第Ⅰ話 なにはともかく、はじまりです!
「見えたぁ!」
アカネが突然、叫んだ。
眠りかけていたぼくは、その声にびっくりして、ベンチから転げ落ちそうになった。
顔をあげると、アカネが腰をあげ、窓を開けようとしている。
「ねぇねぇ、ジンくん! あれって、春水の塔だよねぇ。わー、ここからだと、よく見えるねー」
あー、これは放っておくと、その場でぴょんぴょんと跳ねそうだ。
「アカネさん……ちょっと、ちょっと! 声を控え目にしてくださるかしら。特にこの狭い車内では、あなたの声はよく通りますので」
ぼくより先に、チカが注意をした。
細い目を、さらに薄くして、アカネを見据えている。
うーん、このままだと、とってもマズイことになりそう……。
冷たいものが、ぼくの背中を走る。
アカネの巻き添えを喰らって、ぼくもお説教をされかねない。
ぼくよりも年下で、時々、理不尽なことも言い出すのだけど、チカはぼくたちよりもずっとしっかりしている。
「ちょ……姉さん。わかったから。まずは、座って」
チカを怒らせたら、拙いことになるのは知っているのに、今日に限ってアカネは浮かれているみたいだ。
まぁ……浮かれているのは、ぼくも同じなんだけど!
列車の窓外に映る塔を見て、紫紺色の瞳を向けてしまう。
田舎のロカルノ村では、塔の姿は高台から双眼鏡を覗いて、やっっっと見えるぐらいだ。
それも、細い針程度にしか、映らない。
こんなに、外形までしっかり見えるのは、はじめてのことだろう。
春水の塔——。
そっと、ぼくは塔の別の呼び名を口にしてみる。
列車は湖の岸に沿って、少し左にカーブしながら、走っている。
ぼくたちの座っている側からだと、湖の静かな湖面と島、湾曲した岬などが流れているのが見える。
その窓の中央あたり——森から高く突きだしているのが、春水の塔だ。
突き出している——と、ひと口に言っても、とても高い。
上を辿ってみても、途中から雲に飲み込まれてしまって、見えなくなってしまっている。
晴れの日に見上げてみても、それは同じだ。
青空を、どこまでも、どこまでも、伸びている。
塔は、大空を貫き、星の海まで到達している、なんて噂もあるけど、それを確かめた者はひとりもいない。
天辺を目指した者は、過去に数え切れないほど存在するが、ひとりも戻ってこなかった。
そう——ひとりとして!
途中で力尽きたのか、あるいは、天辺から他の世界へと渡ってしまったのか——確かめようもない。
だけど——未知のところを踏破したい、誰も見たことない風景を目にしてみたい、という気持ちはわからないでもない。
どきどきとしてきてしまうのだ。
その悦びを一度でも、知ってしまったら、もう逃れることはできない。
過去に冒険者と呼ばれる人はみんな、そうなのだろう。
だって——ぼくはもう、セリカ姉と同じ考えに、染められてしまっているのだから。
「えー。だって、家からだと、全然、見えなかったよねぇ。あたしたち、あそこを目指しているんでしょお」
「そうだけど……」
アカネが窓を開けた。
列車なので、全開とはならないが、隙間から風が吹き込んでくる。
少し暖かな、日なたの匂いのする風が、車内の少し澱んだ空気をかき混ぜていく。
アカネの、紅葉色の三つ編みの髪を揺らし、ふわりと彼女の藍色のスカートが巻き上がり、ぼくは少しだけ、どきりとする。
アカネは、ぼくの姉だ。
ただ——血は繋がっていない。
義理の姉弟というヤツだ。
年頃、ということもあって、それとなく距離を取ろうとしている——アカネにはまだ、彼氏のような存在はいないのだけど、その時が来たら、精神的なショックを食らいかねない。
だけど、アカネはお構いなしに、ボディータッチをしたり、家のなかでは下着姿でうろついたり、または時々、ぼくのベッドに潜り込んできたりしている。
まったく!
ぼくの気苦労も知らないで、無頓着に笑いかけてくるのだけど、その笑顔には何度も救われているので、本当、彼女にはかなわない。
一方の、チカは巫女服を着た、ぼくとアカネの共通の友人だ。
セリカ姉の実の妹で、ロカルノ村ではいつも、行動を共にしていた。
幼馴染みというヤツで、三人でいると、なんとなく、しっくりといく。
笑う時もいっしょ、怒る時もいっしょ、悲しむ時もいっしょで、同じ思いを三人で共有してきていた。
そんな彼女はひと脚先に、セリカ姉といっしょに、アリアンフロッドとして活躍している。
とっても優秀で、ぼくの自慢の幼馴染みなのだ。
何と言っても、彼女は十五歳という、ぼくと一個しか変わらないその年齢で、天恵と天賦を目覚めさせているのだから、間違いない。
巫女服は、アリアンフロッドの制服のようなもので、同時に彼女は夢と死の女神、リフトラシルの神官でもある。
チカは
アカネと比べると、胸はちょっと……いや、かなり残念なんだけど、それはまぁ、いいや。
ロカルノ村では、獣人だからといって、チカのことを差別するような人はいなかった。
だけど、彼女は気にしているようで、セリカ姉譲りの銀髪は帽子で、柔毛に包まれた掌は、手袋で隠していた。
ただ、尻尾のほうは、巫女服から飛び出したままとなっているのだけどね。
獣人への差別意識は、根強く残ってはいたけれど、かなり薄くなってはいるようだ。
列車に乗り込む時、子供たちに見つかって、じゃれつかれてはいたが、そういう視線でチカを見つめる人はいなかったように思う。
アカネが言うように、ぼくたちはその塔を目指している。
失踪してしまった、セリカ姉を追いかけるためだ。
まだ見ぬ塔の天辺で、彼女はぼくたちを待ち続けている。
その前に、まずはアリアンフロッドとしての資格を得ないといけないんだけどね。
「ジンライ!」
突然、耳許で大きな声で名前を呼ばれて、ぼくはまた、びっくりしてしまった。
「ねぇ、聞いていらっしゃいます?」
窓から視線をずらすと、チカが間近で睨みつけている。
切れ長の目蓋の間から、薔薇の花びらのように紅い瞳が覗き、どきりとしてしまう。
「え……な、なんだっけ?」
答えると、チカは眉間に皺を寄せて、それから、盛大にため息をついて見せた。
「あーあー。本当にあなたたち、そっくりですわね。一度、考えに没頭すると、他人の話なんて、聞いてもいないんですから」
「ご、ごめん」
隣から、アカネがぼくの腕を引っ張った。
おとなしく、彼女の横に座った。
チカはしばらく、ぼくたちを見下ろしていたが、ゆっくりと向かい合わせのベンチに座った。
風がまた、窓から吹き込んできている。
束の間、列車のなかは静まりかえっていたが、すぐにがやがやと喧噪に包まれていった。
ごとん、ごとん……と、定期的に列車を揺らす振動がまた、微睡みへと導こうとする。
中央の通路を挟んで、二列に並んだベンチには、色んな人々が座り込んでいる。
少し、くたびれたスーツを着込んだおじさん。赤ん坊をあやしている若いお母さん。走り回っている子供に注意をしている老人。帽子を深く被って、居眠りをしている人。それに……もっといるけど、まぁいいや。
たくさん、人はいるけど、おそらく、アリアンフロッドを目指しているのは、ぼくたちくらいなものだろう。
アリアンフロッドは有名だけど、危険を伴う。
実力と運がなかったら、いつ死を迎えても不思議ではないし、実際、ぼくたちの父親も、任務の最中に命を落としてしまっている。
だけど——既に、アリアンフロッドであるチカはともかく、ぼくとアカネには、目的があった。
失踪したセリカ姉を探すために、塔の天辺を目指さないといけないのだ。
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//ユーアール・データベース01
春水の塔……メディシアン世界に九つあると言われる塔のひとつ。春水の塔は、泉から突き出しており、その場所から雪解けがはじまることから、その名がある。
アリアンフロッド……九曜の塔やダンジョン、奈落などを探索する冒険者。奈落よりのものを駆逐したり、日常的な困りごと、運搬など手広く依頼をこなす。全員、アリアンフロッド機関に属していることから、この呼び名がある。
天恵と天賦……アリアンフロッドとして覚醒した時の特殊な能力。これを目覚めさせることによって、斬奸刀の所持やクエストを受注、小隊を組むことが可能となる。
白尾の族……獣人の種類。兎の特徴を備えている。聴力に優れ、短距離の走力や木登りの才能などがある。
リフトラシル……夢と死を司る女神。夢は死と繋がり、現世での安寧をもたらす、とされる。人間以外にも信仰する者が多い。
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