成長。

 近い様で、遠い様な場所。狭い様で、広い様な場所。其れは閉じ込められていた。

 何も見えぬ闇の奥底で、其れは泣いていた。


――誰か。私を見付けて。


 竹から飛び出た粘液は手桶に納まると、其の脈動は弱まった。同時に黄金の如き光が粘液を新たな姿へと変えるべく、周囲を満遍なく照らした。

 粘液は讃岐の姿から急速にラーニングしていく。情報は圧縮され、概念は再構築を繰り返す。最後に本能が、生命が最も適した道を選ぶ。

 其れは再誕と再臨を兼ねた行為と言えた。


 光が完全に消え去った時、手桶の底に横たわっていたのは、透き通る様な白い柔肌を持つ、讃岐の掌に納まる程の小さな『人』であった。


「木久代!!木久代は居るか!!」


 讃岐の声が夜の闇を裂く。掌中の赤子を優しく包み、走った。背後では、役目を終えた光る竹が、まるで最初から存在しなかったかの様に、急激に其の輝きを失い、周囲の竹と共に枯れ果てた灰色の棒へと果てて逝く。

 庵へと戻った讃岐を待ち受けていたのは、驚愕に目を見開く木久代の姿であった。


「……貴方……其の子は?」

「天からの授かり物だ。竹の中で私を呼んでいたよ。」


 讃岐の掌から此方を見る赤子の瑠璃色の瞳を、木久代は見入っていた。澄み切った其れは此の先を暗示するかの様に輝いている。そして赤子は木久代の指を全身で包み込むと、言葉に出来ぬ歓喜が木久代を満たした。


 本来なら怯え、竦み、人成らざる存在を育もうとする事など在り得ない。だが、二人の間に子が恵まれなかった長い沈黙の時間が、理性を完全に否定したのだ。


 三日が過ぎる頃には、赤子は床を這い。七日が過ぎる頃には、立ち上がり言葉を模倣し始めた。十日も経たぬ内に、竹藪で蝶を追う幼子の姿が在った。其の成長の速度は人の域を完全に超越していた。一節、また一節と伸びる竹の如く、少女への階段を駆け上がる姿は、瑞々しい生命の暴力とすら言えた。


「父様!!此れは何?不思議な形。」

「椿だ。冬を越える貴重な花だ。」

「母様にも見せて来る!!」

「ああ。行っておいで。」


 少女の無邪気な笑い声と足取りは、竹林に新たな生気を与えていた。


 そう。異変は、讃岐が再び竹林へ足を踏み入れた時、既に起こっていた。 赤子を拾ったあの場所、灰色の棒へと成り果てた竹の根元に、新たな芽吹きが見られたのだ。

 筍と呼ぶには歪な形をした其れを不審に思った讃岐が伐り倒した瞬間、硬質な音と共に中から溢れ出したのは、水ではなく、眩いばかりの『黄金』であった。


 其れは竹林周辺は勿論、集落を始めとする人の流れを歪めるには充分過ぎる劇薬であった。だが其の劇薬に惑わされる程、讃岐は若くもなければ、欲に目が眩む愚者でもなかった。


「讃岐殿。噂は真であったか。斯様な深山に、京の者共も羨む程の財が眠っていようとはな。」

「おお。長田殿。尾張に居った頃以来か。此の竹林は、私の血と汗が形を変えた物に過ぎぬよ。」


 讃岐が下級貴族として仕えていた頃の知己や、其の器量を知る者達が、黄金の放つ芳香に誘われる様に集い始めた。没落した老人に群がるハイエナの如き光景と成ると誰もが思っていた。だが、現実は違う光景を見せていた。

 讃岐は訪れる者達に黄金を惜しみなく分け与え、或るいは協力者として雇い入れた。黄金だけではない、讃岐の美徳が確かに集まる者達の心を掴んで離さなかったのだ。


 こうして地域の有力者と成った讃岐だったが、木久代を始め、竹林の管理や竹細工の商いを決して疎かにはしなかった。最早、身分など重要ではなかった。今を生きる少女の笑顔を守り、繋いでいく事。其れだけが二人を進ませる唯一の原動力だったのだ。


 富は瞬く間に積み上がり、貧しかった庵は立派な屋敷へと姿を変えた。だが、讃岐と木久代の心を真に満たしていたのは、黄金ではなく、屋敷の中を天真爛漫に駆ける少女の存在であったのは言うまでもない。

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