第3話
僕とトモは凍りついたように見上げた。
給水塔の上に腰掛け、退屈そうに夜空を見上げる影。
制服を適当に着崩し、左耳にピアスを光らせた男。
全校ランキング1位。
この学校の生態系の頂点に君臨する怪物、御門 蓮がそこにいた。
「随分と楽しそうだね。たかが130位相手に、こんなに泥臭い練習するなんてさ」
御門は給水塔から飛び降りると、まるで猫のように軽やかに着地した。
その場に、冷たい緊張感が満ちる。
トモは顔を真っ青にして、僕の背中に隠れた。
「……御門さん……」
「お前が『499位の佐藤』か。噂は聞いてるよ。どうせまた、根性だけで突っ込んで玉砕するだけの、つまらない『負け犬』かと思ったけど……その『眼』は少し面白いかもね」
御門はゆっくりと僕に近づいてくる。
その一歩ごとに、肌が粟立つような威圧感が僕を襲った。
全身の筋肉が硬直する。彼の放つ「気迫」は、大剛のそれとはまるで違う、もっと深く、冷たいものだった。
「……その『眼』で、俺の動きが見える?」
次の瞬間、御門の姿が消えた。
「――っ!?」
あまりにも速すぎる。
僕の「眼」が捉えたのは、残像にも満たない、ただの「空間の歪み」だけだった。
思考が追いつかない。
バチッ、と軽い音。
僕の頬に、御門の指先が触れていた。
「……残念。俺の動きは、君の『眼』じゃ捉えられないみたいだ」
御門はつまらなそうに、僕の頬を軽く叩いた。
あまりにもあっけない。一瞬の出来事。
恐怖で動けない僕に、御門は背を向けた。
「せっかくの『眼』なんだから、大切にしなよ。……あ、でも、明日にはその『眼』も使えなくなるか。130位に勝てるわけないもんね」
御門はそう言い残し、屋上のドアから出て行った。
僕の頬には、まるで烙印を押されたかのような冷たい感触だけが残っていた。
トモが震える声で呟く。
「……あれが、全校1位。……怪物だ」
僕の心には、恐怖と同時に、言いようのない「絶望」が刻み込まれていた。
あと一日で、大剛との決戦。
しかし、僕の目の前には、あまりにも高すぎる「壁」があることを、御門は明確に示してきたのだ。
御門が去った後も、屋上には張り詰めた空気が残っていた。
僕はその場に崩れ落ち、膝を抱える。
握りしめた拳が震えていた。あの怪物のような男の動きは、僕の「眼」では全く捉えられなかった。見えたのは、ただの「空白」だけ。
(無理だ……。こんな化け物がいる学校で、番長になんてなれるわけがない……)
心の中に、これまで何度も僕を蝕んできた「諦め」と「恐怖」が湧き上がる。
明日、大剛を倒せたとして、その先に御門のような怪物がいる。そんな絶望的な戦いに、意味があるのだろうか。
頭をよぎるのは、中学時代、いじめっ子の前で震えていた、情けない自分だ。
「……ケンジ。何してるんだよ」
トモが僕の隣に座り、何も言わずにペットボトルを差し出した。
僕は何の返事もせず、ただ地面を見つめていた。
「……俺はな、ケンジ。ずっと最下位だった。喧嘩なんてできないし、体がデカいわけでもない。だから、この学校じゃ『ゴミ』でいいと思ってた」
トモはそう言って、スマホの『阿修羅』アプリを開き、自分の500位という順位を僕に見せる。
「でも、お前を見て、少しだけ思ったんだ。もしかしたら、このクソみたいな序列を、ひっくり返せる奴がいるんじゃないかって」
トモが僕の肩を掴んだ。
「お前は、まだ『負け犬』じゃないだろ。確かに御門さんは化物だ。だけど、明日の相手はあいつじゃない。大剛だ」
僕はゆっくりと顔を上げた。
トモの目に宿るのは、僕と同じ「諦めきれない光」だった。
頬の冷たい感触。御門の言葉。
「明日にはその『眼』も使えなくなるか。130位に勝てるわけないもんね」
(ここで逃げたら、僕は一生、御門の言う通りの「負け犬」だ)
僕は立ち上がった。
「……トモ。最後の特訓だ。もう一度、大剛の動画を見せてくれ」
トモは何も言わず、無言でスマホを操作した。
太陽が、僕たちの決意を静かに照らしていた。
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