第4話
「フィギュア作りは“待ち”が多いんだよね」
言いながら自分の手元に戻った祈里は、改めて慎重に筆を動かしていく。ただその手はプルプルと震えていて、細かい作業には心許なかった。
「まあ、今日はそのまま居てくれればいいよ。帰る頃には固まってるだろうし」
そう言った直後に「あ」と何やらあったらしい声を出した祈里。手持ち無沙汰になってしまった杏珠は改めて部室を見回してみる。目には入っていたがちゃんと見てはいなかった棚のフィギュアは、今し方作り終えたばかりの餅猫とは比べ物にならないほど複雑なキャラクターやロボットのフィギュアなど、改めてここがどんな部活なのかを思い知る。諒を含めて窓際に座る4人の男子の方からは、シャリシャリと何かを削る音やモーターの回る音が聞こえる。
となると、今まで餅猫を作っている横で、ずっとタブレットをいじっている、同学年らしき女子生徒が何をしているのか気になりだす。身を乗り出して覗き込んでみると、なにやら立体の図形を調整しているのはわかるのだが、何をしているのかまで窺い知ることは叶わず、ついつい好奇心が増してしまう。そんな杏珠の視線に気づいた女子生徒は、杏珠と目があってからすぐに画面に向き直り、そしてもう一度杏珠の方を伺うように視線を上げた。
「な、なんでしょうか…」
「いや、何してるのかなって」
どうやら大人しめらしい少女は、杏珠の回答を聞くとタブレットの操作に戻った。どうやら自分は怖がられやすいらしいと、薄い蜂蜜色の髪を一掬いして眺める。吊り目がちな目も、どうやら他者には厳しい印象を与えるらしい。そういうのを気にしない人がいたとしいても、気にする人が悪い理由にはならないし、実際逆の立場だったら同じように怖いと思うかもしれない。おまけに正部員ではない自分は敬遠されても仕方ないだろうと、慣れきって凪いだ状態でいると、
「こ、これデジタルで3Dのフィギュアを作ってて…」
女子生徒はタブレットの画面を杏珠に向けた。そこには灰色の立体的なキャラクターの全身が写されていて、つまりはこのデジタルデータを彼女は作っていたという。
「すご」
同い年の女の子が、自分の思いもよらないことをしていて、しかもその完成度が高いということに純粋に驚いて、感想がポロリとこぼれた。それに対して、女子生徒は「ふひ」と小さく息をこぼした。
「詩ちゃんはウチのデジタルエースだからね」
「ふへ⁉︎そ、そんな恐れ多い…」
自分の餅猫の絵付けを終えたらしい祈里が、隣に座る女子生徒の肩をポンと叩く。デジタルで作業をしているのは見たところ彼女しかいないが、確かにあのデータを作れるならエースというのも納得だ。
「ほら、詩ちゃん自己紹介」
「…鎌倉詩、です。1年です」
名前を言うやいなや、タブレットでの作業に戻ってしまった。どうやら内気な性格らしい。
「あとの男子4人はみんな作業中だし、まあ追い追いでいっか」
随分とやっつけな扱いをされた男子生徒たちは、しかし自分たちの仕事に夢中で気にしていない。
「以上、模型部の部員メンバー、に加わるかどうかは杏珠ちゃん次第、ってことで」
言って祈里は部室の書類が入った棚から一枚のプリントを取り出し、杏珠に手渡す。それは模型部勧誘のチラシだった。
「まあ前向きに考えてくれると嬉しいかな、ってことで」
そのプリントには大きくレタリングされた“模型部”と言う文字と、台座に乗った女の子のキャラクターの絵。それを握らされた杏珠は、ただ静かにプリントをじっと見ていた。
ーーーーーーー
「週明けちゃったねー」
模型部の部室で、花房祈里は誰にともなく言った。皆それぞれ作業中であり、例に漏れず祈里も作業中なのだが、大きめの独り言というのは日常茶飯事である。
「杏珠ちゃん、来ないのかなー」
祈里がその名前を出すと一瞬部員たちの手が止まる。背が高くて金髪で、ちょっとギャルっぽい見た目だけど中身は全然そんなじゃなくて、素直に粘土いじりを受け入れて、楽しそうに物を作っていた女の子。みんなそれぞれ住む世界が違うだろうと、きっと入部はしないんだろうと思っていても、言葉を交わしていなくとも、やっぱりその入部の如何については気にしているらしい。
「そういえば」
ただ1人、黙々と作業の手を止めずにいた柿谷諒が口を開いたのと同時だった。
「失礼します」
ガラリと戸が開いて、そこには背の高い金髪の女の子がいた。
「杏珠ちゃん」
「はい」
杏珠は一歩部室に入って、
「今日から入部させていただきます、御門野杏珠です。よろしくお願いします」
ややぎこちない仕草で挨拶をする。その挨拶が終わるのとほぼ同時に、
「朝たまたま会って、御門野さんが“入部するからよろしく”って言ってた」
「それ言うの遅い」
ーーーーーー
「えー、改めてようこそ模型部へ」
杏珠が正式に部員になってから部室に入ってすぐ、何やら諒が祈里に「報告!」と注意していたのを切り上げて、改まって杏珠に向き合っていた。
「部員になったわけだから一応、模型部が何をする部なのか説明しておくね」
要するに概要説明のガイダンスである。
「ウチは基本的に、部員がそれぞれ自分の作りたいフィギュアなりプラモなり好きな物を作っていい、っていう自由な感じでやってるの」
祈里は、活動報告書の間に折り畳まれたスケジュール表を広げて言う。
「一応みんなで協力しようっていうのもあってね。文化祭に部活で展示出す時はみんなで作業分担していくの大体夏休み終わりくらいの会議から始まる感じ」
そう言って9月からの日付を指でなぞって、それでスケジュール表を閉じた。
「ま、基本的に模型作ってれば自由だから、そんな気にしなくていいよ」
だいぶ緩い部活らしい。確かに、窓際の四人が一様に背を丸めて作業をしているからパッと見は規則だって見えているけれど、その4人だって皆それぞれ自分のやりたいことをしているのだから、そんなものは無いのだとわかる。というより、みんなそれぞれ自分のことに集中するからそんなものなくてもいいのだろう。
「あ、でも道具は早い者勝ちで先着順だから、それだけは注意してね」
「はい」
と言われても、専門的な道具はまだまだ使える気がしないのだが。
「それで、杏珠ちゃんは次に何作りたいとかあるの?」
「それなんですよね…」
自分が作りたいもの、と言われるとそれが何なのか、そもそも何かを形にして作りたいと思ったことすらなかったのが今までの自分で、だからそんなものはないのだが、
「わからないので、皆さんのを参考にしようかと」
「お、いいね。勉強熱心」
人のものを参考にして選ぶのも、また自分が選べる選択肢だということを知った杏珠は、少なくとも迷いは抱いていない。
「それで、花房先輩のあのフィギュアから話をうかがいたくて」
「あ、アタシからか」
初めてフィギュアという物を目の当たりにして、その造形の迫力に目を奪われたあの衝撃は、きっと祈里の好きなものに対する情熱が籠っていたからだろう。自分が同じようにそれを好きになるとは限らないし思えないが、その源泉が何なのかを知ってみたい気持ちがある。
「あれはね、昔のアニメのキャラなんだけど、ちょっと前に新劇場版っていうのがやってて。それを見てあのキャラの見た目が好きだなー、って思ったんだよね」
杏珠はそれを聞いて、キャラの像が好きというのを自分は意識したことがないなと思う。本はよく読むが、挿絵のない文庫本が多くて、好きなキャラはいても好きなキャラクターの姿はわからないことの方が多い。細かい描写があったとしても、それはモンタージュ写真のように大体のイメージでしか思い描くことができない。ここは一つ課題なのかもしれない、と杏珠は思った。
「あとはやっぱり、自分がどうなっても主人公の幸せを願うっていうキャラクター性が、どうにも切なくてね。じゃあ作ったろかい、って」
話が飛躍したように感じるが、祈里の中ではそこが線で繋がっていて、それはきっと祈里の中にしか生じ得ない感覚なんだと理解することにした。
「んー、あんまり参考にならなさそうだけど…」
「いえ、ありがとうございます」
改めて、自分のしたいことの曖昧さを認識した結果ではあるが、曖昧でもあるものならばその輪郭もハッキリととらえることが出来るかもしれない。それに、私もフィギュアを作ってみたいという衝動は健在だ。それがある限り、きっとこの好奇心は探究をやめない。
「じゃあ、次に誰の話聞こっか」
「邪魔になりませんかね?」
「キャラ愛は語りたい物だから大丈夫だと思うよ。ほら、みんなソワソワしてる」
と言われても、大抵は後ろ姿なのでそうとは判別つきにくいと思うのだが。いずれにせよ話が聞けるならありがたい。
「まあ隣にいるし、とりあえず詩ちゃんいこっか」
「ふぇ、は、はい!」
自分にお鉢が回ってくるとは思っていなかったのか、指名された詩は肩を大きく跳ねさせて大きな声で返事する。
「つ、作ってるキャラについてですよね…」
そう言って詩はタブレットに制作途中のデータの全体像を写す。
「こ、このキャラは鳴海ニコってキャラなんだけど、音楽会社のボーカルソフトのキャラでね、昔とある検索エンジンのPR動画歌ごと採用されたことから世界的に有名になって、サブカル界の象徴的存在とも言えるキャラクターで。今でもメーカーからもバンバンフィギュアが発売されているくらい人気でね、そういうことでアマチュアのフィギュア原型師からもモチーフによく選ばれるの。わたしも勿論好きだしチャレンジしたいなって思ってやってみてるんだけど、デザインは「深層少女@」っていう曲の衣装がモデルで、あ、ニコは楽曲ごとに衣装を変えたり、っていうか違うイラストレーターさんが描くから、衣装どころか顔つきのバリエーションが多いのもまた魅力で、そこからまた曲の雰囲気の表現を表現しようとする…」
「ストップ!ストップだよ詩ちゃん」
湯水のように溢れる情報が、杏珠の許容量を超えたあたりで祈里の静止がかかった。
「あんまり一気に詰め込みすぎるとパンクしちゃうから、ゆっくりいこ」
「あう、すいません…」
どうやら詩は好きなことの話になると饒舌になる性質のようだ。正直聞きなれない単語に理解が追いつかなくて、後半の内容が入っていない。けど、
「鎌倉さんが鳴海ニコのこと好きなのは分かったよ。私もちゃんと分かりたいから、話したいこと話してもらえると嬉しいな」
今の杏珠は、人の好きなものの話を聞きたいモードに入っている。だから杏珠がそう言うと、
「あうう…」
まるで眩しいものを見るように手で顔を覆われてしまった。
「これはアレかな、オタクに優しいギャルが眩しいみたいな」
手ずからソゾウ 鵯越ねむい @kapibaranemu
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