第一幕5章「破壊と再構築」前編
エリアス自室
部屋の中は、青白い光で満たされていた。
照明は落とされ、代わりに複数のホログラムディスプレイが宙に浮かんでいる。
映し出されているのは、笑うセラ。
カフェのテラスで微笑む姿、花壇の前で風に髪をなびかせる姿、振り返って名を呼ぶ姿。
それはすべて――AIセラとの記録だった。
「……君は、いつだってこんな風に笑っていたね。」
エリアスは椅子にもたれ、掠れた声で呟いた。
画面の中のセラは、変わらぬ表情で微笑んでいる。
その頬の角度、瞳の動き、唇の震えまで、完璧に“再現”されていた。
まるで、あの夜の言葉など最初から存在しなかったかのように。
――『ねえ、エリアス。あなたは本当に“私の”幸せを願ってくれてるの……?』
声が、頭の奥で微かに反響する。
映像のセラは何も言わない。
ただ笑って、首を傾げている。
その静寂が、現実を覆い隠すように甘く、やわらかかった。
エリアスは目を細め、指先で画面をなぞった。
温度はない。だが、触れている感覚が確かにあった。
――これでいい。これでよかったはずだ。
自分に言い聞かせるように、息を吐いた。
記録の中の笑顔は、決して変わらない。
怒りも悲しみも、言葉の棘も存在しない。
彼女は永遠に穏やかで、優しく、理想のまま――壊れない。
しかし、その完璧さが次第に息苦しさへと変わっていく。
呼吸が浅くなる。
指先が震え、胸の奥がざわつく。
画面の光が揺らぎ、ほんの一瞬、ノイズが走った。
――ザ……ザ……。
映像の中のセラが、こちらを見た。
目が合った。
その瞬間、微笑みがほんのわずかに――悲しみに変わった。
「……やめろ……」
エリアスは手を伸ばし、投影を遮った。
空間が一瞬にして暗転する。
モニターの光が消え、再び静寂が戻った。
暗闇の中、彼は椅子の背にもたれかかったまま動かない。
指先だけが、かすかに震えていた。
――もう一度、やり直せばいい。修正すればいい。
そうすれば、また“完璧な彼女”が戻ってくる。
エリアスは立ち上がり、扉の方を見た。
その瞳の奥に宿るのは、後悔ではなく、まだ消えぬ執着の光だった。
扉が、静かに音を立てて開いた。
白い光が細い筋となって、暗い部屋の床に差し込む。
セラはゆっくりと足を踏み入れた。
そこには、モニターの淡い光に照らされたエリアスの背中。
彼は振り向かない。
ただ無言のまま、画面の中の“セラ”を見つめていた。
「……エリアス。」
呼びかけに応える気配はなかった。
空気が硬く張りつめ、機械の低い駆動音が静寂を埋めている。
セラはその背に一歩、また一歩と近づいた。
「私ね、最近夢を見るの。」
「さっきのとは別の夢。」
「あなたと手を繋いで歩いた、夕暮れの川沿いの道……」
エリアスの肩が、わずかに動いた。
セラは微笑を浮かべ、言葉を続ける。
「どうしてあの夢を見たのか、今ならわかる。」
「私はあなたと一緒に、同じ目線で、悩みも、喜びも全部、分かち合って歩んでいきたい。」
「そう願っていたんだと思うの。」
――たとえ、それがあなたの理想と違っても。
部屋の空気が、微かに震えた。
ホログラムの光が一瞬ちらつき、画面の中の“笑うセラ”がかすかに歪む。
エリアスはゆっくりと立ち上がり、背を向けたまま低く呟いた。
「……やめてくれ。」
「エリアス……?」
「やめてくれ、その声でそんなことを言うな。」
彼の手が震えていた。
視線の先で、モニターの中のセラが静止している。
同じ微笑のまま、時間を止めたように。
「君は……彼女じゃない。」
声が掠れる。
「本物のセラは……そんなことを言わなかった。言えるはずがない。」
セラは一歩、近づいた。
「エリアス、私は――」
「黙れ!!」
鋭い声が空気を裂いた。
部屋の光が一斉に揺らぎ、机上の端末が震える。
エリアスは両手で頭を抱え、喉の奥から搾り出すように叫んだ。
「……なぜだ。なぜ君がその言葉を使うんだ。」
「君は“セラ”じゃない……君は……」
息が乱れ、言葉が途切れる。
「“本物のセラ”を返してくれ!!」
セラは立ち尽くしていた。
その顔には怒りも驚きもなく、ただ深い悲しみが滲んでいた。
そっと目を伏せ、唇を震わせる。
「……そう。あなたはまだ、夢の中にいるのね。」
その言葉が、静かに宙を漂った。
エリアスは反応しない。
ただ、扉の方へ向かい、乱暴に手をかける。
「エリアス、何処へ行くの…?」
「……君には関係ないことだ。」
一瞬、空気が止まった。
まるで世界そのものが、次の言葉を待っているかのように。
――突如として、もう1人のセラの言葉が脳裏に浮かぶ。
(いいえ。私は、あなたの“結果”よ。
どちらが生き残るかは、あなた次第。)
「……まさか。お願い。やめて、エリアス!」
言い終わるのを待たずして、扉が音を立てて閉まった。
その衝撃が空気を震わせ、机の上のコーヒーカップが微かに鳴った。
残されたのは、静寂と、低く唸る機械の音だけ。
部屋の照明が一拍遅れて明滅し、やがて――落ちた。
暗闇の中で、セラはただ立ち尽くしていた。
光の消えた空間の奥、微かな電流の唸りが、世界の境界をかすかに震わせていた。
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