第2話:三番ホームの忘れ物
第2話:三番ホームの忘れ物
真冬の駅の「三番ホーム」は、まるで巨大な冷凍庫の中のようだった。 吹き抜ける風が、鉄錆と冷えたコンクリートの匂いを運んでくる。夜の帳が降りたこの場所で、十歳のタクトは、サイズの大きな青いパーカーのフードを深く被り、点字ブロックの黄色い線をじっと見つめていた。
「……バグだ。全部、バグだ」
タクトは小声で呟いた。塾のテストの結果も、親が家で投げかける「どうして出来ないの」という呆れ顔も、クラスメイトの嘲笑も。全部、彼にとっては「無理ゲー」だった。自分だけが、教科書にも問題集にも載っていない不具合品のように感じられた。
「……あ」
視界の端に、場違いな巨大な影が現れた。 重い荷台を引く男、**重蔵(じゅうぞう)**だ。 彼は銀色の巨大な鍋を携え、ガタゴトと音を立ててホームに現れた。駅員に咎められることもなく、ただ圧倒的な存在感でそこに居る。
「おい、ガキ。……そんなツラで鏡を見たら、鏡の方が割れちまうぞ」
重蔵の声は、電車の入線音よりも低く、タクトの腹に響いた。
「……おじさん、誰? 僕は、別に……何もしてないよ」 「何もしてない? 嘘をつけ。お前は今、自分を呪い殺そうとしてるじゃねえか」
重蔵は重い腰を下ろし、鍋の蓋を開けた。 立ち上る湯気。それは、タクトが今まで見たどんな豪華な食事よりも「異次元」な輝きを放っていた。
「食え。……『Bling-Bang-Bang-Born』。……お前が今日まで生身(ななみ)で耐えてきたダメージ、それがいつか、イカつい年輪を刻む皺(しわ)になるんだよ」
重蔵は、木のお玉で熱いスープを注ぎ、タクトに差し出した。 「学歴も、前科も、七光も要らねえ。……このスープを飲んで、お前のままで居るだけで超フレックス(最高)だってことを、体に教え込んでやれ」
タクトはおずおずと、スープを口にした。 ――熱っ。そして、ピカイチに旨い。
南瓜の甘み、根菜の力強さ。それは、教科書にも問題集にも載っていない「生身のコトダマ」だった。飲み下すたびに、タクトの凍りついていた鼓動が、大地を揺らすようなビートを刻み始める。
「……おじさん。僕、パッと見、出来ないことばっかりだよ。……でも、このスープ、すごく幸せ(Happy)だ」
「当たり前だ。俺のままで居る。誰も口を挟ませない。……それが一番の『チート』なんだよ」
重蔵は、タクトの細い肩に大きな、油の匂いのする手を置いた。 「いいか。鏡よ鏡、なんて聞く必要はねえ。お前がベストだ。お前が一番上だ。……明日も、その生身のまま行けるとこまで行け」
準急電車が滑り込んでくる。 タクトは顔を上げた。フードの影に隠れていた瞳が、今はホームの蛍光灯を反射して、ダイヤモンド(Bling-Bling)のように光っている。
「……うん。僕、僕のままで居る。……ありがと、おじさん!」
ドアが閉まる。 走り去る電車の窓から、タクトは何度も手を振った。 重蔵は、銀の鍋を背負い、静かに反対方向の階段へと向かう。
三番ホームに残されたのは、もう「忘れ物」としての孤独な少年ではなかった。 自分を愛し、自分を懸ける。その準備が整った、一人の小さな「文化財(ベスト)」だった。
――第2話 完。
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