scene25叛逆心

「アツ、もう逃げんなよ」

リョウタが俺のことをやわく抱いたまま言う。

そう言われてもなぜか俺はリョウタの腕を解こうとする、リョウタはそれを許してくれない。本当は解きたくなんかない、まだ黙って、ただこうして耳が甘く痺れるまま、リョウタの恥じらいながらも踊る鼓動を聴いていたい。なんで解こうとするんだ俺は。

リョウタの言う通りだ……な、逃げちゃいけない、よな。

ただぼんやりと想像したことのあるリョウタの抱き方は、あまりにも現実と違った。

甘すぎる……よ。

それがかえって俺の叛逆心を煽るんだ、俺の真実にケリをつけなきゃ……って。


「悪い、放してくれ」

謝るなんて……リョウタへの侮辱かな。

なぜかそんな風に感じたけれど、だけど、俺はどうしてもリョウタの顔をちゃんと見たくなった、やっと今は冷静に。

そう、ちゃんとこの胸の昂りを感じながらリョウタのことを見たくなったんだ。

そうしてリョウタと向き合って告白したいんだ、俺の真実を。

「そっ……か」

リョウタはだらんと両手を降ろした。

諦めたような降参するような、リョウタのことだからきっと、こんなときだってまた勘違いをしているんだな、リョウタの短い苦笑いが俺にそう思わせた。

放せと言いながら俺は、すっかりリョウタへ体重を預けきっていたせいで、すぐには真っ直ぐに立っていられなくて、今もなお大きく、鼓動に連動して波打つリョウタの胸に手をあてて体制を整えた。

すると掌にしっとりとリョウタの肌の湿りが伝わった。

その生ぬるさに悩殺されそう……大きく息を吸うリョウタ、膨らむ胸、直に伝わるリョウタの鼓動が震度を高くする、なんて甘美な時間なんだ、決意が鈍りそうだ。

だが俺は、この時間にとどまるわけにはいかない。

俺は自分の両脚でしっかりと立ってリョウタの顔を直視した。

『ああリョウタ、ああ……お前、なんて顔してんだよ』

リョウタの睫毛は重く濡れているように見える、何万キロも歩き続けて疲れ切って、汗にまみれてしまったように。

そして、今はっきりと薫る、俺の大好きなリョウタの肌の匂いが。

男くさくて甘く重い匂い。俺はあの日から、リョウタにタクミさんの香りを感じてそれを嫌悪して、リョウタの側では香りを吸い込まないようにしていた。

リョウタの肌の匂いは俺の腹の底を無条件に刺激する。それでも俺はその刺激に惑わされないように、軽く頭を振って首筋を正し、話し始めた。

「俺は」

俺のマインドは今までにないくらい潤っている、爽快だ、だから言える、リョウタへの想いと俺の真実を。

そう、はっきりと言ったんだ、凛として声を張り詰めて言ったんだ。

「お前のことが好きだ」

って。

リョウタはそれを聞き届けると、ずずずっと壁伝いに背を引きずりながら床に座り込んだ。

そして、笑った。

ああ、これ、これだよ、俺が好きなリョウタの笑顔だ。

その笑顔に俺はまた勇ましく奮い立った。そして伝えたよ、俺の真実を。

「お前のことが好きだ。だけど俺は、俺はお前を抱きたいとは思わないし、そうされたいとも思えないんだ」

俺は言葉を吐く毎に誇りを取り戻していくようだった、だけど、俺の一言一句その声が届く度にリョウタは、リョウタの表情は笑顔を手放していく。

「なに……それ、どういうこと」

リョウタは、可笑しそうに嗤った。

「そういうことじゃ……ないんだよ。好きだけど、そうは思えなくて……俺にもよくわかんないんだ」

俺はあるがままに話した。

「バカ言うなよ」

リョウタが嗤いながら……も悔やんでいるように見える。

「……チ、あいつハメやがったんだな」

タクミさんのことだろう、リョウタが今度は呆れたように嗤った。

「リョウタ、俺と寝たかったのか?」

俺は訊きたいことを訊いた。

「ああ。お前の気持ちを確かめてからな」

そうか。

だからタクミさんはリョウタが『マテ』を強いられてると表現したんだな。本当だったんだ、タクミさんの言う通りだったんだな。いや、疑っていたわけじゃないけれど、ただなんだか悔しいよ、俺が真っ先に気づけなかったことが。

「俺、自分の気持ちを認めたのはイヴの夜だったんだ。それまではさ、お前のことエロい感じで見てたけど、それが好きだって気持ちだと気づかなかったんだ」

今の俺は全宇宙一素直で正直だ。

「嘘だろ。ざけんなよ、あんなに俺のこと見てたくせに」

リョウタは、今はリョウタらしい表情で笑った。

「ごめん」

そう素直が宇宙一の俺は謝るのも宇宙一早い。

「あ――じゃ、俺がヤッちまってたらエライことになってたんだな、あの日」

俺はここでハッとした。

「やっぱり! お前あの時そういうつもりだったんだな! 俺熱出てたんだぞ!」

ムキになって言ったが、

「だってお前は手ごわいぞってタクミが。だから弱ってるときがチャンスだって」

リョウタも宇宙一正直の仲間入りした。

「な……んだそれ」

だけど俺は一気に宇宙一萎えた。

それにしても。

リョウタはタクミさんとそういう話もできる仲なんだな。

ああね、そらそうだろな、そういう関係にもなってんだから寝物語はつきものだろうよ。だが、たった数日でどうしてこんなに仲が深まった?

疑心は暗鬼を生ず、新たな情報が様々に派生していく、その中に鬼が見える。

俺ははっきりとタクミさんへ伝えたはずだ、リョウタへはなにも求めていないと。なのに、いやだからこそリョウタのことを薄い氷の壁の向こうからこちら側へ引きずり込んで、俺との現実的な肉体的な関係を結ばせようとした、だと?

いやちょっと待てよ、それって本当に俺のためなのか?

は……リョウタ、リョウタが自ら誘ったって線はない?

ああ、あるさ、だってもうすでに俺と寝たかったって言っている、欲求があったんだから即行動するのがコイツだ。興味もあっただろうし、そうさ、興味だけで行為に抵抗を感じない野郎だっている。だがそんなチャンスなら、ダンスやってんだからもっと昔にあったはずじゃないか。

俺とそうなれないからってタクミさんと?

あ、待てよアツミ。リョウタがそんな男じゃないってことはわかるだろ。確かに女にはだらしないけど、それはマジョリティの安心感もあるからじゃないか。野郎となんか安直に寝たりできる奴じゃないさリョウタは。

じゃ、コイツにはアブロセクシャルの可能性が?

「アツ、俺に訊け、そんで座れ」

リョウタの声で脳内から脱出した俺。

リョウタは俺のことを知ってくれている。こんな男が興味本位で自らタクミさんのことを誘うわけなんかないじゃないか。俺はさっきの思考の結末を描き終えようとした。リョウタの言う通りリョウタの目の前でリョウタの真似をして胡坐をかいて座り、

「ごめん。じゃ訊くよ、ハメられたってあれは……」

そして俺は既に暗躍しているかもしれない鬼の正体を確かめようとした。

すると、

「俺が誘った」

と言う。

「は――っあ?」

おい、返せ!

今すぐ返しやがれ、俺の清い信頼を!

コイツ、玉木椋太、やはりただ者じゃねぇ。

「だってお前とヤんなら練習しとかないとな」

だと。

ああリョウタよ。

そうだ、そうだよこれがリョウタだよな。

「どんなことしたか、お前には話しとくか?」

「いらん!」

「あ? 恥ずかしいんか?」

「アホ! んなことない!」

「お前、男とヤったことあんの?」

「……あ、おま、リョウタ、ばか……」

俺はかいた胡坐の自分の両の脚のクロスされた部分へ顔面を落とし込んだ。

そして、ちょっと、そう会話をちょっと待ってほしくなって、

「ちょっとタンマ」

と強請った。

今時タンマという言語は通用するのかね、だけど今はこの歯切れのいい言葉で会話を中断したい俺、なのに、

「タクミがさ、アツは経験不足だからちゃんとしてヤんなきゃ逃げるぞって」

内容が内容だけにさすがに声のトーンを抑えている様子のせっかくのリョウタの気遣いには、今は到底ありがたみを感じられない俺です。

「ちょ、まじしゃべんなよ今」

いや、いましたよ鬼、発見したわ今。

タクミさん、あなた凄いわ、さすがだわ。

あの一晩で俺の純真を見事に掴んだポセイドン・タクミ、あなたを神と表現した俺は正しかった。だが、あなた角生えてますね?

いくらリョウタに誘われたからって快諾よろしくベラベラと俺とのスキンシップを暴露するんじゃないよ全く。

は、いや?

そうするさ、そうすることが正しい。

この見事なトライアングルのバランスを整えるのはポセイドン・タクミしかいないじゃないか。ポセイドンはゼウスを手籠めにしたかったんだから、俺はいいエサだよな。下手したら、自分好みのパートナー育成ができるチャンスだ。逃すわけない、いや逃すなんて阿呆だ。

じゃ、対俺は?

あの過去バナ、嘘じゃないよな、そこはいくらなんでも真実だってわかる。俺らみたいなのに起こる事実はだいたい似通っているもの、だから共感したんだし。少なくとも、今のこの現状、リョウタと俺は本音で話し合えて、俺に至ってはありえないほどクリアに自分のことをカミングアウトできた。これらはタクミさんのお蔭だってそう言ったっていいくらいだ、ね?

ポセイドンやるじゃん、ね?

あら、鬼はいません、ね?

「アツって俺に『マテ』すんの上手いよな」

いた。

「焦らしてんの?」

いたね、ここに。

「俺ヤりたいよ」

ああ、いますね目の前に。

「俺ミユが咥えてるとき、お前にされてるの想像してたんだよ」

ああああ――いや、待ってってば――っ!

「言ったろ? お前わかんねぇのかって」


クロスロードのバルコニーにあるカフェ、カウンターで並んで座った俺ら、スノードームサンタ、へ煙草の煙を吹きかける、リョウタ。

『お前、わかんないの?』

リョウタは、思いっきり悪い顔をしてそう言った。


言った……な、確かに。


「あのさ、アツ。お前わかりやすいくらいに散々エロい目で俺のこと見てさ、えげつなく可愛いくらいに反応しててさ、ああいうのっていちいち俺に刺さってたんだわ」

と言う全知全能の神ゼウス・リョウタ。

「初めて泊めてもらったときにわかったよ、俺のこと好きだって」

全知全能の神ですもの。

「そりゃ女が好きだけど。お前ならいいなって思っちゃったもんは仕方がない」

あのゼウス様ですもの。

「だけどほんとお前ってむじぃ。俺がノったらもっと簡単にヤれんのかと思ったのに」

あらら……ゼウス様、角生えてますね?

そう、事実ギリシア神話のゼウスと同一視される「Jupiter Ammon」が存在する。鬼ではないけどね。だけど、コイツにはズッコシと角が生えている、はず!


「お前は考えすぎなんだよアツ」

そうだろうなお前からしたら。

だけど俺は、この俺のままだったからこそ今ここに俺という俺で存在できているんだよ。

「仕方ないじゃないか、これが俺だから」

宇宙一素直は継続中の俺。

「ああ、そうだな。だから惚れたんだけどな」

アラヤダ、トキメク。

……俺もそうだよ、リョウタ。

俺だってそうなんだ、こんなお前だから好きになったんだよ。

「お前ってさぁリョウタ」

「お、笑ったな、アツミ」

リョウタが最高の笑顔でそう言って、俺は初めて自分の笑顔に気がついた。

見てみたい、こんな風にリョウタを笑顔にさせた俺の笑顔って、どういう笑顔なの?

俺はもう少し自己評価を高めに設定しても大丈夫かもな、うん……きっとそう!

と、そう思ったら暗鬼はもう完全消滅したみたいだ。

俺の叛逆心は消えてないけどね。

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