アートなオブジェになった!
松本章太郎
第1話 夕暮れの公園で
私はデザインスクールに通う亜紀ちゃんの卒業制作のモデルになってくれと頼まれました。
控室の机の上には、穴をたくさん開けた大きな茶色い紙袋、そう昔、お店で品物を買ったときに入れてくれた茶色い袋が置いてありました。
「懐かしいでしょ。でもただの茶色い紙袋じゃないの。小さな穴をたくさん開けて、外も見えるように、息もできるようにしてある特別仕様の紙袋よ!」
「私が、これ、この紙袋を被るの?」
「うん。お願い、これで完成なの。昭和レトロって感じがして、私のデザインが引き立つわ。髪の長いあなたにしか頼めないのよ」
その真剣な目に押されて、私は深呼吸して「よし、やろっか」とうなずきました。
衣装を着けた後、最後に紙袋を頭にかぶると、あの独特な臭いに、ちょっと酸っぱく、ちょっと湿った、あの木のような臭いに包まれ、懐かしい気持ちがしました。
中はちょっと薄暗い茶色の世界です。小さな穴から見える外の世界はぼやけてよく見えません。小さな穴から漏れる光がチラチラ見えている感じでしょうか。
「わ、見えない…。なんかちょっと怖いかも。」
「大丈夫、私がそばにいるから。動かないでね。」
そう言って亜紀ちゃんは、頭の片隅に開けられた穴から私の髪を外へ引き出し始めました。紙がカサカサ鳴って、髪がひっぱられるたびに「いたっ」と声をだしてしまいました。
「待って、前髪が引っかかってる!髪の毛を外に出さないと…ちょっと我慢して!」
私の頭のまわりをぐるぐる回りながら、ピンセットでつまむみたいに髪を穴から引っ張り出しました。
「い、痛っ!ちょっと頭皮ごと持っていかないで!」
「ごめん!でもきれいに見せたいの。少しだけ我慢してね。」
穴から出てきた髪を丁寧に整えていく。だけど紙がカサカサ鳴るし、髪の毛は勝手にバサバサ散るし、なかなか言うことを聞いてくれません。
「ねぇ、私って今どんな顔になってる?」
「うーん…なんか、紙袋から毛が生えてる感じ?」
「最悪じゃん!(笑)」
二人で顔を見合わせて吹き出しながらも、亜紀ちゃんは手を止めません。ピンで留めたり、スプレーをかけたり、何度もやり直してようやくそれっぽく形にしていきます。
「これでいいかな」という亜紀ちゃんの声がしました。私は鏡をこわごわと見ました。その鏡に映る自分はもうただの「私」じゃありません。紙袋から滑らかに流れる髪が光を受けて揺れ、妙に幻想的で、ちょっと誇らしくすら感じました。た。
「よし、完成!…うん、やっぱりカッコいい。異世界のアートって感じ!」
「ほんと?紙袋お化けじゃなくて?」
「違う違う!紙袋お化けを超えて、もうアートの域だから!」
「それ、褒めてるのか怪しいけど(笑)。」
ちょっとシュールだけど、亜紀ちゃんが夢中になる気持ちはわからなくもなかったです。
亜紀ちゃんは突然言い出しました。
「ねぇ、せっかくだから写真の撮影をさせてよ。発表会場だけじゃもったいないわ。近くに公園があるし、そこで撮ろう!」
「えぇー、公園!?ちょっと待って、こんな格好で外に出るの?人に見られちゃうじゃない。」
外を歩くだけでも勇気がいるのに、ましてや公園なんて、人の目にさらされるなんてと考えただけで顔が赤くなります。
けれど亜紀ちゃんは、にこにこと笑いながら首を横に振っています。
「だからこそ、面白いのよ。公園の緑の中で、この衣装がどんな風に映えるか、私、どうしても見たいの。作品として絶対にいい写真になるはず!」
その熱っぽい口調に、その顔に私は驚かされました。普段のおちゃらけた雰囲気とは違って、声は凜と響き、まっすぐな眼差しが私を見つめているのです。
「……ほんとに、やる気なんだね。」
「うん。お願い、一緒にやってくれない?この瞬間を残したいの。」
その必死さに押されて、ため息をつきながらも、了解してしまいました。
「わかったわよ…。公園まで行こう。」
「やった!ありがとう!絶対に素敵な写真になるから!」
彼女のあまりに嬉しそうに跳ねるような姿を見た瞬間、私もなんだか嬉しくなって笑ってしまいました。
こうして少し緊張しながらも、夕映えの道を亜紀ちゃんに手をひかれた紙袋レディーは公園へ向かったのでした。
外に出ると、その穴から見える景色は、いちいちツッコミをいれたくなるほど不思議で面白かったんです。
無数に開けられた小さな穴から差し込む光は、まるで夜空の星のようにバラバラに散らばっていて、その隙間から覗く景色は途切れ途切れ。普段なら一目で捉えられるはずの人の顔や建物の輪郭が、粒子のように分解されて目に入ってきました。
商店街にまでさしかかったとき、その感覚はいっそう強まります。店の灯りは穴ごとに別々の光の点となり、夕焼け空が細かいオレンジの破片みたいに見えます。人の動きも連続性を失って、まるでコマ撮りのアニメーションを見ているかのようでした。
夕暮れの光に照らされる道を、普通の人たちがごく当たり前に歩いています。そこにこんな格好の自分が混ざるなんて……。
「……ねぇ、帰らない?」
「何言ってるの!さぁ、行こう!」
彼女は迷いなくスタスタと歩いていきます。私は少し距離をあけながらついていきます。
通りすがりの親子がこちらを振り返り、子どもが大きな声で「ママ、あれなに?」と指さしました。
母親は気まずそうに笑いながら「芸術よ、芸術」と答えています。
いやいや、お母さん、ざっくりすぎるでしょ!と心の中で突っ込んでしまいました。
さらに、自転車に乗った学生たちが「うわ、やば!」「写真撮っとこ」と言い合いながら通り過ぎていきました。スマホを向けられるたびに、私は顔から火が出そうになります。
「ちょっと、完全に注目の的だよ!恥ずかしすぎる!」
「大丈夫、作品だから!自信持って!」
夕焼けの公園では、木々の枝が穴ごとに分断されて、なんだか“バラバラパズル”の中を歩いているみたい。隙間から差し込む光がチカチカして、ちょっとクラブの照明みたいにも見えました。
公園の木々も、古い家並みも、穴越しに見るとまるで舞台装置の書き割りのように遠く感じられる。現実なのに現実感が薄れて、私は“作品そのもの”の中を歩いているような気分でした。
紙袋というあまりに日常的な素材なのに、そこから覗く世界はこんなにも非日常的なのです。
それは、不自由で息苦しいのに、どこか心地よい「別世界の旅」でもありました。
「うん!最高に映える。さぁ、ポーズして!」
私は渋々立ち上がり、木々の間に立ちました。
穴だらけの視界から見えるのは、夕焼けに染まった枝と、こちらを夢中で撮影する亜紀ちゃんの姿です。
「ねぇ、どんな感じに写ってる?」
「すっごくいい!まるで異世界から来たみたい。……あ、もうちょっと顔を上げて!うん、その角度!」
次から次へと注文が飛んできます。私は紙袋の中でため息をつきながら、指示通りに動きます。
「私、モデル向いてないよ…。もう笑っちゃう。」
「それでいいの!笑ってる方が絶対自然だから!」
撮影の合間、公園を散歩していた人たちが足を止め、何が起きているのかと首をかしげています。
そのたびに亜紀ちゃんは「卒業制作なんです!」と元気に答え、私は穴越しの視界でみんなの顔の断片を眺めていました。
息苦しさと恥ずかしさと、でも少しだけ楽しい気分が混ざった時間。
撮影をひとしきり終えると、亜紀ちゃんはカメラを胸に抱えて「はぁ〜撮った撮った!」と満足そうに息をつきました。
私はというと、紙袋の中で汗だくになりながらも、不思議と心地よい達成感に包まれていました。
「ねぇ、私って今日、何回くらい人に見られたと思う?」
「うーん、百回以上は見られてたね!完全に人気者だったよ。」
その言葉に思わず吹き出してしまいました。
「人気者っていうか、ただの珍獣でしょ。」
「でも、その“珍獣”がいたから、私の作品は完成したんだよ。」
夕暮れの公園をあとにして並んで歩き出しました。道端の落ち葉を踏むたびに、紙袋がカサカサ鳴る音と重なって、二人してつい笑ってしまいました。
「ほんと、今日一日で一生分の恥かいた気がする。」
「じゃあ、私は一生分の感謝を返すね。」
ちょっと気恥ずかしいセリフに、私はまた笑ってしまったのです。
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