scene24愛しさを憶えるとは
ココナとの会話もそこそこに帰宅した。
そして只今宿泊の準備中、慌てる必要はない、既におおかたの準備は終えていたのだから。一日早まっただけ、その分を足すだけでいい、と余裕の俺。
詰められた荷物の様相をさらっと見渡してから洗面所へ、相変わらず鏡なしの洗面所、軽く舌打ちしてからすぐさまその舌打ちを反省し、歯ブラシを甘噛みしながらヒーターの前で体操座り……からの胡坐をかき歯磨きを始める俺。
鏡の修理にまだ手を付けていない、もっと計画性をもって生きなきゃ『つい忘れてた』というのがまるで口癖になってしまっている、と猛反省中の俺神堂陸心は立派な成人男性。
独り暮らしは三年目だけど大学やらバイトやら一人っ子育ちやらで、実年齢を大方無視した生活ぶり。未だに母上は仕送りの代わりにとあれこれ送ってくれるという溺愛ぶり、父上に至っては完全放置に突入したと思しきここ二年間の電話の回数は0というこれらの事実。
まあね、母親が熱心だと父親ってのはそうなるものなのかも、とは思うけれど。父上っ子だった俺はほんの少し憂う、ますます父子関係が疎遠になるばかりで再会を果たし会話できるのはいったいいつになるのだろうかと。今年は俺は温泉へ行っちゃうし、母上なんて、溺愛っぷりは発揮するくせに嬉しそうにのんびりできるわだなんてほざいて少々俺を寂しがらせたりするし、父上はやはり無反応を決め込むという先日の電話で、なぜか俺はもっとしかりせねばと考えさせられている。
俺は甘えん坊すぎるって。
ちゃんと親離れできないと、きっと単純な環境整備もできない人間でいてしまうんだなって思う。洗面台に鏡がないだなんて、一般的には恥ずべき生活環境だろ?
などなど、歯磨き中は普段忘れていることを考えることに集中できるというあるあるを実証中の俺。
すると、ドアがガチャガチャ、ハ、ナニ、と動揺する俺、なんのことはないここのドアをガチャガチャできるのは奴しかいないじゃないかと即座に冷静沈着、ハイ、玄関に注目。
「よぅ、今から出るんだって?」
ああ、どうしてこの男はまるで真の住人のように挨拶もなしに入室して、いきなり主に話しかけてくるんだ?
「んぐあっ」
俺は待って、と言ったつもり、急いで洗面所で口の中の泡を放出して男の前に戻って来た。
「泡ついてる」
と、戻って来てやった俺に指摘をかます男、いったい誰のために急いだと思ってるんだとやや腹も立つが素直に洗面所へ戻り、きっちりとうがいをして口の周りをバスルームの鏡で確認し終えてさっきの立ち位置へ戻った俺。
「うん」
この一言を告げるためだけに急いだ俺。
そして、今気づいたことがもう一つ、いや二つ三つ、といろいろありすぎるので整理してみよう。
この男、左頬に歪なあざを持っている。
そのあざさえ映えるような薄水色の麻のスーツ、肌が透けて見える黄土色のシャツ、漆黒のヘア、ああ実に見事にいい男だな……なんていう甘い興奮を誘う視覚情報過多なんですよ。
「なんだよ」
見とれる俺のことを訝しがる男、本当はそれどころじゃないんだけどな。
さぁ本題に入ろう、
「そのあざどうした」
俺は一番肝心なテーマに視線を釘付けた。
だってこれ大変なことですよ、モデルですよこの男。しかも最近も最近の、つい最近にデビューしたばかりのくせにもう売れっ子な男ですよ。そんな男がこんなにも見事なあざを宿しているのです、お顔は売り物なのに。
「ああ、アズーね」
なんでまた、と言いかけて俺にはすぐさまある理由が思いついた。
「モデルのこと?」
って。
ああ、まぁな、この男、チーム戦もあるオーディションがあるのに抜けてしまうのだから。
想像はつく、あのどヤンキー海賊金獅子(仮)の東だ、お仕置きもそれなりだったろうって。俺ですら残念で仕方なかったんだ、チームの頭領だ、東とていくら可愛い後輩と言えども特別扱いするわけにもいかなかっただろう。それに、この男の穴埋めは難しすぎる。人気と実力と人間力を兼ね備えた男だ、しかも自分のことを一番慕い付き従ってきた男が抜けるのだから、その立場も人情も別けて考えることはできなかっただろう。東、きっと1ミリも笑えなかっただろうな。
俺は正直同情した。が、今はそれよりも、
「顔以外には?」
そうこれも予想済みだが念のための確認作業。
と、思い当たるふしを探してシャツを肌けさせ、脇腹やら腰やら見せびらかすエロ男。あざは予想済みだから特に気にならない。
それよりも、鍛えられた腹筋と骨盤との境目の美しいラインが艶っぽくてそれとなくドキドキさせられている俺。あ、いや、アホ、そんなことよりもっと気にしなきゃならんことあるだろ、と自身を戒め、あらゆる方面に迷惑をかけそうだなと声をかけた。すると、それはもう罰を与えられたと言う。
「どんなこと?」
聞くと、タクミさん的罰則として、あざが薄まるまでタクミさんの付き人になる、だから温泉旅行撮影には参加できないが同行はする、そしてもちろんタクミさんと同室であの約束を実行する……んだと。
「ああ、あれ……か」
このときなぜか俺は、俺って一生幸せにはなれないんじゃないか、そんなことを思い浮かべた。
なんだよ、これ。
いきなりの前のり指令、愛しい男のあざ、圧倒的同族想いだったはずの男タクミさんの裏切り行為と思しきリョウタとの同室宿泊、と続く続く目まぐるしい新事実が。
あのさ、俺は田舎者なんだよ、生まれはれっきとした田舎者で芸術家の両親に育まれた人の子なんだ。そりゃ両親らはそれなりに活躍している、だが俺は温室育ちでなんの才もなく自覚ある陰キャで今は駄犬からやっと神格化したばかりなんだ。
気になるココナと過ごせるのは多少のトキメキもあるがまさかのスィートでお泊りだろ、最近は表面的にしかじゃれあえていない愛しの男は賠償問題に発展してもおかしくないような事件を抱えてるだろ、そして。
そして、俺を自由にしてあげたいだなんて乙女チックな優しさを投げかけてくれたはずの海神が正々堂々、再度俺のことを裏切りやがった。
ねぇ、耐えられなそうにもないよ、ねぇタクミさん、いったいあなたは俺のことをどうしようっての。
と、言葉を失っていると、
「そんなことよりココちゃんとスィートなんだって?」
とこの胸を肌けたままのいい男が語気を強めて訊いている。
おぃ、くそ、そんなこと……だって?
馬鹿を云うんじゃない、俺のは仕方がない、自業自得の前のりなだけ。お前のはその他大勢巻き込んで大惨事だろうが。いや、その他については本当はそんなに重要じゃない、その他に迷惑をかけたのは俺も同じだしな、だが肝心なのは、
「タクミ」
「タクミさんと」
俺らは同時にあの世界の美しい顔10位の男の名を並べた。
そして俺は、俺が問いたかったことについて同時に同じ名を並べた目の前の男が、欲しい回答を提出してくれるものだと思って言葉を続けなかった、だけども。
「アツ、なんで同室なんて受け入れたんだ? お前ココちゃんのこと好きなんか? 女だけど、いいんか?」
ほ、ほぅ、なかなかのストレートな言いっぷりだな。
「好きとか、そんなんじゃないよ。発熱騒動の件でお前を休ませるためにも前のりが必要で、そんでココナはゴールドだから、組んだことないしイベントのこともあるから同行して仕事の効率をあげようってことだよ」
はい、お見事!
ズッパシ説明でけたぞ!
だが、
「それなら俺はもう休んだも同然だよな、断れんじゃないか?」
と、言ってのける男。
なに言ってんだお前。
これは店からの、あの仁科くんからの指令なんだぞ。断るって、どういうつもりなんだよ。お前はプラチナだろ、どんなことがあっても厳守すべきだ、メンバーを律する立場にいるのはお前の方なんだぞ。俺は最下位のポジションだ、そんな俺になんて発言してんだよお前は。
「俺はただの付き人だ、タクミの仕事についてくだけだ」
ほんと、どうしちまったんだよお前。
今まで見たことがないよこんなお前。
「リョウ……タ」
俺はリョウタの、子供が我儘と知っても強請るときのような、子供ながらに悲壮感を帯びた卑屈な表情に、不安になった。
明るく真っ直ぐで素直、馬鹿みたいに開けっぴろげで、いい男の自覚なんかこれっぽちもないくせに無駄に恰好よくてモテまくるスケコマシの天才。女にだらしなくて、そんでも酔った女にはとんでもなく優しすぎるリョウタ。何度叱られたって介抱を繰り返す、酔いどれた女を見捨てられない男。
「アツ、お前こそどうしちゃったんだよ」
お前こそ……って。
なにこれ、俺の「どこが」「どうして」「どうかしちゃってる」ってことになるんだ。お前こそだ、お前こそにこの『お前こそ』という台詞は相応しいんだよ、リョウタ。
タクミさんのモデルの誘いを受けてからのお前はなんなんだよ。
あの夜。
そうあの夜、俺にあんな風に触れといて……あれから素知らぬ顔でやり過ごしやがって。リョウタ、お前は俺になにか隠していることがあるよな?
お前は変わった、どうしちゃったんだって言葉が相応しいくらいに変わったのはお前で、俺には、その理由がわかっているんだよ。俺が気づかないとでも思っていたのかリョウタ、お前は、お前はタクミさんと、
「寝たよ、アイツと」
一気に暴発しそうだ、顔面が。
「わかる……だろ、なんでか」
リョウタは俺のことを見据えて言う。
両の拳が滾る。
「だ……まれ」
口が上手く開かない。
聞きたくない、この先を知っているのに聞きたくはないんだ。
リョウタは今度は儚く消え入りそうな……雄のスキルを全て棄てた様な、甘えた表情で言う。
「わかってたんだろ、なんでか」
リョウタの口を塞ぎたい、そう思った瞬間には腕が伸びた。
リョウタのあざを掠った俺の右手は拳を解いて壁に密着した。確かに壁に掌が吸い付いているのに、どこかにもげ落ちてしまったように、どこかに消失してしまったようになにも感じない、痛みがあってもいいはずなのになにも感じようとしない。
「なんだ……よ、怒んなよ」
力なくふざけた口調でリョウタが、ふざけた口調なのに今にもタラシこむ様な甘く切ない声を絞り出している。
「俺はお前と、アツと」
切ない声のくせに俺には甘くは響かないよリョウタ、
「黙れよ」
俺はただ黙っていてほしい。
ああ、そうだ、知ってた。
そして今知ったよ、リョウタ。
お前はもう二度目を知ったんだなって。だからお前は、今のお前は俺の知らない、こんなにも違う姿なんだな。
何度……だ?
何度あの人と寝たんだ?
よかったのか?
お前、悦んだのか?
ち、くそ、なんだこのクソクエスチョンは!
メンヘラ女ムーブじゃねぇか!
「アツ、お前のことを知りたかったんだ」
ノイズキャンセル、耳が詰まる、目が眩む。
「君は不自由だ」
あの日タクミさんは俺へそう言った。
「ペットでもないのに『マテ』を強要されるリョウタが可哀そうだ」
こうも言った。
「そうやってリョウタのことを苦しめる君がもっと可哀そうだ」
とも。
「友人であるはずのリョウタは、友人の君が自分のことを好きだろうと思い違いをして、そしてその厚かましい思い違いを自分本位に押し付けようとしているだけ……なの」「リョウタは待っているんだから」「いいチャンスじゃないか」
タクミさんの言葉が鮮明にロードされる。
俺はあの日少なくともタクミさんに好意を抱いた。彼の体験談は自身のそれと似ていたし、タクミさんの発言にはどこにも悪意などなかった。俺らは同志、と言っていいとも思った。
俺らには経験値の違いがあるとタクミさんは言った、その通りだと俺も思った。タクミさんの洞察眼はクリアだった、同族だからわかること、思い遣れること、気づくこと、がそこにはあった。もちろんだよタクミさん、リョウタにはわかりっこない、あなたでなければわかり合えないことがそこにあったよ。
だけどね……、
「僕が君のことを狙っていると思ってて可愛いんだけど」
リョウタの思い違いは、子犬が自分の尻尾を懸命に追いかける姿のように愛らしく感じただろう、そうさ、俺だって経験があればそう感じられたかもしれない。
いや?
ほんと、そう思えるよ、だけどね……、
不埒な妄想に墜ちきれなかった俺の真実は、どうなるんだよ。
『そう、君だけは……君のことを見殺しにするなヨ』
俺は、自分のことでさえまともに受け入れることができないでいるんだ。
あんなセックス、俺にはできない、俺は求めていられない、ずっと欲しがったりできないんだよ、なのにこの俺はなんだ?
俺ってなんだ?
リョウタのことを邪な目で見ておいて、それでも手をかけようだなんてところまで達することができなかったこの俺は! この俺は、なんだっていうんだよ!
俺のマインドは乾いている。
だが今びしょ濡れだ、顔が。
力なく後ずさりしようとする俺の身体を、腕を掴んで引き寄せたリョウタは、壁にもたれたまま弱弱しく俺のことを抱く。そして言う、
「お前に惚れた……んだ」
と。
抱きしめられ、リョウタの喉元で顔を埋める俺は、ぎゅっと瞼を瞑って唇を噛み締めた。リョウタの顔なんか見れない、リョウタのアツい胸が激しく鼓動しているのがわかるから。
「黙んなよ」
リョウタが熱い吐息を絡めて苦しそうに言う。
ごめんリョウタ。
俺は今は一言も零したくないんだ。
昂るこの気持ちをずっと憶えていたい……忘れられなくなるまで。
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