瓶騎戦記(ボトルナイツウォー)

玉塚四郎

第1話 辺境の準騎士

 夜明け前の森は静かだった。

 風もなく、鳥の声ひとつ聞こえない。


 だが、静かすぎるというのも、この辺境の地ではろくな兆候じゃない。


音が、吸われている。

 風が止んだのではない。森そのものが、呼吸を忘れたように重い。


 セオは瓶騎の操縦席から外をうかがい、小さく息を吐いた。

 地面を覆う草は露に濡れているはずなのに、その一角だけ色が鈍く、輪郭が曖昧に見える。

 ――裂け目の前兆だ。


「……あそこですね」


 薄暗い森の縁。地面を覆う草は露に濡れているはずなのに、その一角だけ色がくすんで見える。

 瓶騎を停止させ、セオは操縦席から降りた。

 全高五メートルほどの小型瓶騎ヨリド。今となってはその出自も分からない古い世代の瓶騎である。操縦槽には、今では使われなくなった三口の瓶受けが残っていた。瓶騎が制御瓶ひとつで制御されるようになってから100年は経過している。なのでヨリドは、それ以前から使われている瓶騎ということになる。逆を返せば200年以上昔の騎体でありながら現役で動いているということは、完成度の高さとそれを維持するメンテナンスが行き届いていることの証明でもあるのだが……。

 とはいえその外見は王都の騎士が使うような華美な騎体とは比べるべくもない。装甲はないに等しく、多くの部位は獣の革を被せている、関節もフレームむき出しだ。しかし、その分、小回りが効くし辺境の巡回には十分な性能を備えている。


「ほんとに、朝っぱらからご苦労さまねぇ」


 ヨリドの抱えた箱の中から年嵩の女が顔出して語りかける。その箱を説明するなら瓶騎用の取っ手のついた馬車のキャビンといった風情である。

 もっともキャビンとはいっても大きな犬小屋に毛が生えたようなものでしかないのだが。


「いつもすいませんね。夜明け前が一番、不安定ですから」

「まぁお互い様だね。この辺りで大丈夫、降ろしとくれ。早く到着するのはいいけど乗り心地が悪すぎるのよねぇ」

「すいません、急ぐとどうしても……」

 ヨリドが犬小屋を地面に降ろすと中から出てきた年増の女は、伸びをして全身の凝りをほぐすと、いそいそと護符を大量に縫い付けた外套を着こむ。

 女は封印士と呼ばれる職業で、簡単なゲートの封印や、残滓の処理を主な生業とし、普段は村のはずれで薬草を売ったり、治癒魔法による治療院で生計を立てている。年齢は六十を越えているだろうが、足取りはしっかりしている。


「なんだか最近は多いよねぇ。こっちはお金稼げるからいいんだけど、こうも続くと流石におばさんにはキツいわね」


 ぼやきながらも、封印士は慣れた手つきで地面を覗き込む。

 土の一部が黒く焦げ、草の先端が溶けるように萎れていた。


「魔獣の通り道だね。しかも、ついさっき」

「ええ。ですが本体より、問題は――」


 セオは視線を下に移した。

 視界の端で、地面の模様がわずかに揺れた気がした。

 形になりきれず、意味を持とうとして失敗した線。


 円にも、多角形にも見える不定形な歪み。

 線は掠れ、ところどころ途切れている。


「……ゲートの芽、だね」


 封印士がそう呼ぶ。

 誰かが描いたものではない。

 世界そのものが、裂ける前に無意識に“縫い止めようとして失敗した跡”だ。


「魔獣が出たから、これができたんじゃないよ」

「逆ですか」

「逆。位相が歪むから、ああいうのが迷い込んでくる」


「放っておけば、増えます」

「増えるし、広がるし、最後は取り返しがつかなくなる。ま、この程度なら私でもどうにかできるよ。もうちょっと大きいと、王都の魔法使いでも呼んでこなきゃだけど」


 封印士は腰を下ろし、小さな木製の器具と陶器の瓶を取り出した。

 簡易の封印具だ。魔法省の正式装備と違い、使える術式は限られているが、この規模の“芽”を処理するには十分だ。

 地面に手を触れた。

 祈祷の言葉は短く、荒い。


 地面の歪みが淡く揺れ、光が走る。

 だがそれは閉じる光ではない。

 裂け目の縁を、無理やり固定するための縫合だ。


 数拍後、揺れは収まった。

 だが、地面は元には戻らない。

 縫われた痕だけが、うっすらと残っている。


「じゃ、やるよ」


 封印士が低い声で祈祷の言葉を唱える。

 地面の縫合跡が淡く光り、震える。セオは少し距離を取って見守った。

 数拍後、光はすっと消えた。 

 それと同時に木箱に差し込まれた瓶がぼんやりと淡い光を放つ。

 裂け目の周囲に溜まった位相の歪みや残滓が瓶の中に封じ込められる。

 厳密にいうのなら位相の歪みやらを世界から浮かせた状態で瓶に移しているらしいのだが、セオは理解できないので単純に裂け目を瓶に封印していると理解することにしている。

 その瓶の口に複雑な文様が刻まれた木の栓をはめ込むと、これも魔力が込められた蝋燭に火を灯し、しっかりと封印する。


「はい、おしまい……とは言えないけどね」

「完全には?」

「無理さ。これで“広がらない”だけ。次に裂けるのが、今日じゃなくなったってだけだよ」

「それでも助かりました」

「仕事だからね。あんたが運んでくれたから早く対処ができたわ。相変わらずあんたの瓶騎は足が速いね。これ以上成長してたら魔物たちも寄って来て手に負えなくなるところだったよ」


 封印士は立ち上がり、膝の土を払う。


「……そうなりゃ、詰め所のボンクラども、やる気出すんだろうけど」

「やめてくださいよ。詰め所の騎士のみなさんは、村を守護する仕事で忙しいんですから。それに書類仕事で振り回されてますからね。忙しいみたいですよ」

「まぁ、あたしはお代を頂ければ、それでいいんだけどさ」


 封印士は鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わずに着替えを終わらせると道具一式を持って犬小屋にはいる。

「帰りは少しゆっくり行きましょう。上手くすればお昼にありつけるかもですから」

 ヨリドは犬小屋を両の手に抱えるとゆっくりと村落に向かって歩きはじめる。

 

 日が昇り、あちこちで鳥のさえずりが聞こえてくる。ゲートの芽が封印されたことで、森の中はとりあえず平穏な空気をとり戻している。


「今日も平和だといいねぇ」

「ええ。本当に」


 そんな会話を交わしながら、セオはヨリドの歩みを進める。

 大事ではない。だが、放っておけば村に被害が出たかもしれない。辺境ではよくある話だ。

 仕事は終わった。


 村へ戻る途中、畑仕事をしていた老人が手を止めた。


「おう、セオ。またひとりか?」

「今日は、封印士のバルタさんも一緒です」

「なんじゃ、また世界が、ひび割れたんかい。詰め所のやつらも、もう少し抜本的な解決策を考えてほしいもんじゃ」

 憤ったように言う老人に、セオは苦笑する。

「みんな、それぞれ立場がありますからねぇ」

 本心だった。

 怒りも諦めもない。ただ、そういうものだと分かっている。


 別の家の前では、子どもたちが手を振ってきた。

 セオは軽く手を上げて応える。それだけで十分だった。


 辺境騎士団の詰め所は、朝から妙に静かだった。

 書類の束、椅子にだらしなく座る騎士たち、壁に掛けられた地図。


「……ああ、戻ったのか」

「例の件、処理完了です」

「ご苦労。詳細は……まあいい。異常なしで上げておいてな。あっ、封印した瓶は、次の回収日に出すので工房の保管庫に運んでおいてくれや。……割るなよ。前にそれでひと騒ぎあったからな」

 報告を受けた騎士団長は、ちらりと書類に目を落とすと報酬の入った小袋をセオに差し出す。


 誰も悪意はない。

 だが、誰も現場に出ようともしない。

 危険な仕事はセオがやる。

 書類と体裁は詰め所が整える。

 それが、この場所の均衡だった。

 となりでは封印士が書類にサインし、報酬を受け取っている。

「バルタばぁさんじゃねぇか。どうだい飯でも食っていくか? おっセオも食うだろ?」

 工房の方から声がする。工房長のヤサマである。


 セオがヨリドとともに工房にやってくると、丁度昼食が振る舞われようとしていた。

 巨大な鍋で煮込んだスープの香りがヨリドのコクピットの中にまで漂ってくる。

 セオにとって詰め所にくる楽しみが、この工房長の手料理だったりする。

 犬小屋からゲートの芽を封印した瓶を運び出し、保管庫にしまい込んだセオは、工房のメンバーのいるテーブルにつく。

「ほら、たくさん喰いやがれ!」

 セオの前に魔獣の肉と野菜がたっぷり入った皿が差し出される。

「おめぇさんが採ってきた魔獣の肉だぜ。このところ魔獣も多いから、魔冷庫も手狭になっちまってなぁ。どんどん食ってくれねぇと困るんだわ」

「まぁ、このところ魔獣出現の案件も多かったですからねぇ」

 もぐもぐと皿の料理を口に運びながらセオが応える。

「それもこれもサマヤさんがヨリドを手入れしてくれるおかげですよ」

「まぁな。こんな太古の遺物はなかなかお目にかかれないからよぉ。ついつい手を入れたくなっちまうんだ」


 セオが年代物というにはあまりにクラシックすぎる瓶騎を現役で使えるのは、この詰め所の工房長であるサマヤの手腕によるところも大きい。サマヤはドワーフの血を引くハーフであり、セオの眼から観ても瓶騎整備の腕はかなりものである。工房のメンバーからも慕われ、その人間力から詰め所の中でもそれなりに発言力も持っている。瓶騎に乗らない裏騎士団長の異名は伊達ではないのだ。しかし、どんなに腕が良くても、ドワーフの血が混じってる限り、人が納める王国にあっては辺境のしがない騎士団の詰め所の工房長が限界であった。それがこの社会の理(ことわり)である。だが当のサマヤ自身は己の待遇に不満を漏らすことはない。むしろ血筋とかに捕らわれず、ドワーフとの混血である自分を対等に扱ってくれるこの地の方が居心地が良いくらいであったりする。しかもヨリドという年代物のレアな瓶騎をいじることもできるし、それ以外の詰め所の騎士が使う瓶騎は、世代も古く、性能も良くないが、その分、整備や騎士の腕前次第では化ける可能性を秘めている。規格が統一されメンテナンス性も高い最先端の瓶騎よりは腕のふるいがいがあるというもの。もちろん辺境の騎士団では使える予算も多くなかったが、セオが駆除した魔物の肉や希少部位を解体して売り出すことで予算を確保している。もちろんその売り上げは報告書にあがらない裏金であり、辺境の詰め所でありながら工房がそれなりの環境を維持できている秘密でもあった。


「しっかし、このところゲート封印やら魔獣退治やら、結構働きづめだなぁ。おめぇさんのヨリドもまた、大規模なメンテナンスしないといけねぇかもな。脚の関節が少し歪んできてるぞ」

「えっ? そうなんですか? またお金かかりますね。少し、お金がたまったらお願いするかもです」

 セオはつまようじをくわえたバルタが犬小屋に乗り込んだの確認すると、ヨリドを立ち上がらせる。

「じゃぁ、バルタさん送りがてら帰りますね。今日はごちそうさまでした~」


 セオは村はずれの家に戻る。

 工房兼ガレージの扉を開けると、油と木の匂いが混じった空気が迎えた。

 セオの部屋は工房兼ガレージになっており、その一角にベッドがある。

 誰もいないハズの家、戻ってきたセオに声は話しかける。

  

『今日も無事だったか』

 セオはベッドの横の棚に置いてある箱に向かって応える。

 古びた箱の中には瓶が置かれており、そこからのびた金属の意図が丸い金属板とラッパのような金属管に繋がっている。その配置はどこか人の顔を思わる。その箱の横には花瓶のような形をした器や、ガラスの瓶などさまざまな器が置かれている。

「ええ、おかげさまで」

 セオはヨリドの簡単な点検を済ませると工具を片付けながら箱に話かける。

「でも、師匠から頂いた瓶騎、ちょっと大きなメンテナンスが必要になるかもです」『そうか。そんな年代物、無理に乗り続ける必要もないじゃろう』

「でも使いやすいんですよ。まだまだ僕はこいつのを力引き出せていないような気がして」

『工房に頼らずに自分で整備をする。とても大切な姿勢じゃ。昔の騎士はみんなそうじゃった』

「でもサマヤさんが見てくれるようになってから凄く調子は良くなりましたから。僕ももっと勉強しなきゃですよね」

『良い心がけじゃ。ひとりでなんでも解決するのも大事じゃが、己をわきまえるのもまた大事。時には人に助けを求めることは恥じることではない。そもそも、古来、瓶騎士というのは……。ん? なんじゃ眠ってるのか?』


 寝床に転がり、寝息を立てるセオ。毛布にくるまりながら

「……あしたもがんばるかぁ。でも、めんどくさいことはなければいいなぁ」


 朝日を浴びて、元気に詰め所に向かうセオ。今日は特に仕事もないのでヨリドは自宅のガレージに置いてきている。準騎士という、縁(ろく)ではなく成果報酬で暮らすセオにとっては、仕事がなくともこうして身ひとつで詰め所に足を運ぶのは一種の営業活動でもあるのだ。


 詰め所の中庭でのんびり日向ぼっこしながら仕事を待っていると、詰め所に王都からの使者が一通の知らせを届ける。

 詰め所から王都に報告書を送ることはあっても王都から何かが来ることはまずありえない。

 使者の後を追い、騎士団長の間を覗き込むセオ。そのまわりにはセオと同じことを考えてる詰め所の騎士たちも顔を揃えている。


「王都より通達。

 ――姫君が、当面この地で静養される」


 その言葉が、この辺境の日常を静かに軋ませ始めていた。

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