第4話

ついに、約束の一週間が過ぎた。

全校生徒に通知された『阿修羅』アプリの緊急速報。


【緊急速報:1年4組 佐藤ケンジ VS 大剛慎司(本日正午、中庭にて)】


正午。中庭は、全校生徒で埋め尽くされていた。

中央には、僕と大剛が立つための「リング」が自然と形成されている。


「ハッ! 随分と集まったじゃねえか。499位のモヤシが、俺に挑むってんだからな」

大剛は余裕の表情で、僕を嘲笑う。


「……行くぞ、大剛」

僕の心臓は激しく波打っている。

しかし、その震えは恐怖だけではなかった。

御門に触れられた頬の冷たい感触。トモと流した汗。そして、何よりも、二度と「負け犬」にはならないという、僕自身の誓い。


(見せてやる。俺の『眼』は、あんたの言う『ゴミ』じゃない!)

いよいよ、全校生徒500人を巻き込む、最初の一歩が始まる。


「おいおい、本当に来やがった。葬式の準備はできてるか? 499位」


中庭の中央。大剛が首の骨をボキボキと鳴らしながら、凶悪な笑みを浮かべる。周囲を囲む500人の生徒たちからは、嘲笑と野次が飛び交っていた。


「一秒で終わらせろよ、大剛!」

「499位が何秒立ってられるか賭けようぜ!」


「……トモ、合図を」

ケンジが低く呟くと、横に立つトモが震える手でスマホを操作した。

アプリ『阿修羅』に**【BATTLE START】**の通知が飛ぶ。


「死ねッ!」

大剛の巨体が弾けた。

一週間練習し続けた「眼」が、大剛の肩の揺れを捉える。


(右――!)


ケンジは間一髪で頭を下げ、拳をかわす。だが、特訓とはまるで違う。拳が空を切る風圧だけで、肌が裂けそうだ。


「避けてばかりで勝てるかよ!」

大剛の連撃が続く。左右のフック、重戦車のような突進。

ケンジは必死に回避を続けるが、中庭の隅へ追い詰められていく。背後はコンクリートの壁。逃げ場はない。

「捕まえたぞ、ネズミが!」

大剛の巨大な掌がケンジの顔面を掴み、そのまま壁に叩きつけた。


「ガハッ……!」

衝撃で視界が激しく揺れる。


「一週間、何してたんだ? 逃げ回る練習か? ランクの差ってのはな、絶望の差なんだよ!」

腹部へ叩き込まれる膝蹴り。ケンジの体はボロ雑巾のように地面に転がった。


「ケンジ! 立て! まだだ!」

トモの叫びも、遠い霧の向こうのように聞こえる。

大剛は勝ちを確信し、トドメの右拳を大きく振りかぶった。

「……終わりだ、499位」


その時、**奇跡(ミス)**が起きた。

連日の雨で、中庭のタイルの一部には薄く苔(こけ)がむしていた。

トドメを刺そうと、大剛が全体重を右拳に乗せ、思い切り左足を踏み込んだ瞬間――。

ズルッ。


「あ……?」


大剛の左足が、わずかに滑った。

ほんの数センチのズレ。だが、一週間大剛の動画を数万回見続けたケンジの「眼」には、それが巨大な隙として映った。


(今……左膝が、内側に入った!)

大剛の重心が崩れ、広大な空洞のように「左脇腹」がガラ空きになる。

激痛で意識が飛びそうな中、ケンジの体は勝手に動いた。

逃げるためじゃない。


**「番長になる」**という、人生で初めて抱いた野望のために、前へ。


「おおおおおっ!」

ケンジは地面を蹴った。

回避ではなく、大剛の懐のさらに奥へ。

崩れる大剛の顎を下から見上げる。トモと何度も繰り返した、たった一つの、泥臭いアッパーカット。

ドォォォォン!!

「ゴフッ……!?」

大剛の巨体が、自身の突進の慣性とケンジの突き上げによって、浮き上がった。

顎を正確に撃ち抜かれた大剛の意識が、火花を散らして断絶する。


静寂。


ドサリ、と大剛の巨体が仰向けに倒れ込んだ。

中庭を埋め尽くしていた500人のどよめきが、一瞬で消え去る。

全員が自分のスマートフォンの画面を見た。

『阿修羅』アプリの順位が、狂ったように書き換えられていく。


【阿修羅・ランキング更新】

佐藤 ケンジ:499位 → 130位(奪取完了)

大剛 慎司:130位 → 131位


「……やった……やったぞ、ケンジィィ!!」

トモが涙目で駆け寄ってくる。

システムは無慈悲だ。499位だったケンジは、大剛の持っていた「130位」という地位をそのまま奪い取り、負けた大剛は一つ下のランクへと突き落とされた。


「……はぁ、はぁ……」

拳の激痛に耐えながら、ケンジは立ち上がった。

野次を飛ばしていた連中が、一様に黙り込み、道を開ける。

130位。それは1年生の中では下位のヘッドかもしれないが、全校生徒500人の中では、明確に

「名前のある強者」の仲間入りを果たしたことを意味していた。


その視線の先――。

校舎の二階テラスから、退屈そうにこちらを見下ろす御門 蓮と目が合った。

御門は、口角をわずかに上げ、初めて「獲物」を見るような瞳でケンジを射抜いた。

「……ふーん。運も実力のうち、ってね」

ケンジの戦いは、まだ始まったばかりだ。

この勝利により、ケンジは4組の「ヘッド」として認められた。しかし、それは同時に、上位100位以内に君臨する**「本物の怪物たち」**の射程圏内に入ったことを意味していた。

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