第3話「ノベルゲーム」

深夜24時。GEOの自動ドアが、死んだ魚の眼をした私を迎え入れる。あの、冬の夜気と古いプラスチックが混ざり合ったような、乾燥した無機質な空気。肺の奥にこびりつくその匂いを吸い込むたび、私は自分が「消費」という名の儀式に加担する一介の受肉した装置であることを自覚させられる。


棚に並ぶのは、美麗なイラストと美辞麗句で着飾った「ノベルゲーム」の亡霊たちだ。連中は、私を甘やかそうとしてくる。ただ画面をタップし、受動的な快楽に身を任せれば、最高の感動を提供してやると囁きかけてくる。だが、私にとってその行為は、咀嚼を禁じられたまま栄養剤を流し込まれる家畜の苦痛に等しい。


私が欲しているのは、そんなスマートな「鑑賞」ではない。もっと、指先がひりつくような、肉体的な「関与」だ。

たとえば、あの忌々しくも愛おしい「総当たり」という苦行。画面の隅に転がっている、ストーリーには1ミリも寄与しない灰皿や、背景の窓ガラス。それらに対して「調べる」というコマンドを執拗に叩きつける。反応は「特に変わったところはない」という無味乾燥な定型文かもしれない。だが、その虚無を指先に感じるとき、私は初めて「壁」に触れているのだ。


ノベルゲームという名の滑らかな坂道を転げ落ちるだけの体験に、指紋の跡は残らない。それは、他人の夢の残滓を網膜に焼き付けているだけで、私の筋肉は一滴の汗もかいていない。対して、総当たりのADVはどうだ?


同じキャラクターに、十回、二十回と話しかける。相手が同じセリフを繰り返すその瞬間、プログラムの「継ぎ目」が露わになる。その継ぎ目に指を突き立て、こじ開けようとする執念。進展のない閉塞感に苛まれ、コントローラーを握る手のひらがじっとりと汗ばむ。その不快感、その焦燥こそが、私がその世界という「異物」と格闘している唯一の証拠なのだ。


人はそれを「テンポの欠如」と呼ぶだろう。効率を愛する連中なら、攻略サイトという名の地図を片手に、最短距離でゴールへ向かう。だが、私に言わせれば、それは自らの肉体を放棄したも同然の行為だ。迷い、足掻き、無意味なクリックを数千回繰り返した果てに、ようやく物語が1ミリだけ動く。そのとき、私の指を伝って脳に響く微かな「クリック音」は、もはや単なる電子音ではない。それは、私が世界の心臓を一拍分、無理やり動かしたという打突音なのだ。


深夜のGEOで、パッケージの裏面を指の腹でなぞる。このビニールの冷たさ、硬さ。中身の物語がどうあれ、今、私の皮膚はこの「物質」を捉えている。ノベルゲームという「透明な完成品」には、私というノイズが介入する隙間がない。私は、物語を裏切りたいのだ。作者が想定した「感動」という名のレールを脱線し、わざと間違った選択肢を選び、無駄な行動を繰り返し、開発者が舌打ちするような「停滞」をこの世界に刻み込みたい。


何も起きないことを確認するために、ボタンを押す。その「無駄」の集積だけが、私という「個」を、情報の奔流から繋ぎ止めてくれる唯一の錨(いかり)なのだ。


……ああ、喉が渇く。この、思考の泥沼に足を取られている感覚そのものが、私にとっての「遊び」なんだ。


【了】

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