【1年 4月-7】彩菜パパの心、子知らず
翌朝。昨夜、綾菜とどこの店に行くかを検討した結果、最寄り駅からひと駅先のショッピングモールに行くことになった。
そこで服を見て昼食も食べ、午後は買い物の状況次第で臨機応変に行動する予定。
休日なのに早起きなので、流石に登校時ほどのテンションの低さはないだろうが、そこそこ眠たそうな綾菜が来ると思っていた。
「おはよっ! けんこー、ちゃんと寝れた?」
ボス戦クリア直後ぐらいの機嫌の良さだった。
今日の綾菜は、いつもと雰囲気が違う。
アイヴォリーのVネックニットに白のフレアスカート、ブラウンのパンプス、桜色のショルダーバッグ。主張し過ぎない薄ピンクのネイルをして、濃くない程度の化粧もしている。
綾菜のタイプ的にもっとゴリゴリのギャル系で来ると思ったから意外だった。
「おはよう。行くか」
正直、俺のテンションは高くない。直前に飲んだコーヒーもまだ効いていない。しかしとにかく気合を入れて、玄関を出る。
「手、繋ぐ?」と綾菜。
初手からぶっ込むね。
しかも、握手的な感じで手を出したら、がっつり恋人繋ぎにされた。
「ふふふ」
嬉しそうではある。だが『こいつ全部こっちの思い通りに動くやん、チョロいわ』的な嬉しさに見えなくもない。
朝にシャワーを浴びてきたのだろう、シャンプーの香りが強い。ローズ系の香りだ。風に揺れる髪の間から小さくて白い花のイヤリングが見えた。
「今思ったらさ、うちら、オセロみたいなんだけど。けんこー、着てるの黒ばっかり」
よく見ると、俺の服装は黒シャツと黒ジーンズに、黒のショルダーバッグ、スニーカーはかろうじて靴紐とソールが白だけど、他は黒。
「黒は300色あんねん。インナーは白Tだし」
「インナーまで黒だったら着替えさせてるよ。闇背負い過ぎでしょ。でも白Tだから悪くないよ。欲を言えば差し色あるといいけどね」
「綾菜の場合はそのバッグが差し色?」
「そう。今日のあたし、どう? 似合う」
「あ、えー、『かわいくて』、えー、えー……『胸が高鳴った』」
「文学かよ」
いつもより口角が上がった綾菜の横顔を見て少し胸が高鳴っているのは本当なんだけどな。
「学校、楽しくなった?」
「……。正直、まだ微妙。最近特に思うのは、授業のスピードが遅いなって。教科書を読んでわからないところをネットで調べた方が早いし、そう感じているのがずっとストレスかな」
「うちの高校そんなに偏差値高くないからね。けんこーの言ってることもわからなくはない。内職する人とかもいるし。逆にあたしはついていけないパターンかもだけど。でも、誰でもそういう授業のストレスってあるもんじゃない?」
「そうなんだけどさ。ちょっとしんどい。いつも暇つぶししてる。昔は教科書の文とか英語に翻訳してたけど、今は脳内でショートストーリーとか作ってる」
「そう言えば、けんこーのノート、どの科目も英語でぐちゃぐちゃだったね。ショートストーリーってどんなの作るの?」
「厨二だけど、異世界ものとか。アホみたいな設定ほどノリノリになる。あ、でもこの前考えたやつは普通に恋愛もの」
「なにそれ。けんこーの作るラブストーリー、めっちゃ興味ある」
「まずは女側の視点で話が進むんだけど、男の熱烈なアプローチで付き合って、そのうち、女の方が気持ちが強いんじゃないかってくらいの関係になる。そんなとき、ふと女が気付く。男は女といて嬉しそうに見えるけど、どこか悲しそうでもあることに。男が喜んでいるときも、心は別のところにあるような感じがすることに」
「浮気?」
「女もそう疑うけど、男に全然そういう気配はない。スマホのやりとりを全部見せてくれるし、空いている予定も女とシェアしてくれて、女を最優先にしてくれる。男の行動からも愛されているとは感じるんだけど、でも男は辛そうなんだよ。女は耐えられなくなって、男に聞くけど、男は『何でもないよ』って教えてくれない。なので喧嘩が増えていく」
「何だろう。実は血が繋がっているとか? 借金とか。それとも病気?」
俺は首を横に振る。
「許婚がいる。実は性別が男じゃなくて女……は難しいか。あっ、犯罪歴がある」
「ハズレ。多分、当たらないと思うよ」
「そう言われると当てたくなる」
「ごめん、実はこれファンタジーなんだ。だから何でもあり」
「それズルじゃん。真剣に考えて損した。あとで罰ゲームね」
「勝負してなかったじゃん。……まあいいや、軽いのな」
長年の綾菜との付き合いから察する。この雰囲気で要求する綾菜の罰ゲームは、俺に大して負担のないものだ。背中掻いて、とかさ。
「話を戻すと、頻度の増える喧嘩に耐えられなくなった女の方が、秘密を言うか別れるか男に迫る。で、男はようやく白状する。『僕は僕以外の人間の寿命が見える』」
「……あー。女の人の寿命が……」
「そう。ここで男の過去に視点変更。残りの寿命が少ない女を好きになった男は、まず自分がどうしたいか悩む。仮に女と付き合えたとしても、辛い未来しかないからね。あ、ちなみに、寿命は絶対に変えられない」
「……と言うことは、ハッピーエンドにはならないのかぁ」
「寿命がわかってても付き合うエンディングを、どう呼ぶべきなんだろうね。誰がいつ死ぬかなんて本来誰にもわかんないわけで、わかっているだけ幸せと言えるかもしれない。後悔のないように行動できるわけだし。俺もあと1年しか生きられないなら高校に進学してないと思う」
「……。暗っ。暗いって! 朝っぱらからするような話じゃない! さっきの罰ゲーム何にするか、考えよっか♡」
この話題、最終的に『耳舐めは罰ゲームか否か』という話になり盛り上がったが、やはり朝っぱらからする話ではなかった。
◇ ◇ ◇
服を買うデートで想像と大きく違って新鮮だったのは、互いの外見を何度も褒め合えることである。綾菜はこういうときに臆さず言うタイプなので、辛辣な言葉だけではなく褒め言葉も彼女の本心だとわかる。
「これ、いいじゃん。かっこいい」
「うーん、これはイマイチ」
「ほら、明るい色も似合うじゃん。イケメンオーラするよ」
「けんこー、姿勢が悪い。モデルみたいに背筋伸ばして。そう、それならいい感じ。写真撮りたいくらい」
「あ、萌え袖してみ。うーん。しゃがんで上目遣いしてみて。……やばー。かわいい」
一方、俺が綾菜について言うと。
「……かわいいよ。ガーリー? だよなそれ」
「似合ってる。ギャルっぽくて」
「かわいいけど、その肩は……。何でもない。かわいい」
「いいね。カラフルでオシャレって感じ」
「それもかわいい。……げ、芸能人みたい」
語彙が消失している。ただでさえ美的センスがないのにコメントも陳腐で何の役にも立っていない。綾菜には「どの服でもいいと言われるとわかんなくなる」と怒られた。俺も正直わかんなくなってる。みんなちがってみんないい。
結局、俺は薄手で大きめのグレーのパーカーとオリーブのカーゴパンツを買った。綾菜もグレーのパーカーを選んで、俺がプレゼントした。お揃いというわけではなく、グレーは色んな服に合わせやすく一番無難な色らしい。
まだ予算には余裕があったけれど、一度に買い過ぎると後悔する確率が高いという綾菜のアドバイスに従った。そう言ったときの綾菜の目は、戦場で誤った判断をして多くの兵を死なせてしまった将校のようだった。
もうお昼になっていたが、ピーク時間を避けるために、一旦本屋に併設されているカフェに入った。綾菜はお昼を抜いてストロベリー&チョコレートタルトを食べるか死ぬほど悩んだが、結局ふたりともアイスラテを頼んだ。
「いいな。ここ。俺、こういう雰囲気結構好きだわ」
「本に囲まれて静かな感じ? けんこーらしいね」
「綾菜はもっと騒がしいところが好きそうだけど」
「みんなで遊ぶのも楽しいけど、最近はそうでもないかな」
「へー意外。何で?」
「最近はみんな恋バナが多くて。付き合ったとか別れたとか誰が好きだとか、そういうのばっかり」
「女子はそういうの好きだよな」
「菜月も彼氏できたから、ちょっと取り残されている感じ」
菜月とは、綾菜の同じクラスの親友、早瀬川菜月のことである。綾菜とは中学3年間ずっと同じで、今年も同じになったのは奇跡だと綾菜は喜んでいた。あたし運いいよね、と10億円当たった俺に同意を求めてきたぐらい喜んでいた。
さて。『取り残されている』という綾菜の発言を深読みすれば、これは裏を返せば『彼氏欲しい』だ。そもそも手作り弁当からの買い物デート自体、それが目的ではなかろうか。
ここで俺が少女漫画的最強イケメンであれば、最適解の返しは「じゃあ、追い付いてみる?」だ。
俺が10億円を持っていなかったら、ギリギリそれを言う勇気があったかもしれない。仮にそれを言って俺がフラれたとしても、相手は毎朝一緒に登校して、放課後も一緒に遊んで、弁当作ってもらって、手繋ぎデートした幼馴染だぞ? ネットの非リアもメシウマ心理(シャーデンフロイデ)フットンデ同情するレベルだろ。
たが、俺は10億円を持っている。そして綾菜がこんなあからさまなアプローチめいたことをし始めたのは、俺が10億円を手にしてからだ。
10億円は恋愛を吹き飛ばすほど魅力的な金額だ。金を搾り取って捨てようとか、適度に飼い慣らしてATMにしようとか、そういう女が出てくる金額だ。
「好きです、付き合ってください」
魔女Aの嘘が、呪いのように脳裏に蘇る。そう、人は平気で嘘をつく。他人の心を弄んで利用することもできる。でも、綾菜は魔女Bではないはずだ。綾菜は違うだろ。
違う。違う。違う——。
だが、俺がそう思うことは、現実がそうであることを意味しない。
どんなに『綾菜は違う』と心の中で叫んでも、何も変わらない。
俺は、どうすればいい?
俺は、何を信じればいい?
「あ、思い出した、ここにニンニクたっぷりの美味しいラーメン屋があるらしいよ」
どのくらい俺が無言でいたのかわからない。綾菜は話題を変えた。気遣いなのか、気まぐれなのか……。一旦頭を真っ白にして、俺は綾菜に乗っかることにした。
「へー。綾菜、お昼、そこにしたい?」
「いやー。食べたいけど、ニンニクだから……」
「そういうので幻滅するような付き合いの長さじゃないじゃん、俺ら。気になるなら口臭ケアの何かをあとで買えばいい」
「でも、服にもニオイが染み付きそうだし……」
「ついでに香水プレゼントしようか。時間あるし、パーカー思ったより安かったし」
「それ、いいかも。でもニオイ消えるのかな。うー、めっちゃ迷う」
「じゃあ、『明日死ぬとしたら後悔するか』で決めたら? 俺は本気でどっちでもいい。男女が互いにニンニク臭いのを気にしないのは仲の良さの証明でもあるし、笑い話にはなるんじゃない?」
「うーん、無難にパスタか定食屋かなと思ってたから……もうちょっと考えとく。まだ混んでるだろうし」
「了解。そのラーメン屋の場所だけスマホで調べとくわ」
「気が利くじゃん。ありがと。……ねぇ、けんこーは、明日死ぬとしたら、一番したいことは何?」
「……一番かぁ。よく旅行したいとは言ってるけど、実際旅行したらしたで、貴重な時間をこれに使って良かったのかなって思いそう。今は欲しいものもないし、これだけは食べておきたい、ってものもない。あ、でも弁当は本当に嬉しかったから、食べ物はそれで満足しちゃってるのかもしれない」
「ちょっとそれ、どこまで本気?」
綾菜が、昨日の弁当の中にあったミニトマトを思い出させるくらいに顔を赤らめて照れる。
「エッチなことでも言うのかな〜と思ってたのに」
「……そりゃ男だから、そういう欲はあるよ。でもリアルな話をすると、明日死ぬってわかってて楽しめるかというと微妙。ハグならいいかもね。それで満足しそう」
「……キスは?」
むせてラテをこぼしそうになった。ちょっと照れくさそうに上目遣いをして「キスは?」なんて言うんじゃない。今、まさにストローを咥えようとしている綾菜の口元を意識してしまうじゃないか。
さっきから綾菜の様子がおかしい。話をエッチな方向に誘導している気がする。俺の考え過ぎか?
「……本当にリアルな話をすると、そこまでするならもう最後までする方がいい。そういうもんじゃないかな、男って」
綾菜は明日死ぬとしたらどうする? と聞こうとしてやめた。綾菜から漏れ出る肉食女子のオーラを警戒した。ラーメンじゃなくてキミを食べたいなんて言いだしたりしない? ……いやいや、流石にそれはないだろうけど、本能が回避行動を命じている。
「……あ、ところで、弁当なんだけど」
いい話題を思い出した。
「綾菜は次もあるかも、みたいな話をちょいちょい言ってたけど、実際はどうなの? 弁当を作ってもらうのは俺は嬉しいけど、負担にはなりたくない」
「え、普通に毎日作ろうと思ってたよ」
「ま、毎日?」
「パパとママの分も作るかわりに、お小遣いを増やしてもらうって話になってて、そのついでだから、3つも4つも変わらないよ。それに早起きして生活リズム変えるのもいいって思ったし」
「早起きは俺も見習おうかな」
「あ、だからこのあとパパ用の新しいお弁当箱買いたいって言うの忘れてた。この前、けんこーのお弁当に使ったの、あれ本当はパパのだったから。ずっと使ってなくて新品同様だったけどね」
「えっ、そうなの?」
「笑えるのが、朝、お弁当2つ用意してたらパパが1つは自分の分だと勘違いして。『手作り弁当なんて久しぶりだ、しかも娘が作ってくれるなんて』って感激してたから、『パパの分じゃないよ』って言ったらガチ泣きしちゃって。でも残ったおかずでおにぎり作ってあげたら喜んでた。感情ジェットコースターだった。ウケる」
綾菜パパ、いろいろとごめんなさい。
「それ、パパさんは俺用の弁当だったって知ってるの?」
「そこまで聞けるような精神状態じゃなかったよ」
「それは良かった……のかな? でもごめん、毎日となると、俺は嫌だな。してもらうばっかりになるし、それだったら逆に俺も作りたい。まだ下手だから、練習してからの話だけど」
「いい心掛けじゃん。どんなお弁当になるかな。楽しみにしてる」
「あ、じゃあこうしない? 水曜日は英語で『hump day』と言って、週の中で『山を越える』日って意味なんだ。だから毎週水曜に綾菜の弁当があると、山場で元気が補給されてちょうどいいかも。それ以外の日は弁当作りの練習をしたい。でも無理はしないで。体調が悪い日に弁当作ってほしくはないし、冷凍食品も遠慮なく使って」
「……わかった。けんこーがお弁当作りに慣れたら、交互に作る?」
「それがいいと思う。交互なら、費用も気にしなくてよくなるし」
「学校、楽しくなるね」
「……そう、だね」
ぶっちゃけると綾菜がグイグイ近付いてくる距離感に戸惑ってはいるけど、前よりはマシかな。
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