scene31想い人の告白

 佳き人の泣く姿をただ見守っている俺のことを、誰かはどう思うだろうか。

抱きしめる、頭を撫でる、声をかける、一通り描いてみたもののどれも相応しいと思えなくて、俺はこうしてただ見守っているだけなんだけれども。

リョウタなら迷わず抱きしめただろうな、そんな姿を何度か店で見ている俺は、ココナの傍らにリョウタの姿を見た。するとココナは濡れた頬を手で仰ぎながら笑った。

「ごめんね、泣いちゃった」

この笑顔、は懐かしい。

困った顔したまま笑う、この笑顔は二度目にココナと会ったときに知った。雄のS度を高める笑顔、俺みたいなタイプには、守ってあげたくなる能力を高めるだろうと感じた、あの笑顔だ。

「私、元々誰ともペアになったことがなくて、名前すら呼んだことがないくらいなの。カヲルのことしか知らないの。だからね、アツミと話せて、なんだか運命を感じたの」

ああ、なるほど。

だからココナのことを誰も噂しなかったんだ。ココナの情報は足りなかった、俺よりも上のゴールドであったのに。しかもホールではたった一人のゴールドだ、普通なら目立つはず。だけど同じゴールドのファフィくんに訊いても挨拶した程度だと言っていた。そういえば、訳があって合否発表が俺と同じ日になったと言っていたっけ。そうか、あの日、偶然出逢ったことで俺らは互いに好意を抱いたんだな。

俺は二人の出逢いを追い、運命を感じたという言葉に照らし合わせた。

すると様々な綻びを感じた。

物語ならこの出逢いから今日という日までを、それこそ運命という言葉を証明するようなゴージャスな演出を盛り込んだ整合性を、無理やりに描くことができただろう。

だがリアルな俺らには見えないなにかの力のせいで、こんなに短期間に順序良く関係性が良好なまま濃密になっていくことはありえない。現実ではそんな都合のいいことはなかなか起こらないようになっているよな。よくないことは突如訪れるのに、それと同等によいことは起こらないものだ。

事実、俺らが超自然に好意的に互いの存在に触れ合う機会などなかった。

本来ならそうした時間を何度も重ね、いつの間にか年月を費やして結ばれることになり、ついにそのとき、初めて運命だと確信できるはず。たった数度しか過ごしたことのないココナと、こんな風に互いの好意を融かしあい高めるなんてことは不可能だ。

だが俺らは互いになにかを感じて、そしてそれぞれに好意を育んだ。

それをココナが運命だと言うのなら、俺もそう受け取っていいのかもしれない。そうだ、綻びなど、無にしてしまえる。

「アツミもそう感じてくれてるって、なんとなくだけど、私はそう思ってしまったの」

ああ、ね。

それはそうかもしれないね。女性に対してこうまで感情が活き活きとすることはなかった。嫌悪とは違う嫉妬、執着心と独占欲まで手に入れることができたんだから。

なぜかココナには感情が乱され、初めてのことばかり経験している。俺のこれらの初めての経験を、ココナは側で感じたとってきた。俺のココナのことを見つめる視線、口調、リアクションは、俺がココナからの好意を感じとったものと近いものだったんだろうな、きっと。

「ココナの言う通りだ。俺も気になって仕方なくて、それでも女性に対してこんな気持ちは初めてで、不思議なんだ」

呟くような俺の言葉に、

「私も! あの人のことしか考えられなかったのに、あの人でいっぱいだったのに、アツミが好き!」

と、少し早口になったココナ、こんなココナは初めてだ。

早口になったせいか、ココナの周りの空気が弾けているように感じた。新しい発見を共有する喜びというものを教育されてきた俺らには、他者の幸福も快感に成り得る瞬間がある、思わず嬉しさを感じとった俺。

と、その瞬時リョウタのことが思い浮かび、僅かに沈む。

リョウタのことがこんなに好きなのに、俺はリョウタが妬いた相手とこうして好意を深め合っている……いいのか? って、自問して気が沈むんだ。

だが、俺の脳内は俺らしく、都合よく真実を描き始めもする。

そもそも性別が違う、と。

もし俺が他の野郎にイロを仕掛けるなら問題だろう。だがそれですら、すでにリョウタにはそういう相手があるし、それが継続しているかどうかはわからないけれど、その事実と比べたら、俺のこのココナへの感情は大罪に問えないので……は?

逆にリョウタの存在だって、ココナは承知の上であり自身にもそうした相手がいることを自覚している。

ほら、ね?

多少不義の匂いはするけれど、俺の真実で誰かを疵付けることにはならない気がする。

いや?

俺には無視できないリョウタの気持ちがある、よな?

リョウタはココナへ嫉妬した、はっきりと、肉体的な行為を問題視すると言った。俺のココナへの気持ちは伝えてあるからキスくらいならそれほどでもないだろうが、リョウタはああもはっきりと意思表示したのだのだから、俺とココナの今後の関係に大影響することは避けられない。

そうだった……なのに俺、車の中で、もう少しで……うう、なんてことを!

俺は触れようとした、ココナの誘いに応じて。

いや、なにを言ってるんだ見苦しいぞ、応じるもなにもあれは俺の意思だよ、応じたのはココナの方だ、俺は雄として覚醒したも同じだった、欲情していたじゃないか。そしてそのとき、リョウタの嫉妬などチラつきもしなかったじゃないか、俺は俺の欲情だけに専念していただけだ!

「わかるよ、アツミ」

苦虫を噛み潰す、そんな表情だったろう俺へ、ココナが声をかけ慰めてくれる。

女神のような無表情だが美しいおもてで優しくきっぱりと。

そうだ、こうしたときには同情するような声や表情は要らない、もっと強く、正しく伝えてほしい、受け入れると。

「私が誘ったの。私、誘っていたのよ」

ココナは潔い女神だ。

冥府の女神ペルセポネは人としての不運を嘆き闇入ったのではない。儚いはずの宿世を太く強く確かなものへ昇華させた神だ。まさしくココナはペルセポネだ。

報われない恋に墜ちたことを悔やみはしない、実るはずのない想いに堕ちたまま朽ちたりもしない、新たに芽吹く蕾に光を見て綻ぶ、それへも等しく想いを猛らせる女人だ。


俺は幸運だ。


こんな女性に出逢えたのだから。

さぁ、この幸運を受け止める準備をしようじゃないか、手放してしまうのが惜しいのではない、俺はココナに相応しい男になりたいと思うんだ。今、俺の中の覚醒した雄がそう言っている。

「違うよ。俺はココナを独占できないことにムカついたんだ。ココナが俺だけを見ていなかったことに嫉妬したのに、俺から誘う男らしさに欠けていただけだ」

そうさ、リョウタならこんなことにはならない。

手あたり次第に遊んでいたように見えた時期を、俺はリョウタが香坂愛への想いを吹っ切るための遊びだと勘違いしかけた。だがリョウタは、堕ちたがっている香坂愛には指一本触れなかったし、あのとき、あのイヴの街角で抱き合うあの二人の姿を眺めていたリョウタのあの表情は、欲望に自堕落になってしまうような野郎の顔じゃなかった。

受け止めることもできた、リョウタに抱かれることはあの女の意思だったのだし、いっそそうしてしまいたいという己の欲望でもあっただろうに。でもそうはしない、それがリョウタだ。

なら、リョウタなら今どうなっている?

「ココナ、俺はココナのことが好きだ。ココナと同じで、リョウタへの気持ちがあるのに好きだ。でも進めない。男としてココナを求めることはしたくない」

抱けない、そうはっきりと表現するべきだったろうか。

リョウタならそう言っただろうな、こんな伝え方では遠回しだろうか、男らしくないかな、そう感じている俺。

「だめ、ナノネ……ワタシジャ」

ココナはもうすでに知っていた結末を、その台本通りの台詞を、ただなぞるように読んでいるみたいだ。

今、初めて、ココナは崩れ始めた砂の城のように、表情を曇らせていく。さっきの潔さは最後の一花、とでもいうように。

でもね、でも……それでも笑うんだ。

「でも……よかった。私アツミでよかったって、今も思ってる」

と言いながら。

凄いなココナは。

俺のことを好きになっちゃいけなかったと泣いたココナが随分過去の人みたいだ。こういうところも心地いい、ココナは女々しくなくねっとり絡んだりしない。

「俺もココナのことが好きでよかったって思う」

俺らはまるで新しい同盟を結んだように互いの存在を受け入れた気がした。

「ありがと。でも、これからもずっとこうしていたいな……できれば。せっかくこうしてお互いの気持ちを話せたし。普通なら無理かしら、ここでもう会わないようにするのが正しいのかしら」

ココナは、ゆっくりと口調を強めていく。

しっかりと、舞台の開幕を待つみたいに。

「普通ならそうかもね。俺らの問題の一つは、それぞれの好きな相手の存在も関係すると思うんだ。俺はリョウタのことを考えると……他の人とは……ね、裏切るように思えて進めないと思ったんだよ」

「そう……ね? そうな……のね」

ココナは少し間をおいて、

「リョウタくんはアツミだけ、なの」

確かめるような言い切るような少しわかりづらいイントネーションでココナが言う。

これは質問か?

いや、言い切ったのか?

僅かな間と語尾の上がり具合が会話を不安定にする。

あれ、これ、この感じ、どこかで知っている、そう、この感じは俺の苦手な会話のイメージだ。

「ああ、いや……俺だけ、とかそういうのでないんだけど」

俺も、曖昧にわかりづらい返答をする。

そして、場が凍り付く瞬間がくるんだ。

「だってリョウタくんはタッくんの恋人でもあるよね」

今度ははっきりと、わかりやすく言うココナ。

きっととても明確な情報なのだろう、これは。そうでなくてこうもきっぱりと言い切るだろうか。この物言いは、明らかな真実を事実と照合して伝えるときの様だ。

場が凍り付いたのではない、俺の思考が凍り付いただけ。目玉だけ動いているのが分かる、自分でも。

なぜか俺は意味もなく、うっすらと笑顔のココナの瞳や唇や眉の山なり具合を代わる代わる確かめようとしているからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る