scene29執着とは無縁

 俺にもこんな感情があったなんて。

一人っ子は強欲になれない人が多いのかもしれない、確かそんなことを父上が言い、時には執着することも大切だと説いてくれたっけ。それはそうかもな、と共感したのは大学に入ってからだけど。だが共感したもののなにかに執着するということは意外に難しいとも思っていた。だって一番手に入れたいモノは自分のモノにはならないと、思春期の頃にはとうに知ってしまったからだ。一番目がだめなら二番目というようなモノでもなく、恐ろしいことに手に入らないと知ったモノに執着してしまうという報われないスパイラルに嵌ることにもなった。なんとかこうして生き永らえ、この世界線へ帰還できた俺は運がいい方だろうな、と心底思っている。決して無傷ではなかったけれど、『だがまだ生きている』し。このトキ様の台詞に全身全霊で憑依できるくらい、俺は生き延びたことに安堵したんだ。

結果、自身の経験上で時には執着が大切だという説に対しては、俺にとっては無縁であることが望ましいと判断することになった。

だが俺はたった今、自分がココナへ執着していることを完全に知ってしまった。

好意は執着を含む、好きだかこそという始点に不釣り合いな謎のネガティブな感情で満たされている俺は、ココナが求めるものを期待の果てにチリにしてしまおうというのだからね、これはココナを虐めることになる。なんて非道な仕打ちだ、意地悪するのは執着の証だよ。いや、これはもしかしたら独占欲と表現する方が近いのかもな。

俺以外の誰かへ、俺へかけた好意的な会話以上の内容を話していたことへの不快感、嫉妬なのでは?

ああ、確かに。

ああ、そうだよ、それだ。

ただ、これは俺の本来の性質とはかけ離れた行為、ココナへ仕返しがしたいだけだからという自覚は捨てきれないでいる。決して俺という人間から、この浅ましい感情が生まれたのではない、俺から意地悪を仕掛けたのではない、仕方なく報復しているだけだというクズ特有の発想に逃げようとする俺。ただただ、どうして俺だけじゃないの……って駄々をこねている。

ああ、俺って!

俺だってリョウタという好いた相手がいるじゃないか、こんな独占欲は見苦しい、はしたないよ、直ちに削除すべきだ!

なんてめまぐるしく俺の脳内は乱れ散らかして軽い錯乱状態。

俺は起き上がった、とは言えないくらいに妙な悪い姿勢でドアとシートの間に身体を預けたまま窓の外へ顔を向けている。こちらを伺い見ているだろうココナの視線を感じつつ、俺は自然にそれを確かめようとする意識を引き留めることに集中していて、そしてふと別の視線に気づいた。

今、確かにサイドミラーでアイコンタクトが起こった、よな?

神代さんは、たった今確かに俺のことをサクッと確認したな?

ん?

この姿勢でミラー越しに視線が合った?

その角度、おかしくない?

なんだよ、なんなんだよ。

俺のクズ的発想はなんでもかんでも引き寄せてしまう、神代さんにまで不信感を募らせようとしているなんて。

どうしたアツミ、だめだよアツミ、戻ってくるんだ、アツミ。


さぁ、はじめようか。

ココナは確かに誰かに『愛してる』と言った。

だが俺だって母上にそう言われたことがある、だからこのワード自体に俺が違和感を感じるのは可笑しいよね。そうなんだ、違和感の元はここにはなくて『待っててね』『もうすぐだから』かも。三つ連なるからなにかを感じたんじゃないか?

俺らは移動中だ、その先で誰かが待っている、その先までもうすぐだ、と連想させたからじゃないか?

じゃ、誰が待っているのか?

なぁアツミ、お前はどれだけココナのことを知っているんだ?

しかも俺らの向かう先は自分達で用意したものじゃないじゃないよな。誰が待っているかなんて知りようがないし、もうすぐだという表現は単に距離を表しているかも知れないし、それをココナが会いたさを表現していると思うのはただの勘違いかも知れないよね?

あれれれ?

なんだろう、どうしてこんな他愛もない言葉に惑わされたんだろう。

それは……さ。

なぁ、認めろよ、やっぱり『愛してる』という言葉なんだよ、もう知っていたじゃないか、

『だって君はさっき、誰かにあの想い言葉を贈っていたじゃないか。俺にキスをして、俺のことを好きだと言った君なのにね』

これだろ?

好きを超えるレベル、最上級の愛情表現、特別な相手にだけ贈っていい言葉。そういう言葉を電話越しに伝えることができるココナを知ったことへのショック、が俺のことを乱しているだけ、身勝手な優越感に自ら傷つけられた、だけだ。


特別に想う相手が一人だとなぜ決めつけた?


俺にだってリョウタがいて、俺はココナとのキスでさえリョウタのことを感じてしま

ったのに、その罪悪感だって感じたほどなのに、どうしてこうも乱れてしまうんだ?

なんか……なんでこうもぐちゃぐちゃなのか本当にわかんないよ。

これって本当に独占欲なの?

執着心なの?


「間もなくです」

神代さんが今度はアイコンタクトなしに言う。

静かに停車する車、神代さんが降りていく、今気づいたけど妙な景色だ、質素な門前でインターフォン越しに話す神代さんの姿、随分時間がかかっている様子。

「アツミ、怒らないで。私、怒らせちゃって、ごめんなさい」

棒読みに感じるココナの謝罪。

俺はそう感じる自分へも嫌気がさして、

「いや、俺の方こそごめん。ちょっと俺、おかしいよね」

と今度は単に、素直なつもりで謝った。

素直なつもりってなんだ、笑っちゃう。どうにもこうにも今の俺は冷静にはなれないようだ、ちゃんと考えて自分の感情を紐解こうとしたけれど、まるでダメみたいだ。嘘はないつもりでも言葉に感情が乗らないんだ、おかしいのは本当に俺の方だろうし、そう思えるし、謝ってくれたことへ応える気持ちもあるのに、なぜか感情がこもらない。こんな体験は初めてだ。

「アツミ……私も、私もアツミみたいに話したいことがあるの」

ココナは、今度はとても心を込めて伝えようとしているみたいだ。

「聞いてくれる?」

懇願、ともとれるような声音に、俺は従うしかないと感じている。

華奢なココナ、無邪気に笑うココナ、儚くたたずむココナ、俺が知る純真なココナのイメージが耳から脳へ伝送されるから、聞いてあげないなんて可哀そうすぎると俺の直感が忠告する。

そして俺は思った、自分を取り戻すにはココナのこの願いを聞き届けるしかないと。そうだ、そうだった、わからないから乱される、訊けばいい、リョウタにも何度も言われてきたことだ。本人へ問うことが正しいんだ。

「うん。ちゃんと訊くよ」

そう答えた俺だが、

「着いてから……部屋で、ね」

神代さんが戻ってくる姿に気づいて俺はそう申し出た。

「うん、ありがと」

ココナも俺の視線の先を追ったのだろう、短く答えた。

俺らは互いに同時に少し姿勢を正して神代さんに注目し、

「今から入場します」

という神代さんの言葉に黙って頷いた。

質素な門の、ところどころ朽ちた木材の模様が年代を思わせて風情はあるが、自動開閉のよくある金属音が歯の奥を浮かせて情緒を削ぐ。わざわざ自動にする必要があるのか、はたまた、こんな質素な門構えで客を迎える意味があるのか、などと文句ばかり浮かぶ俺。

それらを態度で表現するようなことはしないけど、できないけどさ、真横でしょんぼりしているココナにはなにかが伝わっているんだろうな。そう思うと俺は改めて猛烈に自分に嫌気がさして猛省する。その証しに再度姿勢を正しココナへ話しかける、

「荷物は俺が出すから、ココナは車に乗っていてね」

と。

「ありがと」

コクリと頷き無理に笑って見せるココナ。

同時にまたもや自身にげんなりする俺、今馴れ馴れしくするのは余計に気を遣わせることだったかなって。

ああ、もう、ほんとだめだめ。

負のスパイラルは完全に渦を巻くことに成功し、俺のことを絡めとったようだ。今はどんなことも正しく見ることができない気がする。

父上、あなたの息子はやはり執着とは無縁であるべき人間のようです。

未熟な俺には、執着と独占欲とを別けてしまっておくことができないからです。だからせめてこんな姿があなたに見つからないように励みます、せめてそれだけは成したいと思います。

錆びた歯車が軋む音を今はもう不快に感じない、開かれた門の先から幻想的な灯が美しく螺旋を描く闇の空間が、おどろおどろしく俺らを呑み込みそうだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る