悪魔と少年 2

「……サム、何、これ」

「何って、君の仇だけど」

声を絞り出したジョシュに、サムは小首を傾げて、さも当然であるかのように答えた。

ジョシュもそれはわかっていた。クルクルとした羊のような赤茶の髪の毛に、頬に広がったそばかすが一番の特徴だ。彼を笑いながら小突き回し、時折蹴り飛ばし、泥水を浴びせた男である。

それが、なぜ、椅子に縛り付けられているのだろうか。

いつも下卑た笑みを浮かべていた口元には猿轡が嵌っており、オリーブ色の目には怯えと涙が浮かんでいる。

「なんで、」

「練習台にちょうど良いかと思って」

「れんしゅう」

「そう、練習。されるのには慣れてるだろう?だから、する方に慣れないと」

要領を得ないその説明に、ジョシュは首を傾げた。しかし、多少の仕返しをして良いなら、願ったり叶ったりだった。

「殴って良いってこと?」

「何を言っているんだい?殺さなきゃ」

「は?」

聞き返す前に、サムは彼にナイフを持たせた。

ギラギラ凶悪に輝く、大ぶりなサバイバルナイフである。

真っ白な部屋に、無機質な蛍光灯、その中央に、喚く赤毛の少年が座らされた木製の椅子。そして、その正面に立つ彼自身とサム。

あまりに非常識なシチュエーションに眩暈がした。口の中がカラカラに乾いて、ツウ、と眉間から顎へ脂汗が伝った。

「俺、はじめてで」

「他の得物の方が、やり易いかな」

「そういうことじゃなくて!」

「抵抗があるってことか」

コクコクと首がちぎれそうなほど勢いよく頷いて見せると、サムは「困ったなぁ」と首に手を当てた。

「動機なら、いくらでもあると思うけど」

「けど、」

「君の家に火をつけたのは、彼だよ?」

パッとジョシュの目の前に、真っ赤な火花が散ったような心地がした。

「聞いてみる?」

サムはコッと革靴を鳴らした。流れるような仕草で椅子を蹴り飛ばし、ジョシュのナイフを「一回返してね」と手から奪って口の布を切った。

ベッドリと唾液で重くなった猿轡を吐き出し、少年はギッとジョシュを睨み付ける。

「テメェみたいなよそもんが!なんで俺を!縛って連れてきてんだ!?」

怒鳴り声に、肩が竦む。顔がサッと青くなり、こわばり、キィンと耳の奥が痛んだ。

それとは正反対に、サムの表情は凪いでいる。

「あの家に火をつけたのは、君だね?」

「俺だけじゃねえ!!命令したのはレイモンドだ、火を持ってきたのはジャック、油を持ってきたのがペロー、俺はスイッチを入れただけで、」

「だそうだよ、ジョシュ」

尚も喚き続ける少年に、ジョシュの頭はぐちゃぐちゃになっていく。怒鳴りつけられる恐怖と、悪びれもしないことへの疑問。自分以外の生物が、訳のわからないエイリアンに思えた。

ゴッホの星月夜のように頭の中が回る。

思えば、外はこんなやつばかりだった。

ギャングも、ゴロツキも、近所の人も理解できない。

理解しようと歩み寄り、笑いかけてくれたのは家族だけだったが、その家族も今はいない。

「大丈夫かい?」

心底心配そうに、サムが彼の背中をさする。

ジョシュは、縋り付くように彼を見上げた。

「サムさん、俺、」

「大丈夫、怖いのは、やっつければ良い」

「どうやって」

「わかってるくせに」

サムはクスリと笑って、ジョシュにナイフを握らせた。ズッシリと重いそれが、生物のように呼吸を伴って存在を伝えてくる。白い電球が刃にギラリと反射して、白く、強く、その意義を示している。

ひとまわり小さいその手を包み込むように握って、鋒をまっすぐ喚き立てる赤毛の少年に向けた。そのまま、首を薄く引っ掻くと、ツゥと真っ赤に血が落ちる。

しゃくり上げるような声を喉からあげて、少年は静かになった。

「ね?これを使えば、何も怖くないよ」

ジョシュの頭の中を、サムの言葉がグルグルと回る。これまでされたことが頭の中を駆け巡る。死にたいとか、なんで自分だけとか、そう思わされた、あの惨めな日々が、濁流のように頭の中で、ゴウゴウと音を立てて流れている。

かつて感じた痛みが、正常な思考を焼き切ったのかもしれない。

ジョシュは、赤毛の少年を椅子ごと蹴り倒し、腹にナイフを突き立てた。

鼓膜を殴りつけるような、絶叫が響いた。脂汗が滲み、顔面は様々な液体でグチャグチャになっている。バタバタと足を暴れさせるが、少年の顔を跨ぐようにして立つジョシュには関係ない。

腹に突き刺さったままのナイフをすぐに抜いて、その近くに再び刺す。それを何度も何度も繰り返した。次第に悲鳴が小さくなっていく。暴れる足も動かなくなり、傷跡からでる血液の勢いがなくなっていく。ギョロリと緑の瞳だけがジョシュを睨みつけて、それから少しして、虚に濁る。

彼の手から、ナイフがカランと落ちた。

頭の中が、空になった。

空気がやけに薄くなったような気がした。

体全部が心臓になってしまったような心地がする。

手足の先が冷たく震えている。

まるで、何も言えない無機物にでもなってしまったかのようだった。

「お疲れ様、おめでとう」

そんな彼の肩の上に、手が乗る。

恐る恐る振り返ると、サムは笑顔だった。

罪を犯したと言うのにも関わらず、その男は、純粋に微笑んでいたのだ。

「これでもう、何も怖くないね」

「は……?」

「だってそうだろう?」

カラカラに張り付いた喉で、疑問符を絞り出す。

サムは、力の抜けた手に、ナイフをあらためて握らせた。

「これで、君の方が強いんだから」

「そんなわけないだろ!」

掠れた絶叫が白い部屋にこだまする。

足元の血溜まりをビチャ!と踏みつけながら、ジョシュは死体を指差した。

「俺はっ、人殺しだ!これから、いろんなやつに狙われる。憲兵だ、憲兵に狙われるなんて嫌だ!」

「憲兵なんて怖くないよ。この小さな島で、1日にどれだけ死体が上がってると思う?南側のことなんて、あいつらは気にしてないさ」

「そんなの、憶測だろ!」

シンと部屋が静まり返る。

ふむ、と彼は顎に手を当てた。

それから、数秒空を見つめて、それからジッとジョシュの目を見た。

「な、んだよ」

「きみ、重いもの持つの、いける?」

「……一応。うち、本屋だったし」

「なら、良いものをあげよう。最初は難しいかもしれないけど、練習すれば、きっと使える。ジョシュは、筋が良いからね」

サムの笑みは、何も知らない人間が見れば、さも、頼りがいのある大人のそれだった。

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