スクール 1
カラリとした空気が、マリーの頬を撫でた。
夏である。
割れた窓から、青々とした草の匂いがする。
「マリィ」
ふと、死神が、ウイスキーの入った瓶を音を立てずに置いた。ざらついた声がに、彼女が本から顔を上げる。
「お前に客ァ来る」
「なんの?」
片方しかない青い目を細め、マリーの細い喉を撫でる。くすぐったげに体を揺らす彼女の髪を、長い指で乱した。真夏だと言うのに、死神は今日も真黒いフードを被っている。
窓際に置かれた小瓶が、日の光を受けてキラキラと輝いている。中には、大ぶりの銀と赤のピアスが入っていた。
白蛇のピアスである。
赤い星形八芒星が、埃の積もった床に透けている。
キャッチにこびりついていた半乾きの血は、今では黒く変色している。それを落としもせずに、大切に大切に保管しているのであった。軽く爪の先で瓶を弾くと、キィンと澄んだ音がする。腕に顔を埋めて、退屈そうに瓶を眺めていた。
ふと、外から草を踏みつける音が近づく。
死神はドアの外に目をやり、「早いな」と小さく呟いた。
それに続くように軽いノックが2回。
「ベルだけど」
若い女の、気だるげな声がした。
マリーは肩を跳ねさせ、腕の中に顔を落とす。しかし、視線は扉に向いている。
「アイ」
ガチャ、と扉が開き、修道服の女性が入ってくる。真っ白な髪を靡かせ、真夏にもかかわらず、コツ、コツと分厚いブーツを鳴らしながら、当然のように放り投げてあった椅子を立て直し、足を組んで座った。
「で、何?」
「俺のマリィだ」
ジラ、とベルは真っ赤な瞳でマリーを見た。
そして大きくため息をつく。
マリーが大きく肩を揺らす。
「おい、バカ男」
マリーは、初めて女が男を叱る声を聞いた。避ける暇なく肩を抱き寄せられ、パチパチと瞬きをする。ふわ、と漂う古書とチョークの香りに、思わず彼女を見上げた。
「見損なったんだけど」
厳しく突き放すようにベルは言った。
射抜くように鋭い眼差しに、「視線で人が殺せるなら、この人はシリアスキラーになっていただろうな」とぼんやり考える。
しかし、そんな目線を向けられたにも関わらず、死神はウイスキーの瓶に口をつけた。
無視されたのに苛立つようにベルは続ける。
「もっと節操のある人間だと思ってた」
「お前が思う関係じァねェよ、白ウサギ」
地下のような声が響いた。大きくは無い。しかし、空気は暑いはずなのに、二人は背中にナイフを突きつけられたように寒くなった。ベルはマリーを庇うように前に出る。
「お前ァガキなら用ァねェ、理性的ン考えろ。もし『そう』なら、オレァお前ォ呼ンでねェ」
彼女は舌打ちを一つして、「勝手な勘違いしてごめんね」とマリーに回していた腕を解いた。何も話について行けなかった彼女は、パチパチ瞬きをして首を横に振った。
「エド、この人は?」
「白ウサギのシスター」
マリーは、再び彼女を見上げた。
サラリと揺れる白い髪に、紙のように白い肌。紫と赤が混ざったような不思議な色をした瞳。なるほど、見れば見るほど、白ウサギのような風貌の女性であった。
「ベル・ラグーン。よろしく」
ふ、と綻ぶように微笑む彼女に、マリーは
「マリー・サンチェス」
と返して小さく頭を下げた。
それに興味なさげに、死神は琥珀色の酒を煽った。筋張った喉が上下して、唇の端を軽く手首の裏で拭った。
「マリーに学を付けろ」
「はぁ?」
心底呆れたように、ベルは眉毛を跳ね上げる。
それを無視して、死神は続ける。
「オレァ学がねェ」
「エレメンタリーに入れなよ」
「足りねェ頭で考ェろ。この島にンな上等なモンがあるか」
彼女は口を閉じた。
この島には、学校がない。
最低限の知識を、唯一になってしまった教会で付けるのである。そこで教師をやっているのが、ベルであった。計算と読み書き、簡単な理科と歴史を教える。この治安の悪い島では、教会に寄付金を贈れる富裕層のみが通える、学校代わりの唯一の場所となっていた。
「うちがどんなところか、わかってる?」
「差別か?いけねェなァ、皆罪人として平等じァねェのかよ」
死神はそう言って揺らすように喉を鳴らす。
「そういう話じゃない」
白ウサギが不愉快そうに顔を歪めた。
「頭がおかしい奴しかいないんだよ。その中にこんなまともそうな子を」
そこまで言って黙った。
頭がおかしい奴なら、ここにも居るではないか。「頭がおかしい」の擬人化、倫理観をすっ飛ばした、青い一つ目の死神が。
あどけない顔で首を傾げるマリーに目線を移し、小さくため息をついて口を開いた。
「わーったよ。けど、まずはマリーに服買ってあげな。あとノートと鉛筆も。それから聖書。一応教会学校だから」
「まァせろ」
喉を鳴らす死神に、ベルは小さくため息をつき、金色に縁取られた手紙を投げた。
「ア?」
「別件。オシゴトだってさ」
コ、コ、コ、コと低いヒールを鳴らしながら、ベルは慣れたように真っ直ぐと進んでいく。
その後ろに、物珍しげにキョロキョロと目を動かすマリーと、いつも通りにタバコを蒸す死神が続いている。
「タバコやめて」
「ア?」
訝しげに母音だけで聞き返す死神に、ベルは振り返って踵でカーペットを軽く叩いた。その眉間には、深い皺が刻まれている。
「このカーペット一枚で、この島に学校が建つ」
「知ッたことじァねェなァ……」
最高級の赤い絨毯を灰で汚す彼に、彼女は自分の首が飛ばないようにと心の中で神に祈った。
死神は、手紙の主に、この大邸に呼び出されたのである。初めて見たマリーが城と勘違いしたそこは、島の一般人なら一生見られないような高価な品物で溢れかえっていた。一眼見ただけで分かるシャンデリアに、幾何学模様の壺。白い大理石の廊下に敷かれた毛の長い絨毯は流し込んだように赤く、壁には所狭しと、有名絵画が飾られていた。
しかし、死神は鼻を鳴らし、
「センスが最悪ァな」
と一言溢して、なんの躊躇いもなくタバコに火をつけたのである。
マリーは高級な物をただ分かりやすいように並べただけのその空間に、監視されているかのような居心地の悪さを抱く。どことなく落ち着きがないことに気づいたのは、死神ではなく、ベルであった。
「分かるよ、けど、こっちをどうこうする気はないだろうからさ」
ノックはきっちり3回。
一拍おいて、音もなく重厚な扉が開いた。
地下闘技場とは全く違う、洗礼された招待が、趣味の悪い廊下と不釣り合いで、酷く歪である。
当然のように、死神はマリーの腕を引いて部屋に入ろうとする。彼女はベルを振り返った。
「一緒に来ないの」
「あたしは仲介だから」
当然のように「じゃあまたね、マリー」と手を振り、来た道を戻る。戸惑うマリーを片手に抱え、死神はゆらりと部屋へ入る。
細い音を立てて扉が閉まった。
室内は、打って変わって落ち着いた表情をしていた。白を基調とした部屋には、赤いソファが二つと、それを挟むようにして黒い机が置いてある。壁には、シックな現代アートがいくつかかかっていた。最新式の白い照明が、全体的に部屋を明るく見せている。オフィスの応接室を連想させるが、その全てがさりげなく一級品として調和している。
死神は、黙って掌をタバコの先に押し付けて消した。
「ようこそ」
機械仕掛けのような声がした。
温度を感じさせない声を発したのは、メガネをかけた艶やかな黒い長髪の女性である。マリーは、自分を地下に繋いだ神父を思い出して、小さく身震いした。
「この屋敷の主人、セリーヌ・アナベルです」
死神は目を見張る。が、声を聞いた途端、興味をなくしたのか
「エドワード・グレイ」
とそっけなく名乗った。それから、少し考えて、首と顎を軽く曲げた。
セリーヌはソファを示す。「どうぞ」と言われる前に、死神はゆっくりと腰を下ろした。ふわりと身体が沈み、丁度立ち上がりやすい場所で止まる。
「オォ……」
彼が感動したようにソファを叩くと、ボフボフと間抜けな音がした。マリーは、少し悩んで、死神の隣にチョンと座る。軽い彼女は、思っていたより沈まなかった。そして机の足を、コツンと小さく蹴った。
「こちらが契約書です」
世間話すらなく、依頼人であるセリーヌは契約書を滑らせる。
前金、達成金を合わせた多額の報酬と、部外者は入れない地下室への立ち入り許可。全面的なバックアップと、条件付きではあるが使用人を動かせる権力。
マリーは、一言呟いた。
「良すぎる」
そして、ビー玉のような瞳で、ジッと依頼人を見上げた。それを一瞥し、万年筆を差し出す。
死神は、マリーの髪の毛を乱し、低く唸った。
「目的ォ教ェろ」
「ここにある通りですが」
ガラスが爆ぜたような死神の青い瞳と、鋭利に研いだナイフのようなセリーヌの黒い瞳がかち合う。彼はカツンと爪の先で契約書を叩いた。
「窃盗被害を受けました。軍警に余計な手間をかけさせるよりも、内々で処理したい。それだけです」
「まだあンだろ」
「それは仕事に関係のある質問ですか?」
死神は一つ舌打ちをして、契約書に署名した。
署名と言うよりも、殴り書いた、の方が正しいかもしれない。雑に記されたそれは、かろうじて読めると言ったレベルであった。
しかし、女主人はそれを咎めることなく
「よろしい」
と言っただけであった。
さて、このようにして、マリーは昼間に学校へ、死神はアナベル邸に行くことになった。いつ盗人が来るか予想がつかず、いつ来ても良いようにと倉庫の扉の前で待ち伏せすることになったのである。これまで全て、一般に秘匿されていた倉庫のものが、昼間に盗まれ続けていたからだ。
この島に大きな屋敷が立つということは、碌なことをしていないということと同義である。セリーヌ・アナベルは、表向きは本土に本拠地を持つ巨大な弁護士斡旋会社である。しかし、裏では憲兵と提携を取り、犯罪者として起訴した人間の証拠捏造事業を行なっている。
一般的に言えばほめられたことではない。しかし、この島の治安を保つためには必要なことである。
そんなことを考えて、死神は頭を振り、クア、と大きくあくびをした。その様を遠巻きに警備会社の人間が見つめている。その視線に苛立つように、彼は鉄パイプと床とで音を立てた。
無性にマリーに会いたかった。
一方、そんなマリーは、学校で、言いようのない窮屈さを感じていた。
男子は彼女より年長の者が多いにも関わらず、傲慢で騒がしい。三人しかいない女子はなお悪く、クスクスと彼女を笑っていた。
「何あの子」
「ぼろぼろだよね」
「なんでここに入れたんだろう」
「お父様に言ってやろうっと」
「いいね!私もお父様に行って、追い出してもらおうかな」
「あんな汚い子、見たく無いよね」
マリーは、高い声で自分の悪口を言う女子を振り返る。女子はビクッと肩を震わせて声を小さくした。
「やっぱ変だよ」
「言いたいことがあるなら、言えばいいじゃない」
彼女は何も言わず、首を少し傾げて、ジッと三人を見つめている。
ついに黙ってしまった三人を無視して、マリーは自分の服に目を落とした。
死神が「何ァ良いンか俺にァわかンねェ」と、ぶつぶつ文句を言いながら買ってきた白いワンピースは、別に不潔というわけでは無い。しかし、所謂「お嬢さん」である彼女らと比べると、明らかに浮いていた。彼女らの肌には、一つの傷跡もない。大切にされて育ってきたのだろうと一目でわかる。しかし、マリーはそうではない。あざも傷も、しばらく治ることはないだろう。
唯一面識のあるベルは、目を伏せたまま、黒板にチョークで数式を描きながら教科書の説明をしている。邪魔をするわけには行かなかった。
「おい!」
紙クズが頭にポンと当たる。
投げてきたのは、鼻の下を擦る、良いところのお坊ちゃん風の男子だった。
「お前を子分にしてやる!サッカーするぞ!」
マリーは少し考えて、首を縦に振った。
健全な子供は、外で遊ぶのを好むものと、何かの本で読んだからだ。
しかし、彼女にそこまでの体力はなかった。
十分な食事をとっているとはいえ、元気盛りの少年に混ざって駆け回ることはできない。それを、ケラケラと笑いながら、わざとボールを渡してくるのだ。
馬鹿にされていたと気づいたのは、その日の夜である。
マリーはそれから、同年代と会話をするのをやめた。幸い、聡明な彼女は大人に好かれるタイプだ。無言で図書館に引きこもり、ひたすらに辞書を読んでいた。そんな彼女を、子供たちは一層囃し立てた。
「エド……」
ガチャン!と音を立ててドアが開いた。
きゅうりを見た猫のように肩を跳ねさせた彼女に、わらわらと少年が集まってくる。
「いた!」
「チビ!フットボールするぞ!」
「は?サッカーだろ!」
「どっちでもいいじゃん」
口々に話す彼らに、マリーはチラリと目線だけを流す。
「他の子、誘えば」
少年たちは顔を見合わせ、一拍置いてゲラゲラと笑い出した。手やお互いの肩をバシバシ叩いて、腹を抱えて。
彼女は眉間に皺を寄せる。
「あいつら、やらーねだろ!」
「服汚れるしな」
「お前より動けないし!」
「人数足りねえんだよ」
「ま、待って」
本を本棚に押し込むマリーの腕を掴み、少年は彼女を外へと引っ張り出した。
太陽が眩しい。
死神が適当に買ってきた白いワンピースが、青空の下で飜る。
「お前が一番マシなんだよ!」
あまり話さなくなってしまった、保護者代わりの男の名前を、口の中で静かに呼んだ。
少年たちは、どこまでも無邪気で、明るい存在。生まれに恵まれ、これから腹芸を知っていくにしても、まだ何も考えずに笑っていられる。
しかし、マリーはどうだ。
地上から地下へ転落し、今はその狭間で揺蕩っている。
「チビ?早く来いよ」
「用事、思い出した」
「はぁ?」
「明日は来るんだよな!?」
「仲間に入れてやるから、明日も来いよ!」
言葉が、針のようだった。
どうしてもそこに居たくなくて、マリーは何も言わずに外へ出た。毎日通る道であったから、どこに何があるかはハッキリ覚えている。
どうしても一人になれる場所へ行きたかった。
どうして自分はああなれなかったのだろうという思考だけが、頭の中で渦巻いている。
青々とした茂みに囲まれた公園にたどり着いた彼女は、唯一の遊具であるブランコに腰掛けた。
キィ、と細い音がする。
地面には、黒々と影が落ちていた。
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