第4話「アポカリプト」
深夜24時、GEOの青白い看板が闇に浮いている。
ここは、文明が「消費」という名の安楽死を遂げつつある現代の吹き溜まりだ。
棚に並んだプラスチックのケース、その無機質な背表紙の列を眺めながら、私はメル・ギブソンの『アポカリプト』を手に取る。
この映画は単なる「マヤ文明の崩壊」を描いた残酷劇じゃない。これは、私たちが「進歩」と呼んでいる病に対する、もっとも凶暴な処方箋なんだ。
1. 「文明」という名の巨大な内臓
冒頭の引用——「巨大な文明は、内部から崩壊しない限り、外から征服されることはない」。
これがすべてだ。映画の中で、都市は神に捧げる血を求めて狂奔している。だが、それは残酷さゆえではない。「恐怖」を制御できなくなった文明が、その恐怖を鎮めるためにシステムの回転速度を上げすぎた結果なんだ。
今の私たちも同じだ。スマホの通知に追い立てられ、効率という名の神に時間を生贄として捧げている。あの映画の石灰にまみれた奴隷たちと、満員電車で青白い顔をしている僕たち。どちらがより「野蛮」かなんて、答えるまでもないだろう。
2. 恐怖を「再定義」する孤独
主人公のジャガー・パウは、一度すべてを奪われ、死の淵に立たされる。
そこからの彼は、もはや「文明の被害者」ではない。彼は**「森の一部」**に戻るんだ。
• 文明的な恐怖: 自分がシステムから脱落すること、名もなき群衆の一人として処理されることへの恐怖。
• 根源的な恐怖: 目の前の捕食者と対峙し、生きるために殺すという純粋な生命活動。
彼が泥にまみれ、「私の名はジャガー・パウ!ここは私の森だ!」と叫ぶとき、彼はニーチェが言うところの「超人」に近い場所に立っている。既存の価値観が崩壊した場所で、自分自身の法(森の掟)を再構築したからだ。
3. 24時のGEOで見失うもの
映画のラスト、スペインの帆船が現れる。
それは「もっと進んだ文明」の到来だが、同時に「もっと巨大な崩壊」の始まりに過ぎない。私たちは、より高度なシステムに取り込まれることを「救済」だと勘違いして生きている。
深夜のレンタルショップに漂うこの静寂は、何かに守られている安心感ではなく、ただ「飼い慣らされている」だけの沈黙じゃないのか。
結局、私たちはジャガー・パウのように森へ逃げ込む勇気を持てない。だから、深夜にGEOへ来て、誰かが命懸けで生きる物語を100円やそこらで借り、自分の生命力が摩耗していくのを誤魔化しているんだ。
【了】
哲学、深夜24時のGEO 不思議乃九 @chill_mana
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