エピローグ
エピローグ
朝の光は、カーテンの隙間から控えめに入ってきた。
強すぎず、弱すぎず、ちょうどいい。
「……朝か」
凛は、布団の中で小さく呟いた。
目覚ましは鳴っていない。
でも、もう自然に目が覚める。
床に足を下ろすと、ひやりとした感触が伝わる。
それでも、昔みたいに不安は広がらない。
「……寒いけど」
悪くない。
キッチンでケトルに水を入れる。
水の音が、ちゃんと聞こえる。
止まらない。
途切れない。
「……これだけで、嬉しいな」
火をつける。
小さな音。
すぐに湯気が立ちのぼる。
マグカップを両手で包むと、
指先にじんわり熱が移ってくる。
「……あったかい」
窓を少し開けると、
朝の空気が入ってきた。
遠くで、車の走る音。
誰かの生活の気配。
「……世界、今日も普通だ」
その“普通”が、
どれほど尊いかを、
凛はもう知っている。
テーブルの上のスマホが、軽く震えた。
「……ん?」
画面を見る。
《Good morning, Rin. Are you available today?》
「……朝から元気だな」
そう言いながら、
凛は口角を少し上げる。
「……後で返そう」
急がなくていい。
選べる。
それが、何よりの自由だった。
洗面所で顔を洗う。
水が、ちゃんと冷たい。
「……よし」
鏡の中の自分を見る。
派手じゃない。
でも、目が落ち着いている。
「……私、ちゃんと生きてる」
小さく、そう言った。
ノートPCを開く前、
凛は椅子に腰を下ろし、少しだけ考える。
「……もし、あの時」
タワマンを追い出されて。
家族に切り捨てられて。
婚約者に裏切られて。
「……もし、立ち止まってたら」
今は、ここにいなかった。
「……でも」
凛は、首を横に振る。
「……立ち止まらなかった」
それだけだ。
誰かに勝とうとしたわけじゃない。
復讐しようとしたわけでもない。
「……生きるのに、必死だった」
ただ、それだけ。
PCを起動する。
いつもの画面。
いつものログイン。
「……おはよう」
誰に言うでもなく、呟く。
メールを一通、開く。
《We’d like to proceed with you as the lead.》
「……了解」
短く返信する。
《Yes. Let’s move forward.》
送信。
「……はい、決まり」
凛は、背もたれに寄りかかる。
「……あの人たち」
ふと、思い出す。
弟。
両親。
元婚約者。
「……今、どうしてるんだろ」
少しだけ、考えてから、
すぐにやめた。
「……もう、関係ない」
それは冷たさじゃない。
境界線だ。
「……私は、私の人生を生きてる」
窓の外で、鳥が鳴いた。
高い声。
短い旋律。
「……いい朝だね」
凛は立ち上がり、
部屋を見回す。
派手な家具はない。
でも、すべて自分で選んだもの。
「……この部屋」
「……好きだな」
小さく笑う。
「……静かで」
「……安全で」
「……ちゃんと、私の場所」
椅子に戻り、
キーボードに指を置く。
「……さて」
深く息を吸って、吐く。
「……今日も、やろうか」
その声には、もう震えはない。
ざまぁは、叫ばない。
ざまぁは、殴らない。
「……生き残ること」
「……自分の足で、立ち続けること」
それが、
いちばん静かで、
いちばん確かな、ざまぁ。
凛は、画面に向かって微笑んだ。
物語は終わった。
でも、生活は続く。
今日も。
明日も。
凛は、
自分の人生を、静かに更新し続ける。
『タワマン追放されたので、静かにコードで世界を獲ります』 春秋花壇 @mai5000jp
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