第2話
「大丈夫!難しいことはしないし、出来たら持って帰ってもいいよ」
「えっと、でも」
対人レベルの高くない杏珠にとって穏当な断り方というのは難易度が高い。突然そんなことを言われても、困るというのが正直なところだ。
別にどうしても断りたい、というわけでもないのだが、突然の訪問者である自分にこれ以上時間を割いてもらうのは気が引ける。というかそもそも、
「部外者ですし」
「じゃあ体験入部だと思って」
逃げ道が一個潰された。
「祈里はさ」
背の高い男子生徒、諒がゆるりと入ってくる。
「体験入部用に簡単なマスコット作りを用意してたんだけど、想像以上にガチ勢ばっかで去年も今年も使わなかったから必死なんだ」
「そうだけど、そこまで全部言わなくても…」
「だから俺からもお願い」
「ええ…」
断りにくいと思っていたところに2人してお願いされると、もう逃げ道を見出すことは出来なくなっていた。そもそも、縁遠いとは感じているが、興味がないわけではない。
「…わかりました。やってみます」
「うおお、ありがとう!」
体験入部ってこういうものなのかな?とか思ったけど、予想もつかないのでやめた。
ーーーーーーーー
「やってみよー」
「お、おー」
急遽始まったフィギュア制作講座。机の上にはまず新聞紙が敷かれ、その上には小学校で使ったような粘土と粘土板に粘土べら。そして給食の時に見たような銀の椀に水を入れたものと筆、それと布巾。そして爪楊枝がある。
フィギュア作り、と言われどんな専門的なものが出てくるのかと身構えたものだが、案外見知った道具ばかりで気が楽になる。
「今回作るのはもちねこ。鏡餅みたいな猫ね、あたしが考えたんだ」
そう言って渡されたプリントには大きく完成図とされたそのキャラクターが描かれていた。頭と体がそれぞれ大きさの違う楕円形で、それを重ね合わせた上に猫の耳がついている。となれば、なるほど鏡餅と猫というのがそのまましっくりくる。
「おおまかな流れは載ってる通りだけど、細かいところはちゃんと説明するから安心してね」
「はい」
「それじゃ早速、」
言いながら粘土を必要分取ると、
「粘土を捏ねるとこからはじめよっか」
粘土板の上で粘土をこね始めた。
「これは石粉粘土って言ってね、乾燥させると石みたいに固くなるんだ。で、いまはその固さにムラが出ないように均してるの」
杏珠もそれに倣って粘土を手に取ると、粘土質の独特な感触が手につく。
「なんか、不思議な感じですね。久しぶりに粘土触るのって」
「そうなんだー。私はずっと触ってたからそういうのわかんないけど、じゃあ体験入部っぽい?」
「…かもしれないですね」
そうこうして20秒程ほど捏ねた後、
「んじゃあ、これを半分にして、そんで片方をも少しちぎる」
すると大中小の三つの塊になる。
「大きいのと中くらいのやつは丸めてちょっと潰す、と」
大きい楕円とそれより少し小さい楕円が出来上がる。
「ここがちょっと特殊なんだけど、中くらいのやつに爪楊枝のお尻の部分を刺して、それ先の部分を大きい方に刺してから抜く。これは後でくっつける時のガイドになるから、なるべくまっすぐにね」
「はい」
すーっと爪楊枝を刺して抜くと、当然爪楊枝一本分の穴が空く。中々集中力を使う作業だ。
「あとは小さくちぎった粘土を2つの三角錐にして顔のほうに水で貼っつける。水を使う時は筆を使うと量が調整しやすいよ。引っ付けるところは粘土べらで擦り付けるようにすれば継ぎ目も目立たなくなるし」
粘土に水を塗ると、作業中に乾き出した表面だけが元の粘土質に戻って、擦り合わせるとくっついていく。そうするとシルエットだけはプリントに描かれた通り、鏡餅の猫だ。
「ん、これでだいたい出来上がりだね。あとはやすりで表面を磨いたり顔を描いたりなんだけど、それはまた明日ってことで」
「どうしてです?」
言いながら杏珠は次の工程を楽しみにしている自分がいたことに気づいた。
「こういう粘土って表面は乾いてても中がまだ柔らかかったりするからあんまりいじったらダメだし、それに」
そう言って祈里は、壁掛けの古い時計を目で示す。30分以上経っていた。読書以外で時間を忘れたのは久しぶりだ。
「部員じゃない子を引き留めすぎちゃったら先生に怒られちゃうしね」
「そうなんですか⁉︎」
「まあ「帰宅部ならさっさと帰れ」くらい言うわな」
聞き馴染みのない低い声が最後にあって、その声のする方を向くと、
「よう、ずいぶん楽しそうだったな」
そこには見慣れない細身の教師が組んだ足を手で抱えるようにしてパイプ椅子に座っていた。それを認めるなり杏珠は、部員でない自分がいると祈里が怒られるのではと慌てて、
「あ、あの私…」
「体験入部みたいなもんなんだろ?なら怒ったりしねえから安心しろ」
どうやら冗談だったらしい。それでもなお、慌ててカバンを持とうとする杏珠に、
「帰るにしても、まずは手洗ったほうがいいよ」
言われてから杏珠は、自分の手が固まった石粉粘土で白くなってることに気づいた。促されるまま、美部室の中に備え付けてある古い水道で手を流すと、粘土はすぐに溶けて剥がれていった。
そうして改めて戸に手をかける。
「じゃあまた明日ねー」
「は、はい。また明日…」
そそくさと戸を閉めて出ていく杏珠を見送って、祈里と諒以外の模型部部員たちは一息ついた。その様子に教師はニヤりと笑みを浮かべる。
「いやー。一年に背の高い金髪ギャルが来た、とは噂になっていたが存外普通っぽそうだな」
「あー、やっぱソレあの子だったんだ。でも全然ギャルっぽくはなかったよね。ねえ?」
「そんな噂あったんだ」
「諒は知らんかあ」
そして祈里は、杏珠が去った扉を見る。
「明日も来てくれるといいなあ」
ーーーーーーーーーーー
「お邪魔します」
「お、いらっしゃーい」
先輩にぶつかって部活に引き込まれて昨日の今日、杏珠は放課後にやはり模型部の部室を訪れた。部室内はやはり、接着剤や油彩絵の具のような匂いが鼻を刺す。今日もほとんどの部員は各々作業中らしい。その中から、ぶつかったその先輩が迎え入れてくれる。
「そういや昨日は名前も聞いてなかったね。あたしは花房祈里、一応模型部の部長」
「あ、御門野杏珠です。一年です」
言ってお互い軽く会釈する。そんな今更なやり取りがおかしかったのか、祈里はふふと笑うと、
「じゃあ早速はじめよっか」
「はい」
昨日の続きが始まる。
「と言っても、全体を磨いて塗装したらまた乾燥待ちになるんだけど…」
昨日と同じように机の上に新聞紙を敷く。昨日と違って粘土板は置かないでいいといわれたので、経済ニュースがでかでかと見える。
「はい、これ杏珠ちゃんの」
経済ニュースの上に、白い塊がコトリと置かれる。楕円と、同じような楕円に猫耳と爪楊枝が刺さったそれは、昨日杏珠が作った時のままの形でそこにあった。しかし、手元に寄せようと手に取ると、明らかに先日と違うところがわかる。
「固まると石みたいって、ホントですね」
「そうそう、石粉粘土だと水分が全部飛んだ状態を完全硬化って言うんだよね。あでも、水につけるとまたふやけるし溶けるから注意ね」
今日は水使わないけどね〜、と祈里は部室の棚から厚紙のようなものを取り出す。近くに来て、それが紙やすりであることがわかった。
「次の工程はやすりがけ。地味だけどフィギュア作りにおいては細部を決める大事な作業なんだ。まあ今回はそんな細かいことはしないけど…」
言って祈里は、杏珠に手解きしながら作っていた自分のマスコットの頭の部分を、杏珠に見せる。
「ほら、柔らかい時に触ってついた指紋がいっぱい。ちゃんと見た時に見栄えが悪いから、こういうのを磨いて綺麗にするの。固まった後だから新しくつくこともないしね」
「へー」
まじまじと見れば粘土の白で飛んでしまいそうだけど、確かに柔らかい時に触った分だけ、指紋がハッキリ見て取れる。それを小さく切った紙やすりでシャリシャリと擦ると、まっさらになだらかな面が生まれる。
「こんな感じね。そんなに力を入れなくていいから、表面だけ削る感じで」
「はい」
「それで、これが」
どでん、と机の下から蓋に何かしらがついた大きめのタッパーを置く。中には水が入っていてチャプチャプと揺れている。
「卓上集塵機ね。削って出た粉を吸い取るの、使って」
フィーン、と蓋の上の荒目のネットの中で装置が回る。詰まるところ扇風機の逆版のようなもので、風を引き込むことで細かいゴミを吸い取る仕組みらしい。
「おお…、プロっぽいのが」
「手作りなんだけどね、へへ…」
「手作りなんですか⁉︎」
この部長は思った以上にやり手なのかもしれない、なんの知識もなしにそんなことを思った。
それからしばらくの間、シャリシャリと粘土を削る音とフィーンというモーター音が部室に響く。集塵機の上で粘土を削れば、粉が出て間もなく吸い込まれていき、手元にはわずかな削りカスが残るのみ。そんな作業をおよそ10分、集中し続けていた。
「ふー」
白い楕円に指紋が確認できなくなって、ようやく杏珠は一息ついた。
「結構大変ですね」
「そうだねー。おおまかな形でも見るとこはちょっとずつ細かいし、全体を均一にってなると意外と神経使うでしょ?」
「はい」
杏珠は手の中の楕円をじっと見る。やすりをかけた表面は粉っぽくて、ついとなぞると指に粉がつく。するとなだらかな面が浮き出て、その表面は軽く光を反射して輝いて見えた。
「でも、楽しいのもわかる気がします」
なんてことはない地味な作業で、傍目から見ればどうってことはない白い塊でも、「自分が作ったんだぞ」って言いたくなる。そんな高揚感がこの手の中にある。
「それはよかった。じゃあ、もう一つもやっちゃおっか」
「はい」
そして再び、やすりがけに集中していく。少し手慣れたのか、今度は耳や爪楊枝のついた少なからず複雑な形のはずが、10分と立たずに終わってしまった。
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