第2話 姫の静養


 その日の午後、辺境騎士団の詰め所は珍しく“詰め所らしい顔”をしていた。

 門前は掃き清められ、色褪せた旗は無理やり立て直され、物置の奥から来客用ベンチまで引っ張り出されている。誰も読んだことのない式次第まで、埃を払って並べられた。

 普段の詰め所は、昼寝と雑談が主な業務だ。

 忙しくなるのは魔獣が出た時か、ゲートの芽が育った時か――あるいは、上から面倒が降ってきた時だけ。

「来るぞ」

 団長の声だけは妙に張り切っていた。

 騎士たちは背筋こそ伸ばしているが、目は泳いでいる。緊張というより、どう振る舞えばいいのか分からない顔だ。


 セオは中庭の隅で、その様子を静かに眺めていた。

 今日はヨリドを連れてきていない。小型瓶騎を出せば、余計な視線を集めるだけだ。

 ――それに、身ひとつで詰め所に顔を出すのは、セオにとっては“営業”でもある。


 獣人である自分の姿が目障りなら、さっさと森の家に帰ればいい。

 辺境では問題にならなくても、王都の人間にとって獣人は蔑みの対象だ。

「まぁ、好き嫌いは人それぞれだしね」

 セオはそう割り切っていた。

 不快に思う相手の前に、わざわざ出ていく必要もない。

 遠くから、車輪の音が近づいてくる。

 辺境の馬車とは違う、金具の擦れる音が少なく、揺れも小さい――人を運ぶための馬車だ。

 やがて、森道の向こうに隊列が現れた。

 先頭は磨き上げられた鎧を着た騎士たち。

 続いて、王都の意匠が刺繍された箱馬車が二台。

 さらに従者の荷馬車、そして最後尾には王国第六騎士団の瓶騎。

 辺境の詰め所には不釣り合いなほど豪勢な行列だった。

「王都よりの使者、到着!」

 団長の声が裏返る。

 門番が慌てて門を開け、隊列がゆっくりと中へ入ってきた。

 空気が変わる。

 いつもの眠たい空気が引っ込み、慣れない緊張が場を支配する。

 セオはその端に立っていた。端に立つのは慣れている。

 先頭の騎士が馬を降り、団長と形式的な挨拶を交わす。

 互いに相手を知らないから、礼儀だけが丁寧だ。

 その間に、後ろの箱馬車の扉が開いた。

 まず降りてきたのは従者。

 王都の暮らしに慣れた、無駄のない姿勢だ。

「――姫様、こちらに」

 従者が差し出した手に導かれ現れたのは、薄手の外套に包まれた少女だった。

 年はセオと同じくらいか、少し下。

 白い頬は血色が薄いのに、目だけは驚くほど澄んでいる。

 詰め所の騎士たちが慌てて跪こうとするが、動きが揃わずぎこちない。

 辺境の礼は王都の礼とは違う。誰も悪くない。ただ、慣れていないだけだ。

 姫はその様子を見て、口元をわずかに曲げた。

「……そんなに急がなくてもよいのです。転んだら、私の方が困ります」

 柔らかい声。

 だが、その柔らかさは気遣いの形を借りた皮肉だったのだが誰も気づくものはいない。

 その時、隊列の中から一人の騎士が進み出た。

 背が高く、動きに迷いがない。鎧も剣も完璧に手入れされている。

――王都第六騎士団に所属する瓶騎士のアーヴィンである。

 彼は周囲を一瞥し、最後にセオのところで目を止めた。

 見下すというより、分類する目だ。

「辺境の詰め所とはいえ、王都騎士団の末端に獣人とは……」

 アーヴィンは独り言のように呟き、姫へ向き直る。

「姫君。まずは安全な屋内へ。周囲の確認は私が――」

「アーヴィン」

 姫が名を呼ぶ。

 その声は先ほどより冷たかった。

「あなたが“私のため”に動いてくれるのは分かっております。けれど、ここは王都ではありません。必要以上に空気を刺激する必要もないでしょう」

 アーヴィンの表情が固まる。

 反論は飲み込んだ。

 団長が慌てて前に出る。

「姫様、当詰め所が責任をもって――」

「責任」

 姫はその言葉を繰り返し、くすりと笑った。

「……ええ。よい響きです」

 団長は意味が分からないまま頷くしかない。

 姫は周囲を見回し、最後にセオを見た。

 目が合う。

 その目は、セオを“獣人だから”と扱っていない。

 むしろ、興味を持っているような、試すような目だ。

「……そこの者」

 姫の語りかけにセオは一歩前に出て、軽く頭を下げる。

「準騎士・セオと言います」

 アーヴィンが眉をひそめる。

 団長が慌てて補足する。

「え、ええ。セオは我が騎士団の正式な者ではございませんが、この地の案内に長けておりまして――」

 姫は団長の説明を聞いていない。

 視線はセオに固定されたままだ。

「案内ができるのですね。なら、申しつけましょう」

 姫は一拍置き、静かに続けた。

「私は……ここで静養をするために来ました。けれど、“静養”という言葉は、ときに鎖にもなります」

 セオは黙って聞く。

「私は、その身を森に慣れさせるためにこの地にまいりました。外を見たい。ここがどんな土地なのか、知りたいのです。それに瓶騎にも久しぶりに乗ってみたくもあります」

 そして、口元がわずかに上がる。

「……私は穢れるさだめにある者ですもの。

 なら、人ならざる者が傍にいる方が釣り合いでしょう?」

 騎士団長をはじめ、王都から付き従ってきた者ですら、言葉の意味を掴めずにいた。

 詰め所の空気が止まった。

 セオだけが、姫の言葉をそのまま受け取る。

「……そうですよね。外の空気は、吸った方がいい。石に囲まれる暮らしも良いけど、緑に包まれる暮らしも悪くないですよ」

 率直に答えるセオを、睨みつけるアーヴィン。その手が腰の剣にかかる。

 姫の目が少しだけ柔らかくなるとアーヴィンの動きを目で制した。

 だが――

「お待ちください、姫君!」

 姫の静止を振りきりアーヴィンが踏み出す。

「亜人風情に姫君を託すなど、騎士の沽券に関わる。案内が必要なら私が――」

「あなたは護衛でしょう」

 姫の声が切り込む。

「護衛なら、ついてくればいい。案内役を奪う必要はありません」

 アーヴィンは言葉を失う。

「それとも、“私の傍に立つ資格”を守りたいだけですか? こんな穢れにまみれた存在であっても」

アーヴィンは歯を食いしばり、視線を落とした。

「……随伴いたします。姫君の安全のために」

「ええ。あなたの“安全”を信じています」

 皮肉だ。

 だが、アーヴィンはもう反論しなかった。

 姫はセオへ向き直る。

「案内役の準騎士セオ。明日、外を歩けるよう手配をお願いします」

「はい。森の外れまでなら」

「森の外れ……楽しみですわ」

 姫はそう言って微笑んだ。

 その笑みが、なぜかセオの胸に残った。


 翌朝の辺境は、驚くほど澄んだ空だった。

 雲は高く、風は弱い。森へ入るには、これ以上ない日和だ。

 詰め所の中庭では、控えめながら慌ただしい準備が進んでいる。

 “静養”という名目にしては物々しいが、護衛が減ることはない。

 ただし――使われる瓶騎は、辺境配備の実務用だった。

 セオはその一角で、工房の面々とともに借り受けた瓶騎の点検をしていた。

 王族専用の華美な騎体ではないが、地形追従性と安定性は高い。森を歩くには十分だ。

「……よしこんなもんだろう」

 工房長のサマヤが最後の留め具を締めたところで、背後から気配がした。

「それが、姫の乗騎か」

 振り返ると、アーヴィンが立っていた。

 今日も鎧は磨かれ、剣は静かに腰に収まっている。

 「はい。森の外れまでなら問題はないかと」

「“問題ない”か……」

 アーヴィンはその言葉を反芻し、眉を寄せた。

「本来なら王族専用の瓶騎が与えられるべきなのに……こんなみすぼらしい瓶騎のお乗せするとことになるとは」

「この土地には、こちらの方が向いています」

 セオは淡々と答える。

 余計な説明は、火種になる。

 アーヴィンは何か言いたげだったが、その時――

「お待たせしました」

 姫が現れた。

 昨日と同じ外套だが、衣装は狩猟用のものに変えられている。

 その姿は、王族というより“外へ出る準備を整えた少女”だった。

「準備は?」

「整っています。ゆっくり進みますので」

「ええ。急ぐ理由はありませんもの」

 姫はそう言って瓶騎に手をかけた。

 その仕草はぎこちなくはあるが、迷いはない。

 アーヴィンが先に乗り込み、周囲を警戒する。

 セオは最後に全体を確認し、出発の合図を出した。

 詰め所を離れると、空気が変わった。

 木々の匂い、湿った土、遠くの水音。

 王都の石の匂いは、ここにはない。

「……静かですね」

 姫がぽつりと言う。

「朝ですから。昼になると、もう少し騒がしくなります」

「生きている音、というのでしょうか」

 セオは少し考え、答えた。

「たぶん、そういうものです」

 姫は小さく頷いた。

 その横顔は、昨日よりもずっと柔らかい。


 森を抜けると、視界がぱっと開けた。

 なだらかな草原が広がり、遠くには低い丘の稜線が見える。

「ここなら、少し身体を動かせますね」

 3機の瓶騎は型膝をついた待機状態となり、中から3人が草原に降り立つ。

 姫は外套の留め具を外し、模擬剣を手に取った。


――一振り。


 空気が鋭く鳴った。

 型は端正で、無駄がない。

 見せるための剣ではない。守るために磨かれた、実戦の型だ。

 アーヴィンの目がわずかに細まる。

「……見事です」

 その声は素直だった。

 剣を知る者の評価だ。

 セオも内心で息を呑んでいた。

 これが王族の剣――?

 飾りではない。ここまで練り上げるには、相応の覚悟がいる。

 姫は最後の型を収め、静かに息を整えた。

「私には、これくらいしか誇れるものがありませんの」

 軽い言い方だが、どこか本気が混じっている。

 姫はアーヴィンを見る。

「どうでしょうアーヴィン。よろしければ、立会をお願いしたいのですが」

 一瞬、空気が張りつめた。

 だがアーヴィンは即座に首を横に振る。

「めっそうもない。姫君のお相手を務めるなど、私ごときには畏れ多いお話であります」

 その辞退は、剣の格を理解している者のものだった。

 姫は少し考え、悪戯っぽく微笑む。

「……そう。ならば、こちらなら畏れる必要もないでしょう」

 視線が横へ流れる。

「案内役が相手ならいかがですか、アーヴィン」

 セオは一瞬だけ目を瞬いた。

「僕、ですか」

「ええ。あなたも剣を持つのでしょう?」

 断れない。

 それ以上に、断る理由もなかった。

 セオは模擬剣を受け取ると、軽くその握り心地を確かめ、そして構える。

 構えは低く、肩の力を抜いている。

 姫が合図を送った。

 踏み込み。

 剣が交わる。


 セオの動きは驚くほど地味だった。

 大振りはしない。間合いを詰めすぎない。

 ただ、受けて、流して、位置をずらす。

 アーヴィンは最初こそ静観していたが、次第に眉をひそめた。


――妙だ。


 押されているようで、崩れていない。

 足運びが軽い。

 地形を使っている。


 数合ののち、セオの剣が弾かれた。

 わざとだ。

 剣を知る者なら分かる。

「……降参です」

 セオは一歩下がり、剣を下げた。

「さすがは第六騎士団筆頭。アーヴィン様。見事な立ち筋です」

 アーヴィンの目がわずかに見開かれる。

 勝った。

 だが、勝った気がしない。

 姫は二人を見比べ、何も言わずにうなづいた。

 それは、余興の終わりを意味していた。

 ただ、その目はすべてを見ていた。

「見事です。良いものを見せてもらいました」

 姫はそれだけ言い、セオから模擬剣を受け取った。

 セオは胸の奥で小さく息を吐く。

 勝つことはできた。アーヴィン相手に無傷とはいかないだろうが、互角以上に立ち回れる自信はある。

 だが、勝つべきではなかった。

 場が壊れる。

 それだけは避けたかった。


 その夜。


 セオはアーヴィンに呼び出される。

「なぜ、手を抜いた」

 直球だった。

「勝つための剣ではなかったからです」

「それでも、勝てたはずだ」

 セオは少し考え、答えた。

「和が崩れると思いました。ここでは、それが一番困ります」

 アーヴィンはしばらく黙っていた。

「……太刀筋は悪くない。瓶騎乗りとしても、理にかなっている。明日からも頼むぞ」

 それだけ言うと、踵を返した。

 完全な評価ではない。

 だが、無視でもない。


 その日から、3人の草原への視察は日課となった。

 何回目かの視察の時、アーヴィンの瓶騎が先行したの見計らって、姫は随伴するセオに向かって語り掛ける。

「ライナ……」

「?」

「私の名前です。古い異国の言葉で"純粋な"という意味だそうです」

「素敵なお名前ですね」

「そうですか……。私は自分の運命(さだめ)を知らされてから嫌いになりました。この名前を」

 セオはどう答えていいかわからず、何も言い返すことができない。

「あなたでも言葉に詰まることはあるのですね」

 操縦槽の伝令管から、悪戯っぽく微笑むライナの声が伝わってくる。

 

 姫の静養という名の滞在は、

 確実に、この辺境の歯車を狂わせ始めている。

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