【1年 4月-13】愛情表現

 家に帰ると、制服姿のままの綾菜がリビングでゲームをしていた。そう言えば春休みに綾菜がやっていたRPG、まだクリアしていなかったっけ。


「遅かったね、どんな用事だったの?」


 綾菜には後で説明するとメッセージしただけだ。さて、どこまで説明しよう。採用されたら若色さんと同じ職場で働くと言うと、綾菜と若色さんの仲がまた微妙になったりしないかな。


「……もしかしたら、俺、バイトすることになるかも」

 

「はあ?」


 綾菜がコントローラーをソファーの上に置いた。いや、半分叩きつけた。


「そんなこと、これまで一言も言ってなかったじゃん。どうしたん、急に? どこで?」


「いや、まだ採用かはわからないんだけどね。実はネットで調べてたら、良さそうなのがあって、さっき面接してきた。明日合否がわかる」


 俺は咄嗟に嘘をついた。若色さん経由だと今バラしたら話が余計にややこしくなりそうだと思った。ずっと隠すつもりはないけれど、しばらくは隠しておこう。


「で、どこ?」


「まだ言いたくない。不合格かもしれないし、すぐクビになるかもしれないから。それは男心としてわかってほしい」


「……まあ、わかるよ。と言うか、けんこーはバイトする必要なくない? 本気を出せば親孝行しながらニートできるレベルなのに」


 親孝行ニート。一般人には成り立つはずのない矛盾語法(オクシモロン)も、金の力があれば実現可能なのだから、世の中は不条理だ。


「でも、働いている人にとってのお金の価値は体感しておくべきだと思うんだよ。それに漫画のプロジェクトもあるから、長期間やるつもりはないよ。あんまり短いのも駄目だと思うけど」


「ふーん。……ね、そこってあたしも働けるかな」


 うーん。最近の綾菜のこのグイグイくる感じ、本当に苦手だ。


「そこはいきなり高校生の新人2人は無理だと思うし、無理じゃなかったとしても俺が無理。仕事は仕事として割り切ってる人とじゃないと働きたくない」


「ちゃんと仕事は仕事として割り切って考えてるよ」


「それは嘘だろ。じゃあ俺と同じ職場である必要ないじゃん」


「……」


 綾菜が怒っている。俺が丹精込めて作ったケーキがあったらそれを俺の顔に投げつけるレベルで怒っている。


「とりあえず飲み物用意するよ。何飲む?」


「そうやって機嫌取ろうとするの嫌い」


「ご機嫌取りじゃなくて、綾菜に飲み物がなかったから。家のお客さんに聞いてるだけだよ」


「……じゃあアイスココア。濃いのね」


「了解」


 難易度が高いのを選んできた。これ、下手すると何杯も作らされるぞ。

 とりあえず常識の範囲内で限界まで濃いめにして、綾菜に渡した。


「うん、まあ、おけ」


 よかった。アイスココアを作っている間に、綾菜も少し頭が冷えたのかもしれない。


「けんこー、あのさ……」


「何?」


「あのさ……。うーん」


 ゲームのBGMが延々とループしている。ちらっと振り返ってテレビを見てみると、主人公が暇そうに背伸びをしていて可哀想だ。俺はテレビをミュートにした。


 しーん。


 綾菜は何も言い出さない。


「俺がバイトについて相談しなかったのはさ、反対されるとも思ってなかったと言うか、相談するようなものだという認識がなかったんだよ。そこは好条件だったから俺の中では面接に行く一択だった」


「そうじゃなくてさ……」


 と言ったきり、また綾菜が黙り込む。


「……ごめん、綾菜が何が言いたいかわからない。俺がバイトするのは俺が成長する良い機会だと思うし、俺は応援してほしいと思ってるんだけど」


「そうだね、ごめん。応援する」


 なーんか、すっきりしないな。


「言いたいことがあるならはっきり言ってほしい。ごめんけど、俺は馬鹿だしコミュ障だし、そういうの察せないから頼むよ。このままだとモヤモヤする」


「……」


 綾菜は俺を見ようとせず、テーブルの上のアイスココアの入ったコップをただ見つめている。


「……最近のあたし、ウザいと思ってる? 今も含めて」


「……」


 即答できない。何と言えば正解なんだ。


「漫画プロジェクトも、あたしを切るかもって言ったり、今日のお昼もさ。あれはあたしが悪いんだけど」


「若色さんは気にしてなかったよ。俺の考え過ぎだった。ごめん。あと、プロジェクトについては、林さんに怒られて反省してる。切るんじゃなくて、どうやったら綾菜が参加できるようになるか、林さんと話し合うべきだったと思う」


「……で、あたしについて、どう思ってる?」


「それは……。ウザいんじゃなくて、戸惑ってる。綾菜のしたいことがわからないから、俺はどうしたらいいのかわからない。察するとか配慮するとかは俺には無理だよ」


「……。本当はバイトやらないでほしいっていうのも伝わってない? 言わなきゃわかんない?」


「それはわかるけど、何でやらないでほしいのかわからないから、やらないとは言えない。面接したのにキャンセルとか、理由もなしに他人に迷惑はかけられない」


「頼みごと、『バイトやらないで』にしたらどうする?」


「本気で言ってる? 俺の成長する機会を潰したいってこと? ちょっとそれは……俺には悪意にしか思えないから、承諾できない。結婚とは全然質が違う」


「……」


 綾菜は、怒っているのか、泣きそうなのか、あるいはその両方だ。


「どうせ結婚も嫌でしょ。自分でもわかる。めんどくさいよね、こんな女」


 ……。


 これは『嫌じゃないよ』と言わせて、自己肯定感を保ちたいだけのように思える。相手のことを思いやらない、自分のためだけの、魔女の言葉だ。


 これまでの綾菜の行動全て、お金を持っている男に好かれて自己肯定感を得たかっただけなのだとしたら、辻褄が合ってしまう。


 自分に都合の良いオモチャを手放したくないから、バイトをさせたくないし、結婚の話もチラつかせる。気を引くような態度や行動で、獲物の心を弄ぶ。そんな魔女の行動原理で動いていたように思えてしまう。


 ……考えたくなかった。


 そんなわけないって思いたい。


「あのさ。俺が結婚したいと思うような女性は、俺がその女性を好きなのはもちろんだけど、それに加えて『俺のことを愛してくれる女性』だよ。他にも細かい条件はあるけど、一番の条件はそれ」


 ——魔女は、嫌だよ。


「面倒臭さが愛から来てるなら、俺はいいんだよ。嬉しいし、じゃあ自分はどうしよう、どうすればいいだろう、って思える。逆に面倒臭さが全くないなら、俺に興味ないのかとも思ってしまうだろうし。……でもやっぱり、俺が成長することは応援してほしい。それが愛じゃないかと俺は思う」


「……うん。ごめんね。応援するよ」


「ありがとう。……あ、でも、愛情表現が頭突きだったら、ちょっと結婚生活は難しいかもね。綾菜がもしそうだったら、結婚3年目ぐらいで、『あれ? これちょっと無理かも』とはなると思う。頭突きじゃなくて尻突きなら、痛くないからギリ耐えられそうだけど」


 綾菜は少し笑って、アイスココアを一気に飲み干した。

 なんとなく何かが吹っ切れたようだ。


「……けんこー。ちょっと首見せて」


「首? うん」


 綾菜の前に座って背中を向ける。


「なっ」


 首に軽い衝撃が来た。


「『手突き』やってみた」


「それ手刀じゃん。恐ろしく速い手刀。見逃したけど」


「へへへ」


「あのさ。今、このシチュエーションに最高に合う言葉を思いついたから、言いたい。言わせて」


「なに?」


「突きが綺麗ですね」

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宝くじで10億円を当ててから幼馴染の様子がおかしい 沢尻夏芽 @natsume_s

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