢の死因は高濃度カリウム製剤の多量投与によるものだが、柿沢の体には針による刺創477(注射針、釣り針等含む)、熱傷個所3(損傷レベルⅢ度)、指骨骨折全指、頬骨弓骨折、誤嚥性肺炎、胃及び腸からのアニサキス検出27匹、継続的薬物投与、細かな物は省略しているがこれだけでも如何に陰惨な事が行われていたかが分かる。現着し突入した警察官によれば三澤は待ち構えていた素振りで「遅かったわね。待ちくたびれたわ」と言い、直後苦しみ出したそうだ。到着した救急車の中で柿沢三澤両名の死亡が確認された。現場の痕跡と解剖により両者同様の薬物で死亡したとみられる。尚、この監禁中三澤が食事や水分を摂った痕跡は無く大量の吸殻が残されているのみだった。

 容疑者死亡で幕を閉じたこの誘拐拉致監禁事件だが、強い被害妄想を抱いた精神異常者が起こした非常に自己中心的な復讐目的の凄惨な事件だと云う他ならない。三澤の行いは許し難く、第二の三澤が生まれない為にも引き続き詳細が分かり次第記事にしたいと思う。


        文︰週刊 峻鵠 ライター柿沢拓志





おわり。

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灰色の鵠は泥濘に囚われ、日陰の黄色に羽を染める 花恋亡 @hanakona

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