【1年 4月-12】よもや、よもやだ

 今日は水曜日。綾菜の弁当を食べる『hump day』だ。


 昼休み、どこで食べるか聞き忘れていたので、いつもの漫画文芸部の部室に行くかどうかLINEしようとしたら、綾菜が自分の水筒を持って教室に来た。


「若色さん、昨日はどうも〜。若色さんがあんなに発想力あるの知らなかった。クリエイターに向いてそう」


「いやいやそんな。あれはマキくんの話が元にあったからだよ。あ、今日は白駒さんのお弁当をふたりで食べるの?」


「そうそう。あ、この席空いてるかな?」


 俺の前の席……えー、ホン、ホンダ……。


「あ、この席の本間くんはいつもお昼は別のところに行ってるよ。彼女がいるみたい」


「じゃあ、座らせてもらおうかな。一緒に食べよ」


 計画通り。


 昨日の一件で、若色さんと綾菜の間の氷は溶けたようだ。


「いいな〜、手作りのお弁当。私なんていつもコンビニのお弁当ばかりだから」


「いいでしょ〜。私のは手間暇かけて、愛情たっぷり入ってるんだから」


 これは。


 うーん。


「綾菜、やっぱり漫画文芸部の部室でふたりで食べよう」


 俺はロッカーから保冷バッグと自分の水筒を取り出した。


「え、何? 愛情たっぷりとか言ったから照れちゃった? まあいいけど。ごめんね、若色さん」


「お熱いね〜。ごゆっくり」


   ◇ ◇ ◇


「ちょっと、速いよ」


 廊下に出てから、綾菜に怒られた。


「ああ、ごめん」


「そんなに照れなくてもいいのに。あたしは若色さんとご飯食べたかったよ」


「……」


 言うべきなのかな? ……うん、言うべきか。


「ごめん、これは、俺の考え過ぎかもしれないんだけどさ……。なんて言えばいいかな……」


「なに? そんな深刻な顔して。なにかあった?」


「世の中には『愛情たっぷりの手作り弁当』が望めないような家庭もあるじゃん。若色さん、いつもコンビニ弁当なんだよ。それに若色さんの普段の雰囲気を考えると、もしかしたら、と思って」


「ああ……」


「考え過ぎかもしれないよ。でも、もし俺の勘が当たってたら、あのまま俺らがイチャイチャして『愛情たっぷりの手作り弁当』食べてたら、よくないかな、と思って。コンビニの弁当が美味しくなくなるよ」


「……。そうだね……」


「それが俺の考え過ぎだったとしても、『愛情たっぷり』とかそういうのは、ふたりきりのときだけにしてよ。一昨日、林さんと食べたときも思ったけど、人前ではもっと普通にしてほしい」


「……そっか。ごめん。あたし、おかしかったね」


「俺もごめん。コミュ障だから、リアクションがよくわからなくて」


 本当はこれ、どっちが悪いんだろうか。やっぱり、客観的に見て自分を評価してくれる人って、必要なんだな。ぼっちはよくない。


 それから俺は冷えた空気を取り戻すべく、うまい、うまいと連呼しながら綾菜と弁当を食べた。よもや、よもやだ。


 若色さんの様子が知りたかったので、なるべく早めに食べた。綾菜は表面上は普通を保っていたけれど、内心はわからない。


   ◇ ◇ ◇


 俺が教室に戻ったとき、若色さんはまだ食べ終わっていなかった。ひとりで食べているのに。


「あれ、早かったね」


「うまくてガツガツ食べてたら、すぐ終わっちゃった。……あのさ、若色さん、もしかして、今日体調悪い?」


「ううん。そんなことないよ」


 いや、でもなあ。俺もぼっちだからわかるんだけど、ひとりで食べるなら早めに終わらせて、勉強してるフリとかしてる方がまだ惨めになりにくいんだよ。ゆっくり食べてずっとひとりって、別に何かしんどさがあるぼっちな感じがするんだよな。

 

「若色さんって……。なんて言えばいいんだろう……。最近、疲れてない? 全体的な雰囲気としてそう感じる。俺の間違いだったらごめんね」


「やっぱり、そう見える?」


「うん。正直、見える。寝ているのを起こしたときもあったよね。でも、趣味が楽しくて夜更かししている感じにも見えなくて」


「あのときはありがとう。ごめんね、迷惑かけて」


「俺が最初に変な秘密言ったの覚えてる? よかったら若色さんの秘密も教えてよ。嫌なら大丈夫だけど」

 

 若色さんがスマホを指差した。


[実はアルバイトしてて。最近辞めた人がいて、人が足りないせいで休みがなくて]


 アルバイト。高校生にはそんな選択肢があることをすっかり失念していた。でもそれを隠す必要なくない?


[大変だね。どんなバイトなの?]


[実は、親がやっているコンビニなんだ。お父さんが店長で、お母さんが副店長。だから簡単に休むことができないの]


 ……そうか! 弁当がいつもマイ箸で紙おしぼりがなかったのは、そういうことか。


 そのとき、ピンと閃いた。

 10億円持っていたって、いや、持っているからこそ、アルバイトをしてみることは重要なのでは?

 コンビニのバイトなら定番だし、悪くない経験だ。


[そのコンビニってどこ? 俺も働けるかな?]


[ごめん、高校生は採ってないんだ]


[そっか、残念]


[あ、でも、聞いてみるだけ聞いてみてもいいかも。人がいないから。学校から徒歩圏内だけど、どうかな。住所送るね]


 少し待って送られた住所は、俺の実家、学校、コンビニの3点を結ぶと、俺の実家と学校間が一番長い辺となる三角形が作れる位置にあった。


 別の言い方をすると、位置的にはかなりの好条件だ。


[俺の家と近いよ! 面接とかどうすればいいかな。履歴書を作っておけばいい?]


[今日の放課後って時間ある? お母さんがシフト入っているから、直接聞いてみようか。履歴書はこっちが用意したのに記入してもらうから、なくて大丈夫だよ]


[了解! 放課後よろしく。あ、ご飯止めちゃっててごめん]


「あああ、あと4分!」

 そう呟いて急いで食べる若色さんは、少し元気が戻ったようだった。


   ◇ ◇ ◇


 放課後は、若色さんとの一緒の下校を誰かに見られると気まずいため、若色さんが先に出て、俺はスマホの地図を頼りに現地に向かった。徒歩10分もかからずに着いて、条件の良さに改めて驚いた。

 

 若色さん家のコンビニはマンションの1階がコンビニになっているタイプで、俺も昔何回か利用したことがあった。駅に近くて立地は良さそうだ。


 コンビニの中に入ると、コンビニの制服姿の若色さんが、同じく制服姿の若色さんの母親(つまり副店長)に、俺について説明しているところだった。


 早速挨拶をして自己紹介をしたが、副店長の表情は険しい。

 

「ごめんね、うち、高校生は採ってないんだよ。愛美もわかってると思ってたんだけど。高校生は行事やテスト期間もあるし、責任感がなくてバックレも多いから」


 副店長は、若色さんより少し背が高く、細身、細面でショートカット、化粧っ気の強い疲れた感じの美人で、初対面から少し刺々しい雰囲気があった。

 腕を組んで眉を顰ませるその姿は、ドラマによくいる会社のお局様のようだ。


「人が足りないんだから、背に腹は代えられないでしょ? 私、最近ずーっと連勤だよ」

 

「確かにそうだけど……。愛美と同じクラスってことは、休まなきゃいけないタイミングも全く同じでしょ? ちょっと難しいかな……。あ、でも、土日は入れる?」


「はい。部活はやってませんし、土日は空いてます」


「それはうちとしては嬉しいんだけどね。最悪、土日だけでも助かるか……。バックレないって約束できる?」


「約束します。バックレたら、そのあと、隣の席の若色さんにどんな顔で会えばいいかわからなくなりますから」


「仕事ができなかったり、別の人が見つかったりしたら辞めてもらうかもしれないけど、それでもいい?」


「構いません」


「じゃあ、とりあえず仮採用ってことで、明日から一ヶ月間働いてみる方向で店長と相談してみるか。店長がどう言うかはまだわからないけど、うちで用意している個人情報シートに必要事項を記入してほしいから、ついて来て」


「はい」


 それから、バックヤードでひと通りの個人情報を書き、未記入の保護者の同意書を渡された。厳密には俺の高校の許可証も必要なのだが、これは形骸化しているということで、互いに内緒ということで同意した。


 店長が仮採用に同意すれば、明日の放課後から働くことになるそうだ。スマホに連絡がくるか、明日若色さん経由で伝えてくれるらしい。目まぐるしい展開だ。明日の朝、親の同意書と私服のズボンは忘れないようにしないと。


 そのまま店を出るのは変な気がして、ペットボトルのコーラを1本買って店を出た。空が晴れていて気持ちが良く、これが人生の小さな転機になる予感がした。

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