手ずからソゾウ

鵯越ねむい

第1話


 ああそっか、単調なんだ。


 5月半ばの朝の昇降口で、外履きのローファーと上靴とを履き替えるさなか、御門乃杏珠みかどのあんじゅは不意にそんなことに気づいてしまった。


 高校に進学してから1ヶ月と少し。例えるならまだ新入生と言われてしまうような期間であっても、1ヶ月あるならば新しい通学の道程は毎日のように見るものでしかなくなって、振り分けられた1クラスも見慣れてしまえばなんてことはない同級生。授業の範囲も中学校の内容の総ざらいは早々に、今はもう高校課程の新しい法則だ方程式だを頭に詰め込まされている。

 いち学生としてはそれが当たり前のことだと知っている。勉強も、面倒だと思う時もあれば気まぐれ程度にやる気が出る時もある。そう多くはないが友達もいる。別段、学校を嫌だと思ったことはない。


 それでも単調だと思ってしまうのは、きっとこの先に何も見えていないから。目先であれ将来であれ、目指すべき“像”を持てていないのでは、ということに気づいてしまったから。とりわけ厄介なことに、“気づき”というものは唐突で防ぎようがなく、そして新しい視点をもたらすものでもあるということ。

「他人のソレが羨ましい」「自分は探そうと思ったこともないくせに」「羨んだところで自分のモノには出来っこないのに」とか、今まで見えていなかった言葉達が、その距離を埋めるようにふつふつと浮かんでは、他ならぬ自分のせいなのだと告げてくる。それがどうしようもなく現実で、停滞しているのが現状なのだと突きつけてくる。


「うわ……」


 こんなことを朝の、なんでもない時間に気づいてしまうなんて、まったくもってイヤになる。けど、1人でどれだけイヤな気分になったところで時間は私が立ち直るまで待ってくれるほど都合よく出来ていない。ので、仕方なく重くなった気分を抱えて歩き出す。2階にある自クラスの教室で、自分の席に着いたなら、いつもみたいに[本を読んでいれば(現実逃避すれば)]いいや、という考え方がすでに逃げていることと変わらないと気づきながら。

 そんな風に、焦点の合わない気分でふわふわ歩いていたからだろう。すぐそこの曲がり角からやってくる人影に気づきはしたが、すでに手遅れで、


「わぷっ!」

「っ⁉︎」


 そのままぶつかってしまった。杏珠にとっては片足を半歩ずらす程度の衝撃だったが、素っ頓狂な声をあげたその女の人は、ぽーんと弾かれるように後ろへ倒れていく。危ない、と思った次に瞬間、その人は後ろから来た背の高い男の人に受け止められた。


「大丈夫?」

「ありがと、って、わー⁉︎」

 

 またもその人が素っ頓狂な声をあげたのは、抱えていたクリアケースの蓋がぶつかった衝撃で開いてしまい、中身がバラバラと溢れてしまっているからだった。目の前で2人がそれらを拾い始めたので、ぶつかった当の杏珠も廊下に転がるそれらを拾い集める。

 いくつか手に取ってみると、それは滑らかな曲線を持った棒のような物だったり、筋張った線を持つ塊だったりと色々な形をしていて、それでいて全てが灰色一色だった。杏珠には、それらがなんの目的があっての物なのかは見当がつかなかったが、2人の扱い方から見て大事な物なのだろうと思えた。


 そうして一通り拾い終えると、杏珠は拾った物を両手に広げて女性に差し出す。リボンと校章の色から、その人が3年生であることがわかった。後ろにいた男の人は2年生のようだ。


「あの、コレ」

「テキトーに入れてくれちゃっていいよ、ありがとね。あ、そうだ、怪我とかない?大丈夫?」

「はい、大丈夫です」


 アナタの方が吹っ飛んでましたよね?とは言わないでおいた。テキトーに、と言われたもののどう扱えばいいか一瞬悩んだ後、結局ザーッとケースに流し入れた。箱の中には灰色のナニカがさらに詰まっていて、中には見覚えのある形もあるように見えたが、杏珠はあまり気にしなかった。


「それじゃあね」


 クリアケースの蓋を閉じると、2人は足早に連絡通路の方へ向かった。その先には部室棟があるのだから、何かの部活動なのだろう。それ以上詮索することなく、自分の教室に向かうことにする。

 数歩進んで、片足に違和感じみた痛みがあることに気づいた。かがんで見てみると、足の甲と上靴の間に、ついさっき見たような灰色のナニカが挟まっていた。鋭く尖った曲線が幾つか連なったもので、コレまた何の目的があってのものか分からない。


「ええ……」


 目の前でつまんだそれに、杏珠はただ当惑するしかなかった。




 ーーーーーーーーーー


 1-3の教室で杏珠は、自分の席で頬杖つきながら、もう片方の手で灰色のナニカを弄んでいた。ソレは先ほど廊下でぶつかった3年生の人が持っていたもので、その人が部活で使う何かだろうことは判明しているものの、一体あの人が何者で、どんな部活をしているのかは分からない。そもそも、さっきぶつかったというだけの接点なのだから、届けに行こうにも届け先がわからない。


「どうしよう……」


 そんな風にため息をついていると、


「おはよー。…なんかあった?」


 クラスメイトで友人の淡谷瑞希が制服のリボンを前後回しながら声をかけてきた。この友人は陸上部に所属していて、平日の何日かは朝練をしているので、こんな風に着替えを整えながら入ってくることはままある。その様子を見るたびに、この友人には情熱を傾けるものがあるのだなあ、と少し羨ましくなる。

 それはそれとして、


「ん」

「なにこれ?」

「わかんない」


 手に持った灰色のナニカを掲げてみれば、詮無いやり取りが一往復。瑞希が前の席に座ると、杏珠がソレを持つに至るまでの経緯を聞いた。


「ふーん。じゃあ多分部活ってことしか分からない感じ?」

「多分だけど、そう」


 正味な話、それ以上の情報がないのが現状で、だから惑うているのだが。しかし瑞希は少し考えたてから、


「他に何かなかったの?物はコレだけじゃなくて、その先輩はいっぱい持ってたんでしょ?」

「あー」


 言われて杏珠は思い出す。見覚えのあるような形の物があったこと、それは灰色の山に埋もれながらも確かに、


「手…?ヒトの手っぽいのがあった。うん」


 手の形をしていた物を見た。その他雑多の中で見覚えのあるものといえばそれくらいでだったので、印象に残っている。とは言え、ソレくらいしか覚えてないのだから、進展があるとはとても言えないだろう。そう思ったのだが、


「じゃあ模型部かもね」


 この友人はサラッと答えを導き出してしまった。


「部活紹介で見た写真に、バラバラにされたフィギュアの写真があったんだよね。絵力あったから覚えてんの」

「へー」


 あまり良い風には聞こえないけど。


「杏珠も見たでしょ、覚えてない?」

「風邪」

「おお…」





 ▽


 放課後すぐ。帰宅部部活生のべつなく校舎の中の往来が多くなる時間。杏珠は旧校舎を基にした部室棟を訪ねていた。外見は木造建て古い校舎そのままだが電気設備は新たに整備してあるらしく、季節による不便はそれほどない、という話を学校説明会でされていたことを思い出した。

 その部室棟の一階の奥まった場所。旧美術室の扉が二つあって、手前は美術部の張り紙。そしてもう一つの奥側の戸に模型部の張り紙があった。


「すいません」


 コンコンと戸を叩いてみると、中から複数人の声が聞こえてきた。戸を隔てているため話の内容は明瞭には聞こえなかったが、誰かが出てくれることはわかったので、少し待っていると、


「はいはい。なんのご用でしょう」


 背の高い男子生徒が出てきた。朝会ったうちの1人だ。その人は、怠さを隠しもしない、けど不思議と失礼に感じない覇気のない声で要件を伺ってくる。


「あの、コレ。多分朝の時に上履きの中に入ったぽくて…」

「朝?…ああ、祈里」


 背の高い男子生徒は、杏珠の手の中の物を確認して、杏珠の顔をじっくりと見た後部室の中に声かける。つられて見た部室には他に5人の生徒が見えた。そのうち3人は男子生徒で、窓際の机に向かって背を丸めて何事かしているようだが、角度からして何をしているのかは見えない。後の2人は女子生徒で、部屋の中央に置かれたテーブルにいるのは一緒だったが、うち1人は液晶タブレットをペンで忙しなく操作していて、もう1人は灰色の人形の前を前に机に突っ伏していた。

 祈里、と呼ばれてこちらを見たのは机に伏せている女子生徒だった。首だけをぐるりと回して姿勢は変わっていない。顔が見えて朝に会った女生徒だとわかった。


「なに?今、気持ち整えてる最中なんだけど…」


 それは明らかに不機嫌な声だったので、大丈夫なのだろうかと訝しんだのだが、


「それ要らないかも、ホラ」


 そんな機嫌を向けられても動じることなく、背の高い男子生徒は覇気のない声で、その祈里という人を手招きする。少しの逡巡があってから、その祈里という人は立ち上がってこちらに来る。唇が尖っているあたり、機嫌はまだまだナナメなようだ。


「あ、朝の子。え、やっぱり怪我?」


 祈里は杏珠を認めるなり、心配が勝ったらしく、大きな声を上げて杏珠の身体を確認する。


「いや、そうでなくて、コレ」


 背の高い男子生徒が杏珠が手の中の物をを見るように促すと、


「うわー!え、どう、え?あったの?えー」


 先ほどまでの態度とはうってかわって今度はテンションがおかしな事になっている。傍目からは情緒不安定に映るかもしれないが、それだけこの灰色の物が大事だったということなのだろうか。


「ありがとう!キミは恩人だね!」

「いや、ぶつかったのが良くなかったわけで…」


 そして、それは自分の前方不注意が招いた事だから、感謝されるような謂れもないのだが。しかし、目の前の御仁にとってはそんなことお構いナシで杏珠の手から、その灰色の物を受け取ると、


「うわー、いやー、もう一度作る事にならなくて本ッ当によかったー」


 心底ホッとしたようにため息をついたのだった。それにしてももう一度、とは、


「これ…、先輩が作ったんですね」

「そうだよ、模型部だからね」


 その模型部とやらがいったい何をする部活なのかがイマイチわかっていないのだけれど、持ち主がこれだけ喜んでいるならそれだけ大事な物だったのだろう。それなら良かった、と思うことにしていよいよ帰ろうかと思った矢先、その灰色の物が結局何だったのかを窺い知ることはできなかったなあ、とふと思った。もともと降って湧いたような縁なのだから、今後知る機会もないだろうけど、きっと気にすることも無くなっていくんだろう。

 そんな風に考えながら踵を返そうとしたその時だった。


「そうだ!時間あるなら見てかない?」

「へ?」


 呼び止められてしまった。


「でも、私模型とかわかんないし…」

「大丈夫だいじょぶ!かるい部活見学だと思ってくれればいいから」

「見学…」


 そういえば、したこと無かったな。そう思った矢先、袖を引っ張られて部室に引きづり込まれる。一歩入った途端、接着剤のようなツンとした臭いが鼻を刺した。


「ようこそ模型部へ」


 パーテーションや棚で間仕切りされた旧美術室。棚の中には明らかに素人の手製だとわかるものから、素人目には既製品とも判別つかないフィギュアが並んでいる。壁の所々には何やらアニメキャラクターの絵があって、細かく注釈が振られたりしている。

 その部屋は、杏珠が今まで触れたことのない物で満ちていた。


「いやー、ホントは部活メンバーに見せて反応見たかったんだけど、パーツが足りないって大騒ぎになっちゃって」

「祈里がね」

「それな。だからまあ、誰でもいいから見てほしいな、っていう欲求がね」


 言いながら祈里はさっきまで座っていた席からフィギュアを手に取って、灰色のパーツをダボのウケとハメで継ぎ合わせる。それから机の上にフィギュアを置いて、じっとそれを見つめてから、


「よし、完成!」


 と手をパンと叩いた。すると他の部員もわらわらと寄ってきては一瞥して何か納得したように自分の作業に戻っていく。やっぱり私必要なかったんじゃね?と思ったが、


「一回見ちゃったからね。こんなもんよ」


 どうやらいつも通りとは違うらしく、すすっとフィギュアを目の前にする席を薦められる。促されるままに座ると、灰色一色のフィギュアの細部が見て取れる。細かい造形の一つ一つから伝わる情報は多いのに、それでいて大きく全体で見ても破綻することがない。アニメや漫画に疎い杏珠でも、そのフィギュアが海辺で風に吹かれる薄幸男子だということがわかった。そんな非実在性の塊みたいな存在が、形を得て確かにそこにあった。

 ともすれば、杏珠はそれらを具体的に汲み取れているわけではなくて、ただその造形の情報量に圧倒されているだけかもしれない。それでも、感じたことを言うならば、


「…すごいですね」


 だった。


「何がどう、とかはよく分かりませんけど、すごいことはわかります」


 初めてフィギュアをまじまじと見つめてみて、これを目の前の人が作っているのだと思うとやはり“すごい”という感想がしっくりくる。それを聞いて、


「へへ…」

「祈里ニヤけてる」

「んんっ」


 軽い咳払いが聞こえた後に、


「まあこれは色がつく前だから、未完成っちゃ未完成なんだけどね」

「そうなんですか?」

「祈里は塗装が得意じゃないから」

「自分でもやれるとこはやるけどさ。顔とかは諒、コイツに任せてるんだ。上手いし」


 祈里が背の高い男子生徒のことを拳でぽんぽんと示せば、杏珠はそういうものなのかと納得するしかない。それにしても、ともう一度灰色一色のフィギュアに戻せば、やはり圧倒されるような造形がそこにあった。これを手製で作り上げたのだろうかと、それは果たしてどれほどの熱意と労力が込められているのだろうかと。そして、


「楽しそう…」


 気づいたら、その言葉は口をついて出ていた。

 目の前の作品がかなりの労をして作られたであろうと分かっても、少なくとも自分には楽しさだけでは作れないだろうと分かっても。それでも、目の前にいる祈里の様子は楽しそうで嬉しそうで、それは杏珠のもとには無いと自覚したばかりのものだった。

 ほとんど無意識的に出てしまった言葉に、杏珠が呆けていると、


「ホント⁉︎興味ある⁉︎」


 ずずいと祈里が近寄ってきた。杏珠がその様子に驚いて固まっていると、


「祈里、ステイ。びっくりしてる」


 諒と呼ばれていた背の高い男子生徒が祈里の首根っこを引っ張って宥める。された祈里はジトっと諒を見てから、首元を軽く整えると、杏珠に向き直り、


「じゃあさ、やってみない?」

「え」


 これもまた、楽しいことのように提案したのである。

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