虚飾。
「所在は天竺か。」
「曰く、霊鷲山にて釈迦如来が手に触れたとされる器、でしたね。」
石作皇子は、思考の迷宮を彷徨っていた。自身に課されたのは『仏の御石の鉢』。天竺に在るとされる釈迦の鉢を、此の地から求めるなど正気ではない。
だが、石作皇子は此の難題の中に、ある種の暗号、或いは試されている自身の器の大きさを見た。
一行が向かったのは、遥か天竺ではなく、大和の国に在る山奥の古びた寺院であった。
「真実など、人の認識一つで変容する。姫が求めているのは、物質としての純度ではなく、私という男が、どれ程の覚悟で『真実』を鋳造出来るかという、其の一点に違いない。」
暗い堂内で、石作皇子は煤けた石鉢を手に取り、自嘲気味に笑った。其れを幾重にも及ぶ紫の布で包み込み、さも尊き宝物であるかの様な虚飾を施した。
「老僧よ。確かに此の鉢を譲り受けた。」
「構いませんが……いや、善き稔りを。其の執念が、貴殿を何処へ運ぶのか、見守らせていただきましょう。」
含みの在る老僧の発言を背に一行は山寺を去る。そして石作皇子は一番手に、讃岐の屋敷の門を叩いたのだった。装いは旅の塵に塗れ、疲れ果てた男を演じるには充分なリアリティを伴っていた。
「姫様。約束の品、天竺より持ち帰りましてございます。其の輝き、御自身の眼で御確かめを。」
広間には、讃岐、木久代、そして長田が同席していた。皆の視線が、石作皇子の差し出す紫の布に集中する。皇子が恭しく石鉢を差し出すと、鉢からは最高級の香木によって、人工的に付けられた天竺の幻想を誘う芳香が、煙の如く立ち上っていた。其の芳香は居合わせた大人達の感覚を麻痺させるには充分であった。
「石作の公。其の鉢、実に趣深い色をされております事……」
赫奕姫は、扇を僅かにずらし、其の瑠璃色の瞳で鉢を射抜いた。瞬間、姫の意思とは無関係に月の知性が介入し、
――対象物質、石英安山岩。推定加工年代、五百年以上前。備考、白檀による加香処理を確認。
――内部構造、高エネルギー反応無し。
――結論。指定された『仏の御石の鉢』との合致率、0.002%。
「……石作の公。」
「はっ。何なりと。」
「貴殿は京より南方の十市、其の更に奥に位置する古寺の床下を、随分と熱心に探索された様ですね。」
其の言葉は、石作皇子の脳髄に直接冷水を浴びせ掛ける様な衝撃を齎した。何故、行き先を、いや『床下』という具体的な探索の場までもを、此の女が知り得ているのか。
「……な、何を!?此れは間違いなく……」
「御引き取りください。偽物を堂々と真実として差し出す傲慢。貴殿は、物質の希少さを語る前に、御自身の魂の卑しさを語るべきでした。」
姫の言葉は、石作皇子の胸を貫いた。自身が用意した嘘が暴かれた事実以上に、姫の眼差しに宿る絶対的な拒絶の念に戦慄した。
赫奕姫は一切怒ってなどいなかった。しかし、あまりにも正解を知り過ぎていた。
「此の鉢からは、御仏の光が零れておりません。其れ所か、死した石の冷たさしか感じられぬ。石作の公、貴殿は私を欺こうとしたのではない。貴殿自身が、虚飾に酔いしれただけに過ぎないのです。」
石作皇子は言葉を失った。冷や汗が滝の如く背を伝い、誇らしげに掲げていた鉢が、急激に汚らしい岩の塊へと変わっていく。
「……其れは、私の誠意が足りなかったと仰るのか……」
「誠意など、最初から存在しません。在るのは、目的を達成する為の歪な算段のみ。貴方が費やした時間は……端的に言って、無意味です。」
無慈悲な宣告。石作皇子の誇りは粉々に打ち砕かれ、己が抱いていた戦意が容易に瓦解し、白日の下に晒されたのだ。
石作皇子は乱雑に鉢を掴むと、這う様にして屋敷を去った。
広間には重苦しい沈黙が降りていた。讃岐が重い口を開いたのは、竹林の斑鳩が再び鳴き始めた刻であった。
「蛍……少しばかり、言葉が過ぎたのではないか。彼の御方は蛍を慕う余りに策を講じたのであろう。」
「父様。嘘を許せば、真実は此の世から消えてしまいます。言葉を飾らず、不純を不純と明言する事こそ、最も適した選択でした。」
赫奕姫はそう告げると、再び御簾の奥へと消えた。木久代は、娘が握りしめていた扇の柄が、微かに震えていた事を見逃さなかった。自らの内に在る冷徹さが、月での孤独を思い出させていた。
其の頃、石作皇子は、屋敷から遠く離れた道端で、用意した石鉢を力任せに投げ捨てていた。鉢は地面に当たると無残に砕け、芳香の残滓だけが空しく漂った。
「化け物め……」
石作皇子の口から漏れたのは、恋慕ではなく、理不尽なまでの恐怖であった。震える手で泥を払い、二度と屋敷の方角を振り返る事は無かった。
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