第8話|真実の露呈
第8話|真実の露呈
雨音は、窓に当たるときだけ存在を主張した。
それ以外の時間、部屋は驚くほど静かだった。
「……静かだな」
凛は、キッチンで湯を沸かしながら呟いた。
ケトルの小さな唸り。
湯気の白。
それだけで、世界がきちんと回っていると分かる。
スマホが震えた。
「……また?」
画面を見る。
知らない番号。
出るかどうか、少し迷ってから、通話ボタンを押した。
「……はい」
『凛……』
母の声だった。
いつもより、ずっと掠れている。
「……何か用?」
『……大変なことになった』
凛は、マグカップをテーブルに置いた。
底が、軽く鳴る。
「……そう」
『そう、じゃないのよ』
「……じゃあ、何」
一拍置いて、母が言った。
『妊娠……してなかった』
その言葉は、拍子抜けするほど、軽く落ちた。
「……ああ」
『……ああ、じゃないわよ!』
母の声が、急に大きくなる。
『嘘だったの!』
「……知ってた」
『え……?』
「……最初から、違和感あったから」
母が、息を呑む音。
『じゃあ、なんで……』
「……どうでもよかった」
沈黙。
雨音が、少し強くなる。
『美咲が……』
「……元婚約者、ね」
『あの子が、あなたを追い出すために……』
「……言わなくていい」
『凛!』
「……もう、聞かないって言ったでしょ」
母の声が、震える。
『お父さんが、怒鳴って……』
「……そう」
『悠斗も……』
「……選んだんでしょ」
母は、しばらく黙っていた。
その沈黙の向こうで、誰かが泣いている気配。
『……戻ってきなさい』
その一言が、雨音よりも重く落ちた。
「……戻らない」
即答だった。
『でも、家族が……』
「……家族は、私を捨てた」
『そんなつもりじゃ……』
「……結果が、すべて」
凛は、窓の外を見た。
濡れたアスファルトが、街灯を映している。
「……私は、もう、振り返らない」
『凛……』
「……怒ってない」
それは、本当だった。
「……ただ、終わっただけ」
母の嗚咽が、受話器越しに伝わる。
『……あなたは、冷たい』
「……違う」
凛は、静かに言った。
「……私は、生きてる」
「……やっと」
通話を切る。
部屋に、雨音だけが残った。
「……嘘、か」
小さく呟く。
「……あんな理由で……」
胸の奥が、きしりと鳴る。
でも、怒りは湧いてこなかった。
「……遅すぎたんだよ」
ノートPCを開く。
新しいメッセージ。
《Contract extension proposal》
「……現実は、前にしか進まない」
椅子に座り、背筋を伸ばす。
その頃――
凛の知らない場所で。
「なんでだよ!」
父の怒鳴り声。
割れるような音。
食器が床に落ちる。
「嘘だったのか!」
「だって……!」
美咲の泣き声。
「追い出さないと……!」
「姉ちゃんのせいじゃないだろ!」
悠斗の声は、弱かった。
「全部……全部……」
母の泣き声。
その家は、もう、元の形を保っていなかった。
でも――
凛は、その音を聞かなかった。
「……集中」
キーボードに指を置く。
雨音が、リズムになる。
「……私は、ここにいる」
過去は、崩れていく。
勝手に。
音を立てて。
「……振り返らない」
凛は、画面に向かって言った。
「……私は、前だけを見る」
コードが、静かに走る。
嘘は、崩れる。
でも、積み上げたものは、残る。
凛の世界は、もう、
誰かの嘘で揺れる場所じゃなかった。
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