第6話|コードは嘘をつかない
第6話|コードは嘘をつかない
何時間、画面を見続けているのか分からなかった。
ネットカフェの個室。
薄い壁。
エアコンの乾いた風。
目の奥が、じんじんと熱を持っている。
「……まだ、落ちない」
凛は、モニターに映るログを睨んだ。
赤い文字列が、蛇の群れみたいに流れていく。
「……ここ……」
マウスを握る手が、少し痺れている。
コーヒーの味は、もう分からない。
「……七十二時間、か」
小さく呟く。
喉が、ひりついた。
仮眠は、十五分ずつ。
椅子にもたれて、目を閉じて、すぐ起きる。
夢は見ない。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる。
「……コードは、嘘つかない」
通話は、ずっと繋がったままだ。
『Rin, are you still there?』
「……いる」
声は、掠れていた。
『You should rest.』
「……今、止まれない」
『We’re watching the metrics.』
「……見えてる」
画面のグラフ。
下がって、持ち直して、また揺れる。
「……ここが、山」
指が、自然と動く。
「……ここ、切る」
「……いや、残す」
独り言が増える。
言葉にしないと、思考が溶けてしまいそうだった。
隣の個室から、誰かのいびき。
遠くで、ドリンクバーの氷が落ちる音。
「……世界は、普通に回ってるんだな」
凛は、苦笑する。
「……私だけ、止まってる」
でも、止まれなかった。
ログ。
設定。
再起動。
検証。
「……きた」
グラフが、ゆっくりと安定する。
「……落ち着いた」
肩から、力が抜けた。
『Payments are stable.』
「……よかった」
『You did it.』
通話の向こうで、誰かが拍手する音。
『Rin, this is unbelievable.』
「……仕事、ですから」
『We had three engineers before you.』
「……」
『None of them could fix it.』
凛は、キーボードから手を離した。
指先が、じん、と痛む。
「……それでも」
声は、低く、静かだった。
「……私は、やった」
『We want to make this official.』
「……?」
『Long-term contract.』
一瞬、言葉が理解できなかった。
「……長期?」
『Yes.』
『And we’ll triple your rate.』
「……三倍?」
喉が鳴る。
『Full remote, of course.』
凛は、椅子に深くもたれた。
「……条件、良すぎません?」
『Because you’re worth it.』
その言葉が、胸の奥に、真っ直ぐ落ちた。
『There is no replacement for you.』
「……」
一瞬、目が熱くなる。
「……ありがとうございます」
声が、少し震えた。
通話が切れる。
凛は、しばらく、何もせずに画面を見つめていた。
「……終わった」
身体が、急に重くなる。
「……生きてる」
手を伸ばして、スマホを見る。
契約書。
報酬額。
「……月、百……?」
数字が、現実感を失う。
「……ネットカフェで、何してんだろ、私」
ふっと、笑った。
「……いや」
椅子から立ち上がると、足がふらついた。
「……ここから、だ」
洗面所で、顔を洗う。
冷たい水が、皮膚を刺す。
鏡の中の自分は、
目の下にクマがあって、髪も乱れている。
「……ひどい顔」
でも、目だけは、死んでいなかった。
「……大丈夫」
凛は、鏡に向かって言った。
「……私は、仕事で、生きてる」
個室に戻り、スーツケースに寄りかかる。
「……もうすぐ、出られる」
ネットカフェの夜。
狭くて、安っぽくて、落ち着かない場所。
「……でも」
ノートPCに、そっと手を置く。
「……私を、繋ぎ止めてくれた」
コードは、正直だった。
努力も、時間も、集中も。
「……嘘、つかなかった」
凛は、ゆっくり目を閉じた。
「……次は、ちゃんとした部屋、探そう」
小さく、そう呟いて。
世界は、まだ眠っていた。
でも、凛の人生は、確かに動き出していた。
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