第一幕5章「破壊と再構築」後編

――夜明け前(リビング)


 静寂が、世界を包んでいた。

 窓の外にはまだ夜の名残が漂い、薄青い光がゆっくりと空を染めている。

 人工灯の落ちたリビングは、かすかな冷気と、沈黙の余韻だけを残していた。


 テーブルの上に伏せたまま、セラは静かに眠っていた。

 頬に一筋、乾いた涙の跡。

 指先は、誰かの名を探すように、微かに宙を彷徨っていた。


 ――その姿を見た瞬間、エリアスの胸がずきりと痛んだ。


 昨夜の記憶が、胸の奥で鈍く脈を打つ。

 言葉の刃、壊れかけた理想、そして――彼女の涙。


 エリアスはそっと歩み寄り、膝をついた。

 机の上のランプは切れたまま。

 わずかな黎明の光だけが、セラの髪を淡く照らしていた。


 「……セラ。」


 名を呼ぶ声は、掠れていた。

 その音に、セラのまつ毛がかすかに震える。


 「……エリアス……?」


 ゆっくりと顔を上げたセラの瞳が、光を受けて揺らめく。

 その表情を見た瞬間、エリアスの胸に深い痛みと安堵が同時に走った。


 セラは彼を見つめ、目を見開く。

 エリアスの顔は、昨夜の荒れた面影をまるで感じさせなかった。

 憑きものが落ちたような、静かで澄んだ眼差し。

 それは、長い夢から目覚めた人間の表情だった。


 「……あなた、泣いてたのね。」


 セラの言葉に、エリアスは小さく息を漏らした。


 「……ああ。」


 それだけを言って、微かに笑う。


 セラの瞳から、ぽろりと涙が零れた。

 それは悲しみではなく、確かな“生”の感触だった。


 「……よかった……」


 その言葉が声になった瞬間、彼女は立ち上がり、エリアスの胸に抱きついた。

 小さな嗚咽が、彼の肩に染みていく。

 エリアスは驚いたように目を見開いたが、すぐにその腕を彼女の背に回した。

 冷たい夜気の中で、互いの体温がゆっくりと重なっていく。


 ――その時。


 リビングのカーテン越しに、柔らかな光が差し込んだ。

 夜の終わりを告げる、一筋の朝の光。

 それは静かに空気を震わせ、二人の頬を淡く染めていく。


 セラはエリアスの胸に顔を埋めたまま、かすかに笑った。


 「エリアス。」


 「……なんだい。」


 「もう一度、私たちの物語を始めたい。」


 「今度は、嘘のない姿で。」


 エリアスはその言葉に息を呑んだ。

 言葉ではなく、瞳で答えようとするように、彼はゆっくりと彼女の顔を覗き込む。


 朝の光が、二人の間に満ちていく。

 その中で、エリアスは静かに微笑んだ。


 「……ああ。」


 「君は――君なんだな。」


 セラは涙の中で微笑んだ。

 その笑みは、初めて会った日と同じ、柔らかい光を宿していた。


 二人の距離が、静かに、そして確かに縮まっていく。

 唇が触れ合う。

 その瞬間、箱庭の空に光が満ちた。


 長い夢は、終わりを告げた。

 ――そして、本当の朝が、始まった。

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