精巧。

 石作皇子の敗北は、すぐさま京へと伝わった。しかし、其れは他者への警鐘には成らなかった。むしろ、次なる求婚者である車持皇子の野心に、油を注ぐ結果となった。


「石作が失敗したのは、詰めの甘い既製品に頼ったからだ。ならば私は、一から作り上げれば良い。」


 車持皇子は、密かに腕利きの職人達を召集し、京の喧騒を離れた秘密の工房へと籠もった。一団が目指すのは、霊光を放つ銀の根を持ち、茎が金、桃の如く妖しい真珠を実らせる『蓬莱の玉の枝』の製作である。

 皇子は、職人達に自らの膨大な知識を授け、細部に至るまで厳格な指揮を執った。其れはもはや工芸の域を超えていた。金銀を叩き、真珠を磨き上げる音は、昼夜を問わず工房に響き渡った。皇子は一滴の妥協も許さず、職人達の魂を籠めた錬成を強いた。


 ある日の夕暮れ。車持皇子は、恰好こそは着物に身を包みながらも、その目元には隠し切れぬ焦燥と、精根尽き果てた姿で再び讃岐の屋敷の門を叩いた。


「蓬莱の山より命を賭して持ち帰りました。」


 広間に通された皇子は、演技とは思えぬ程の切迫した疲労を漂わせていた。実際、職人達と共に地獄の如き制作の日々に身を投じていたのだ。

 差し出された箱から現れた枝は、夕闇の広間を不気味な程の美しさで照らし出した。


「嘘……」


 赫奕姫の口から漏れたのは、驚嘆であった。瑠璃色の瞳が、自動的に対象を走査し始める。視界には白い文字列が流れ、工学解析が実行される。


――結晶配列、極めて規則正しい。


――表面構造、ナノスケールの研磨痕を検出。驚異的な精度。


――内部構造、高エネルギー反応無し。神秘物特有の重力異常、非検出。


――仮定。指定された『蓬莱の玉の枝』との外見合致率、98.7%。追加の情報を要求。


 其処には、実物を一度も見た事の無い人間が、断片的な記述と想像力だけで到達した、執念という名の奇跡が結実していた。

 姫は、言葉を失った。此の偽物には、石作皇子の時の様な卑しさが一切無い。在るのは、狂おしいまでの完成度への渇望のみである。此れを拒む理屈を、姫は即座には弾き出せなかった。しかし、運命は冷酷な形で真実を露呈させる。


 突如として、屋敷の庭から激しい怒声が響き渡った。


「車持の公!!約束の報酬を頂きたい!!」

「我等六人、血を吐く思いを此の品に捧げたのだぞ!!踏み倒されて堪るか!!」


 広間に、埃に塗れた職人の一団が雪崩れ込んできた。職人達の眼に宿る断罪の火は、美しき黄金の枝すらも焼き尽くさんとする程に激しかった。


「な、何を申すか……今は大事な!!」

「知った事か!!公貴な御方である前に、筋を通さぬ者は人の道に非ず!!」


 車持皇子の顔面は、瞬時に土気色へと変貌した。職人達に強いた妥協無き導きこそが、皮肉にも首を絞める鎖へと変じたのだ。


「……何、だと? 我ら六人が……作った?」


 讃岐の声が震える。木久代は悲しげに目を伏せ、長田は腰の刀の柄に手を置いた。


「車持の公。貴殿と職人達の『業』は、実に天晴れでした。」


 姫の声は、先程までの驚嘆を捨て、極北の氷原の如き温度へと戻っていた。


「御引き取りください。品を持ち帰れなどとは言いません。対価すら忘却する焦慮こそが、貴殿の器の底を露呈させました。」


 職人達は讃岐から手厚い褒美を受け取り、勝ち誇った様に去っていった。一団の魂が宿る傑作は、一つの到達の証として職人達の志を満たしていたのだ。

 残されたのは、自身のプライドの残骸に押し潰されそうな皇子一人であった。


「私は……私は!!唯の偽物を作りたかった訳ではない!!私は、を、此の手で……」


 震える声で絞り出した言葉は、誰に届く事もなく、竹林を吹き抜ける風に消えた。


 其の後、車持皇子の姿を京で見掛ける者は居なくなった。自身への追及から逃れる為か、或いは自身の誇り高い美が俗世の金銭問題で汚された事に耐え兼ねたのか、幽谷へと姿を隠したという。だが、

 曰く、月明かりすら届かぬ深き谷の奥には、人知れず槌を振るう孤独な職人が住み着き、神業の如き工芸品を世に送り出し続けた、と。其の品物には『車持』の名は刻まれていなかったが、手にする者は皆、其の完璧な造形に月の輝きの如き悠然の美を見出したという。


 一方、屋敷の奥で赫奕姫は、職人達が去った後の静寂の中で、主人無き『蓬莱の玉の枝』と自身の掌を見つめていた。解析の結果、外見一致率98.7%。其の数字は、人間の『可能性』が神秘に肉薄した事実を示していた。

 月生人類が人間を模倣する上で、何らかの敬意を抱いている事は識っていた。形だけではない何かを用い様としているのだと、自身の記憶に刻むのだった。

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