【1年 4月-6】先立つものが必要
綾菜の提案を受けて、その夜の夕飯では、真城家恒例の欲しいものプレゼンが繰り広げられることになった。
真城家は子どもの月々の小遣いは低いが、それとは別に欲しいものをプレゼンし、両親が承諾すれば買ってもらえるシステムがある。それぞれに利害があるので、家族4人が一番盛り上がる話題だったりする。
俺が10億円当てて以降も、このプレゼンシステムは続いていて、俺が成人するまでは基本的に10億円は自由に使えないことになっている。10億円が入っている俺の口座の残高は両親と俺がそれぞれアプリで監視できるようにしていて、ズルはできない。
「あのさ、俺、明日服買いに行きたいんだけど」
「へー、珍しいわね。誰かと行くの?」と母。
「誰でもいいじゃん」
「あらまあ、お年頃。予算は?」
「んー、5万かな」
「「「5万?」」」
両親だけでなく、妹の柚梨までユニゾンで驚きの声を上げた。
「5万って高1には高いよな?」と父。
「お兄ちゃん、そもそも家から出ないじゃん」と柚梨。
「そんなに何着も買いたいの? 健康はまだ成長期だから、買った服はすぐ着られなくなるかもしれないよ。そんなにお金使うのはお母さんは反対かな」
「大きめを買うよ。上下いくつかと、あと、ちょっと人にお世話になったお礼に服をプレゼントしたいのもあってさ」
「どんなお世話になったの?」
うーん。これが欲しいものプレゼンの悪いところだ。不足している情報があるとガンガン突かれる。じゃあ最初から全部開示すればいいかというと、もちろんそうではない。子ども側の情報開示の最低ラインが上がってしまう。言い渋って少し両親を疲れさせつつ、欲しいアピールをするのがポイント。
「弁当作ってもらった」
「お弁当……。誰に? 女の子? 綾菜ちゃん?」
「……誰でもいいじゃん」
まあ、俺の女友達、というか友達が綾菜しかいないし、そのことも両親は薄々勘づいている。バレバレだけど、やはり気恥ずかしい。
「お兄ちゃん今日お弁当2つ洗ってたじゃん。色違いの。コソコソしてたけど見えてたよ。で、綾菜ちゃんがゲーム遊び終わって帰るとき、お弁当が2つ入る大きさのバッグ持って帰ってたよね?」
「……あーもう。そうだよ、綾菜に作ってもらった」
母が嬉しそうに手を叩く。
「やっぱりね。で、綾菜ちゃんとは付き合ってるの?」
「付き合ってない」
「でも、綾菜ちゃんと服を買いに出かけるんだよね? それって綾菜ちゃんが誘ったんじゃない? 健康は服を買いたいなんて自分から言うタイプじゃないから」
母の目が鋭く光る。
「綾菜ちゃんって健康が宝くじ当たったの知ってるよな? それって……うーん」
父が言葉を濁した。
場が静まって、食べ物を食べる咀嚼音だけが食卓に響く。みんな、父がどういう意図で黙ったのかを察している。これは憶測で他所の子のことを悪く言うチキンレースだ。
「都合のいい男と思われてるだけでしょ」
と、柚梨が漬物を食べながら先陣を切る。
「と言うか、奴隷じゃん、あれ。ポテチ食べさせてあげてたり、飲み物用意して飲ませてあげてたりさ。この前なんて靴下脱がしてあげて、足拭きシートで足拭いてあげてたよ」
弁明しよう。ぶっちゃけて言うと、あの嘘告白事件以降、綾菜と一緒に登校するようになった俺は、これワンチャン可能性あるのか? と徐々に思うようになったのだ。
かと言ってデートに誘う度胸も興味もなかった俺は、家を綾菜にとっての最高な快適空間にするという手段を考案したのである。
幼馴染と言えど他人の家だから綾菜も最初は遠慮がちだった。しかし俺が全力でもてなすので、長期運営のソシャゲの如く、カスタマーの求めるサービスのクオリティはどんどん上がっていき、それに応えていった俺の感覚は麻痺した。今では無料100連当たり前ぐらいの勢いになっている。
「それは……どっちなんだ?」と首を傾げる父。
「それは……どっちかなあ?」と首を傾げる母。
「どっちにしろキモい」と顔を背ける柚梨。
「まあでも、弁当を作ってもらってお返しをすること自体は悪くないんじゃないか? そういうの曖昧にすると、後が怖いぞ」
と言う父からは経験者の香りしかしない。
「あと、お揃いの弁当箱ってことは、これからも作ってもらうんだろ? 服は手間のお礼として、実費も渡さないといけないだろ」
「これからどうなるかはまだ聞いてない。正直、いきなりのことで俺も困惑してて。今まで全然そんな感じじゃなかったのに」
「お兄ちゃん、それってさ、ますますお金目当てとしか思えなくない?」
柚梨が不機嫌そうに冷たく言い放つ。
「昔から有料で耳かきしてもらってたよね」
「両耳1000円で膝枕つきだぞ。格安だ!」
「一番多いとき、1ヶ月5回もやってたけど、必要だったの? 綾菜ちゃんの言いなりになってただけじゃないの?」
否定……できない。あれは今年に入ってからだったはずだが、綾菜にスーパーにプリン買いに行かされて、あーんさせられて、それが下手だった(プリンはスプーンの上で滑りやすい)から、罰として一緒に買った俺の分のプリンまで食われたときは、これは流石に関係性がおかしいかも、とは思った。
そういえば、あのとき柚梨に買った分は「要らない」と珍しく柚梨に断られて俺が食べたけれど、あれも一部始終をこっそり見られてて同情されたってことはないよな。
「柚梨、お兄ちゃん取られるの、嫌なんでしょう。わかるわかる」
母がニヤニヤしている。
「違う。お兄ちゃんのお金をとられるのが心配なだけ」
「綾菜ちゃんとは昔からよく喧嘩してたもんねぇ」
「お母さん、私もう中2だよ。昔みたいな喧嘩はしないって」
父が手をパンと叩く。
「柚梨も、お母さんも、もうやめなさい。長い付き合いの綾菜ちゃんを疑うのも、それについて議論するのも、気持ちのいいものではない」
「ごめんなさい」と母。
続いて「ごめんなさい」と柚梨。
「とにかく、服を買う金は出すよ、健康。息子のデートを親が止めるのは野暮だ。ただ、世の中の大半の人間は善人でも悪人でもなく、状況に応じて揺らぐものだとは理解しておいてくれ。付き合いが長い人間でも、金が絡めば変わってしまう。金にはそれだけの魔力がある」
張り詰めた空気の中で、父の声が重く響く。
「だからこそ、揺らがない人の存在は尊くて、出会えたらその幸運を逃さない努力をすべきだ。……ただ、人の本性なんて、なかなかわからないんだよな。簡単にわかるなら、不倫されて離婚している人なんてこの世にはいない。特に計算高い人間は相手にとっては良い人間のように振る舞うのが上手いから、判別が難しい」
「いろいろあったお父さんが言うと、説得力あるね……」
遠い目をする母と、目を泳がせる父。
「まあ、金の管理はまだこっちがするし、今は深く悩む必要はないだろ。だがそれとは別に、未成年としてのラインは弁えろ。過ちを犯して一番苦しむのはお前ではないからな。それさえきちんとしていれば、あとはどんなに結果になっても、結局は人生の勉強だ」
「わかった。ありがとう」
プレゼン終了。何とかなった。
俺の心に、深い疑念を残して。
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