第三章「水」

私は、そこにいた時から透明だった。

意味も、意志も、色もない。

コップに注がれるとき、

私はこの瞬間、初めて、何者かになれる。

細く、途切れず、逃げ場のない音に。


この家の蛇口は固い。

いつも、私を必要とする人は力加減を間違える。

結果、私がたくさん零れ落ちる。


コップの中は狭い。

でも、何かを満たすことに抵抗はなかった。

溢れなければ、それでいい。


机の上にコンッと置かれる。

周囲の空気が、少し冷たい。

蝶が、すぐそばにいる。

水は、何でも飲み込むし、飲み込まれる。

蝶だって、触れれば混ざれる。

けど、私たちは交わらない。


人間が近づいてくる。

この人は、いつも私を確かめる。

飲む前に、少しだけ見る。

私を疑っていることがよく分かる。

多分この人は、隠そうともしてない。

今回も、私は「不味い」と言われた。

理由は知らない。

味は、私の問題じゃないから。

でも、失望したような、見下すような目線は、私に向けられる。


今日も、私は変わっていない。

温度も、色も、成分も。

ただ、そこにあるだけなのに。


今日は、私を必要とする頻度が高いのね。

5分前に、使ったばかりなのに。

私はまた、音になった。

人間の手が伸びる。

指がコップに触れた瞬間、

私は少しだけ揺れた。


私は繊細で、柔らかくて、どんな形にもなれる。


けど、その瞬間、世界が歪んで見えた。

人間は私を口に運ばない。

代わりに、庭へ出る。

私は、指で触れられた。

地面に、たくさん垂れた。

そして、擦られた。

私は、初めて世界と繋がった。

そんな気がした。


今回の人間の顔は、初めて見る顔をしてた。

その顔は、何も表さなかった。

驚きも、失望も、不味いという真実も。

そこには何も、残らなかった。

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