scene27刺激をなぞったキス

「お待たせいたしました。ご案内させていただきます、ワンダーの神代です」

タクシーと呼ぶにはもったいないどころか、ただならぬゴージャスな車に乗って、『絶対あんたポセイドン・タクミの兄弟だろ!』と思えるイケてるメンズが俺とココナを迎えに来てくれた。

「神代さんだったんですね。ふふ」

とココナは既に見知っている様子、

「神代さんでよかったね」

と俺へ言う。

「あ、ああ、そうだね」

ふぬけた声の俺。

そりゃそうでしょ、さっき初めましてのご挨拶したばかりで、どうしてもこの見てくれがポセイドン・タクミに似すぎてて、この人の容姿以外の情報が全く入ってこないのだよ。

ゆっくりと動き出す車、バックミラーに映る神代さんの、ドライブに集中している表情を確認して俺はココナへ尋ねる、

「ね、まさかタクミさんの親類かな?」

と。

俺がココナへ尋ねると同時に、運転席と後部座席の間の窓が自動で閉まった。な、なに、このエッロい仕様の車は。完全個室にはならないけれど、神代さんがサイドミラーを見なきゃ完全に俺らの表情は確認できないよね。という俺の推考中に、

「あ! そうね……カヲルの弟なんだ」

とココナが答えた。

「んが?」

と妙な声が出ちゃいましたよ俺。

なんと、あの仁科くんとの方が血が濃いとは。ここんちの血脈はいったいどんな筋なんだ。あんな細っこい美形とこのガチムキイケBOYが兄弟だなんて。ああ、でも、遠い親類と似るということが多いと、いつしか父上が言っていたっけ、あれって本当だったんだな。

はて?

だが姓が違うよね……ありゃ、これはワケありか?

でも、ん、まぁ、これ以上は詮索するべきじゃないな、マナー悪いよね。それぞれの事情ってもんに踏み込んでいいのは親しい間柄だけだろう、と軽い罪悪感を感じて、俺は神代さんの素性については気にしないことにした。すると、

「アツミ、リョウタくんのこと考えてる?」

とココナに言われてどぎまぎする。

『リョウタ』という名前と、さっきの軽い罪悪感が混ざり合って、

「い、いや、違うよ。温泉がどんなところなのかなって想像してたんだ」

俺は慌てて嘘をついてしまった。

この嘘が、おかしなことになる。

神代さんの素性を少しでも訝しがったことで生まれたほんの少しの罪悪感、その罪悪感が、ココナから零れた『リョウタ』の名前で、リョウタと抱きあったあのエッロい時間に俺の記憶を遡らせちゃって、そしてまたたった今嘘をついちゃったことで更に気持ちを浮つかせてしまったんだ。

嘘をついた相手はココナだ、ココナとは全く無縁だと言い切れる嘘をつくという行為への背徳感までがセットになって、俺の意識は今、不安定に浮遊し始めている。


俺とリョウタ、俺らは猛烈なキスをした。

俺には初めての経験だった、あんなキス。自分から強く求めるなんて初めてで、興奮した俺は自分から唇を解いて、リョウタの唇を割いてまで舌を入れ絡めた。リョウタの方が震えていた、そんな風に感じるとたまらなくなって、もうリョウタのことが欲しくてたまらなくて、俺はリョウタに馬乗りになった。

あの時、リョウタの固いのが押し付けられて俺は……と、そう思い出した途端、雄の本能がまたイキリ勃って、リョウタと口づけた唇も熱く腫れあがっているように感じた。それから俺は、あのリョウタの唇の感触に全ての意識を持っていかれてしまう。そのとき、

「アツミ……唇、血が出てるみたい」

ココナが俺の唇に、指先で触れた。

ココナの指先は冷たくて、触れられて、俺は唇が本当に腫れていることに気づいた。

「……あ」

俺は驚いたくせに避けることができず、それどころか、冷たい指先で触れられたのに、そこが余計に熱く感じて、思わず自分の指を重ねてしまった。

これじゃ、まるで俺の指がココナの指先を縛っているみたいだ。

「アツミ」

甘露が滴るような声で呼ばれて俺は、初めてココナを見た。

ココナはその華奢な体を捩って俺の方へ向いていた。俺から遠い方の腕を伸ばして、その伸ばしている腕の俺の唇に触れている指先を見ているのか、俺の唇を見ているのか、それとも重ねられた俺の指先を見ているのか、俺の視線ではココナの瞳を捉えることができなかった。そして俺の瞳は行き先を失ったのに、ココナの唇へ行きついた。

それから俺は重ねていた自分の指を降ろした。

次がわかる、から。

このあとにココナがどうするのかがわかったんだ。渇いているはずのココナの唇、俺好みの乾いているはずのあの唇はぷっくりと濡れて光ったから、今ココナがゆっくりと舌で濡らしたのを見たから。

「ココ……な」

俺は完全に思考を停止した。

いや、そうなってしまった、止まっちゃったんだ自然に。

「オネガイ」

ココナはなにか暗示をかけるように呟いて、そして、最後まで俺の瞳を見ないままその濡れた唇を俺の唇へ重ねた。

緩みかける俺の二枚の唇、だけど、それは違うような気がした。

だってココナの唇は、軟らかいけれど緩み切ってはいないから。

知らず俺は目を閉じた、すると、

「やだな、ごめんね」

そう言ったココナがすっと俺から離れ、同時に驚いた俺は目を開いた。

「いや……だった?」

ココナに問われて、なんだか今やっと思考が回復したように、俺はぼんやりとしながらも慌てて答える。

「ち、違うよ」

そう、違う、厭じゃない。

そうじゃないんだ、ただ……ただ、このキスは、リョウタとのあのキスの余韻をなぞったもの……みたいだった、だから目を閉じてしまった、と咄嗟に知る。それは、リョウタの唇を思い浮かべたかったからだ、という理由も。そして馬鹿な俺は、

「ごめん」

と謝ってしまう。

俺はココナのことを見てるようで見てないような微妙な角度に顔を向けて、謝った。

「ううん。アツミがとても可愛くて、どうしてもキスしたくなっちゃった」

ココナは小さな失敗を埋め合わせするみたいに、恥ずかしそうに言った。

そして、すぐに俺とは反対の方向の窓の外へ顔を向け、辛そうに見えた。

俺、最低、だな。

ココナのことが好きなはずなのに、ココナがキスしてくれたのに、リョウタを感じていた。俺は初めての刺激に負けて、ココナとの初めてのキスにココナの気持ちを感じることができなかった。

馬鹿だ、キスしてくれたんだぞ?

でも……なんでだろ。

こんなに可愛くて一緒にいて心地いいって感じた女の子なのに、ココナのキスに、あの興奮と昂りを感じなかった。

キスするだろうとわかって受け入れたときも、なぜかドキドキしなかった。ただ受け入れようって、ただぼんやりと受け入れて目を閉じて、俺はキスを精査するみたいに集中しただけだった。集中してた……のか?

いや、そう、遠く、意識の奥で、キスそのものに興奮を探そうとした気がする。そう、リョウタの唇をこじ開けた熱情をさっきのキスの中で探し当てようとしていた。

なんて奴だ、俺は。

こんなことができる奴だったなんて。人の気持ちを踏みにじるようなことはもう二度としないって、思春期の罪を散々後悔したはずだったのに。しかも相手はココナだぞ?

こんなんじゃ嫌われるな、そう思っていたら、

「嫌いにならない……で」

耳の壁の産毛を揺らして、ココナの消え入りそうな声が届いた。

その声に俺は姿勢を正して、ココナへ体を向けた。そう、ちゃんと話そう、話すべきだと意を決したんだ。

「ココナ、嫌いになんかならないよ。好き……だと思うんだ。ただ俺、俺、いろいろあって、そんで……」

俺は兎にも角にもココナに傷ついてほしくなくて、必死に言葉を並べようとした。

ただ、どんなに決意しても、はっきりと好きだとは言い切れなかった。

そりゃそうだよな、リョウタのことが好きなんだから。

ましてや今はその気持ちに行動が追いついてしまって、俺は今までにない性的な刺激と興奮に溺れているのだから。

それでも、俺はココナのことも好きだと知ったばかりだ、だから傷ついてほしくないと思うこと、これも俺の真実なんだ。だけどココナは窓の外を見たまま話す。

「ううん、いいんだ。リョウタくんのことが好きだよね」

と。

俺は唇を噛んで言葉をのんだ。

「お部屋で二人がどんな風だったかって、わかってるの」

と。

今度は、ゴクリと喉が鳴った。

「……妬いちゃって、バカみたい」

二枚に重なる裾、その内の一枚の透けているワンピースの裾を小さな手でぎゅっと握って、ココナはまだ俺のことを見ないまま言う。

こんな可愛い子をこんな風に傷つけるなんて。俺は動揺するしかなくて、申し訳ないと同時に自分にがっかりしちゃって。なのに、どうしても黙っていられなくなる。

腹をくくる、

「ココナ、嘘ついてごめんね。そうなんだ、俺はリョウタのことが好きなんだ」

今の俺にできることは誠実であること、ココナの気持ちをこれ以上傷つけないようにするにはそれしかないと思った。

そう、きちんと告白すること、それが罪を背負うことと同義だろう、そう考えた。

「俺は、自分の……セクシャリティがバレてしまうことが怖かったんだ。嫌われたくなくて。そんで、もっと最低だと思われるかもだけど、ココナのこと……も気になってしまって、だから余計にリョウタのことを話したくなかったんだ。どっちがどうとかじゃなくて、俺、リョウタのことを好きだって自覚したのもまだ最近で。いろんな意味で自分の気持ちがまだよくわかっていないんだ」

情けない表情になってしまっても仕方がないほど、俺の声も話し方も弱弱しいと自覚している。だが、本音だこれが。それを伝えるしかない、そう思った。

と、ここで車が停まった。

「申し訳ございません。しばらくお待ちください」

そう言って神代さんは下車した。

もしかしたら俺らの気まずいムードを察したのだろうか。

「神代さんに申し訳ないね」

とココナ、そして今は俺と向き合ってくれている。

「ありがと、アツミ。話したくないことを話してくれて、ありがとう。私ね、もっともっとアツミのことが好きになったよ」

行き過ぎる車のヘッドライトがココナの半身を柔らかく照らす。

あの笑顔で、やはり今も変わらずえぐいくらいの可愛いあの笑顔で、ココナは告白してくれた。柔かそうな頬、綺麗に半月を描いたような目、そしてココナが濡らした唇は今はもう渇いている。

腹の底が疼く。

俺は今は確かに、この渇いた唇の虜になった。

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