第2話 スポットライトを浴びて

 写真の撮影を終え、公園から戻ってきた私は、再び控え室の椅子に腰を下ろしました。

 ステージまでにはまだ少し時間がありますが、衣装を着たまま、紙袋も被ったままで待機します。

「ちょっと打ち合わせに行ってくるね」と言った亜紀ちゃんは資料を抱えて出ていき、部屋には私ひとりが取り残されました。

 ……静かでした。いや、静かすぎます。

 紙袋の中はむわっと熱がこもり、呼吸するたびにこすれる音が耳に残り、汗が首筋を伝うたびに、「まだなのかなあ」とため息が漏れました。

 亜紀ちゃんと一緒にいたときは気が紛れたんだ、一人でいるというのは、こんなにも心細いものかとさびしい気持ちに負けそうになって、ふと、壁にかかった鏡に視線を向けると、そこには奇妙で、無機質で、どこか哀れな私が写っていました。

 控え室のドアが開くとともに部屋に響いた、亜紀ちゃんの「お待たせ!」という声は、本当に素晴らしいものでした。

「ごめん!打ち合わせ長引いちゃった!」

「……ほんとに辛かったよ。誰もいないって」

「そんな思いさせちゃって、ごめんね。でもね、あなたがそうやって頑張ってくれてるから、私の作品はちゃんと生きいくの。だから…もう少しだけお願いね」

 そう言いながら、彼女は私の肩にそっと手を置いてくれました。


 ライトの眩しいステージから漏れる音楽とざわめきが、舞台袖まで伝わって来る中で、緊張で胸がどきどきていた私は、足を少し震わせながら、他の「作品」たちと、奇抜な衣装を纏った女性たちと、横一列に並んでいました。

 横に立っていた、真っ赤な羽根を背負った女性が、私に小声で話しかけてきます。

「その紙袋、かなり暑いでしょ?私も背中に扇風機でも仕込めばよかったって後悔してるの。」

 思わず笑いそうになって、私は声を潜めて答えます。

「ええ、もうサウナ状態です。でも羽根も重そうですね。」

「重いどころじゃないわ。肩に食い込んで痛くてたまらないのよ。」

 さらに、頭の上に大きなオブジェを載せている女性は、ため息まじりに言いました。

「歩くだけで首がガクガクするの。終わったら絶対湿布貼らなきゃ。」

 その傍らには高いハイヒールを履いた細くスマートな足をした某有名デパートの包み紙ですっかり梱包された女性がつらそうにぼやきます。

「私、腕組みをしたままごっつい袋に入れられてるのよ。その袋に包み紙が貼られているって訳。大事な包み紙が破れないようにですって!腕を動かせないって本当に辛いし、歩くときも怖いわ」

 今度は隣の、全身をキラキラと光る金属のような銀色の布ですっぽりと包まれた女性が口を開き、こもったよく聞き取れない声でつぶやいています。

「蒸れるし、自分の吐いた息しか吸えてないみたい。ああ、美味しい空気が吸いたいわ!」


 みんな、それぞれ大変な思いをしている、外から見れば華やかな「作品」でも、その裏側には汗や痛みや不安があると思うと、一人じゃないんだと思え、勇気づけられました。

「よし、私も頑張ろう。最後までやりきって、彼女の作品になるんだ。」

 決意を新たにしたその瞬間、舞台監督の声が響いてきました。

「次、準備してください!」

 列がゆっくりと動き出す。舞台袖の暗闇が一段と緊張を高めるなか、私は仲間たちと一緒に、光の待つステージへ一歩踏み出すのです。


 光を反射して無機質に輝く冷たく硬質で、匿名性の極みを体現したような「銀色の女性」と、その隣に並んだ「紙袋レディ」が並んで登場します。

 銀色の女性が冷たい未来の彫刻なら、紙袋レディはどこかユーモラスで人間味が漂う異形であり、また銀色の布が反射する冷たい光と、紙袋の穴からこぼれる柔らかな髪とのコントラストは、不思議な調和を生み出していたはずです。

 顔も頭も完全に銀色につつまれ、目や口の位置は一切分からない無機質な女と、視界の穴や髪の乱れが生々しく「人が中にいる」ことがわかる紙袋を被った女、この二人の並びは、観客席に強い印象を与えたようで、会場には小さなどよめきが広がりました。


 紙袋を被った私は、小さな穴から切り取られたほんの少しだけを見ていたのですが、それも、照明が強すぎて、見えるのはただ白い光の破片という感じでした。

 それでも足を前に出すと、舞台の床の硬さが靴底から伝わってきて、「今、自分は観客の前に立っているのだ」と実感します。

 一歩ごとに、紙袋の穴から細くこぼれる光が揺れ、衣装に巻きつけた布がふわりと動きます。

 見えないはずなのに伝わってくる観客席の視線を感じるたびに、息が詰まりそうで、でも同時に背筋を伸ばさずにはいられませんでした。

 中央まで進み私は立ち止まります。

 ゆっくりと首を傾けると、紙袋から垂れる髪が揺れ、それが表情の代わりとなって観客に動きを伝えます。

 腕を軽く広げると、袖に巻いた紙がガサリと鳴り、その音さえも会場に心地よく広がります。

 数秒の間、静止して、再び動き始めます。

 ステージの端に向かって歩くとき、穴越しにほんの少しですが、観客の顔が、スマートフォンの小さな光が見え、もちろん、観客の表情まではとても分かりませんが、「見られている」という実感が私を突き刺します。

 最後にもう一度、立ち止まり、身体を小さくひねると布が揺れ、紙袋の穴から漏れる光と影が交差します。そのまま姿勢を保ち、観客の拍手が高まるのを耳で受け止め、私は静かに踵を返して、舞台袖へとゆっくり歩みを戻しました。

 暗がりに一歩足を踏み入れた瞬間、視界に差し込んでいたまぶしい光がすっと消え、息苦しさの中で張りつめていた心臓の鼓動が、ようやく少しずつ落ち着いていきました。あと少し、あとほんの少しです。


「おかえり!」

 待っていた亜紀ちゃんが、笑顔で駆け寄ってきました。

「じゃあ、とるね」

「いや、自分でやらせて!」

 私は、紙袋の端を持ち、思いっきり破ります。

 ビリッ、ビリ、ビリ、ビリ、ビリッ。

 クシャクシャと丸めて、ゴミ箱へポイーッ。

「ああ、スッキリした。いい気味ね、私を苦しめたお礼よ!」

 心地よい響きとともに、明るく、さわやかな世界が私を包んでくれました。

「でもすっごく良かったよ!ちゃんと観客の視線を引きつけてた。もう、私が思い描いてた以上だった!」

 彼女の声は興奮に満ちていて、その様子に私は思わず苦笑します。

「もう本当に見えなかったよ、足を踏み外さないようにするだけで精一杯だったんだから。かっこよく見えてた?それは奇跡だよ。」

「奇跡じゃないよ、あなたが頑張ったからだよ。ほんとありがとう。」

 紙袋の中の熱気と汗で、髪もぐしゃぐしゃだし、メークは流れ落ちていましたが、亜紀ちゃんの差し出してくれたスポーツドリンクは本当に美味しものでした。

「……まぁ、滅多にできない体験だったわ。観客の拍手も聞こえてきたし、悪くはなかったかな。」

 二人で顔を見合わせ、思わず小さく笑い合いました。


 帰り道、私に浸みこんだ紙袋の臭いがなかなか抜けず、通りがかりの人が変な顔をするのには、困りました。雑に扱われた紙袋の呪いだったのでしょう。

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アートなオブジェになった! 松本章太郎 @Kac3gtdsty

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