scene22乾いた唇がアップルティーに濡れる

 俺の発熱は思わぬ事態を生んだ。

まずはシフト、俺は年末まで休むことになりそれまで他のメンバーへ迷惑をかけることが決定、グループラインと個人ラインで皆に重ねてお詫び、そこまでしなくてもいいよと言ってもらえたけれど、体調管理は最低限のマナーだからね、土下座するくらいの心構えで謝罪した。

そしてワンダーでの撮影は新年に持ち越しということなんだけど、これがそれ相当に調整が難しいらしくまだ決定事項とはなっていない。

そしてそして、ココナがうちへ来ることになった。

そう、ココナがうちへ来ることになった。

大事なことなので弐回書いているのだよ。


俺はココナからのラインをスルーした挙句に電話にも出れず、心配したココナはグループラインで捜索開始、リョウタが回答、その後電話で話すようになったんだけど、俺の衣装のサイズ合わせをタクミさんちの代わりに行うということで来ることになったんだ。

当初はタクミさんちのスタッフさんが来るという話だったんだけど、サイズだけならココナも必要だから丁度いいだろうってことで、リョウタが話をまとめてくれた。俺へのアスキング抜きでね、仕方ない、俺のダメっぷりでこんなことになっているんだも、文句は言えない。

わかりやすく緊張している俺。

女子を入れるのは初めての俺。

リョウタは何人か連れ込んでるけどね、俺はそういうのできない人だから。

「俺その日空けとくから」

と言うリョウタ。

お前の部屋じゃないから、そういうの要らないよ、と突っ込んだらニーブラ攻撃にあった。相変わらずのふざけ合い、あれから……リョウタと最後に会話してから、俺らはこうしてなにごともなかったように過ごしている。リョウタの無頓着な性質のフリには感謝するべきなのか。

いや、そうとも言えない。

だって俺は必要性を感じて何度も話そうと仕掛けたんだ。その度にリョウタは無邪気な「なに?」を返してくるのでためらってしまい、結局はただ保留にしているだけ。そして、そうしたやりとりに時間が費やされることで事の重大さが失せていくようにも感じ取れる。

あ、これも違うな。本当は心の奥底で、俺らの間に妙な溝ができることを俺は恐れているんだよね。

それに俺のせいでリョウタはバイトのシフトもワンダーのスケジュールも忙しくなってしまっているし、なんだかまだ話すタイミングではないようにも思う。


 リョウタは変わった。

それは明らかに感じている。モデルの仕事がいきなり軌道に乗ったことも関係しているのだろうが。ダンスレッスンも減っているみたいで今はモデルが専業、そういう環境の変化のせいか身のこなしが変わったんだ。まあね、元々いい男だからね、ちょっとしたテクニックで磨かれてしまうのは当然だろうけど。

仕上がったプロフを見せてもらったが、タクミさんといい勝負だと思えた。

あの美形には適わないにしても、視線の運び方、仕草、どことなく漂うムードに男の色気が増したと思う。重めの前髪に漆黒のコンマヘア、首筋がスッキリしたせいでリョウタの上半身の締まり具合が映える。リョウタは後ろ髪を結べなくなって不便だと嘆いていたけど、すごくよく似合っている。

見た目が変わるといろんなことが変化していくのを見せつけられたな。

だが俺は素直にまるっといいことだとは思えていない。あの夜のことが忘れられなくて、それがタクミさんのせいじゃないかって思えて仕方がないから。

リョウタは、もうんじゃないか……そう感じているんだ。

俺でさえたった一人としか経験したことのないアレを。

ほら、俺のクソポイント、悪い予感ほどよく当ててしまうから、これはかなりの高確率なんじゃないかと感じている。

リョウタのあの妖しいムードは、知っている男の『』だったから。

だとしたら相手は……タクミさんだろう。

どうやって陥落したんだろうリョウタは。

と、俺はその姿を妄想するようになった。妄想より先に夢で描いてしまっているから容易だ。抱き合う二人に感情などないだろう、本能と欲求と快感に従って動くだけ。タクミさんならうまくやれるだろう、妙な詮索は……はしたないけど、俺はアキラさんとの初体験を思い出してそう察している。

リョウタはもう、二度目を経験したのだろうか。

俺は自分が拒んだせいで生まれた、経験した以上の快楽を知るチャンスを失ってしまったことを悔やみはしないが、それを知っているかもしれないリョウタには軽く嫉妬してしまう。って、これが嫉妬なのかは謎だけど。

箱の中の猫じゃないが、俺には複数の可能性が残されたままで、まだ未来を見ていない。そして、そのせいでいつまでも大海に浮かぶアメンボくらいに怯え続けているとも言える。

可能性をよい意味で扱うことができるのは選べる時ではなく高めたい時だ、俺はそう思ってきた。自分探しという偽タイトルで逃げ道を探していた俺は、むしろ可能性を低く設定したかったのだから、怯えなきゃならんのはその罰なんだけどな。


それにしても。

リョウタは愉しみ、悦んだのだろうか。

タクミさんと抱き合うリョウタの姿、の次にタクミさんに抱かれる俺の姿を想像してしまう。そして思う、どうして俺は、リョウタとの妄想をもう描けなくなってしまったのだろうかと。


は、もう三十分以上考えてるわ。

へ、三十分って、ああいかん!

ココナが来るじゃないか!

歯磨き、んで着替え!

俺は猛烈に慌てて準備にかかる。


「ヴォン ジョルノ」

店外初ココナのご登場だ。

うう、なんだなんだこの優しい香りは!

ミルク石鹸でも飲んで来たのか?

ココナの体中から、あの懐かしの香りがするぞ!

ずっと吸っていたい、そう思わせるココナの空気、

「おじゃまします」

と靴をそろえてご入場だ。


ココナは女神の足取りで進む。

薄いオレンジ、肌の色と見間違いそうなテロテロワンピースが膝をぎりぎり隠している。素足なのかと思わせるがよく見ると薄く白く光っているストッキング、ココナが立ち止まったので観察終了。

「オレンジのマット、にどうぞ」

俺は先だって準備したココナにはオレンジ、俺ブラウンで座席を配置しておいたのでお知らせする。ココナは、

「荷物は……どこに置いていいですか」

と初めてのおつかいくらいに可愛い様子で尋ねた。

「ああ、ベッドの……俺が持っていくよ」

とココナから荷物を預かり持って行った。

小さいバッグは膝に置いている。少女漫画の主人公だ、これ、間違いなく主人公だな、俺はココナの全部が可愛く思えてならない。

ドリンクはアップルティーに決定、ティーカップはなくコップで差し出す。

「うわ、ありがと」

安っぽい大きなコップ、ココナの顔を半分も隠してしまう。

ふぅっと優しくコップの中へ風を送るココナの唇は、今日もやはり乾いていた。そう、これがいいんだよ、とにんまりの俺。

「あ! 緊張しちゃって忘れてた」

と、ココナは、小走りに荷物のある方へ。

「はい。病み上がりでしょ、栄養つけて」

と小さな手提げの紙袋、

「ああ、ありがとう」

と受け取った俺、ゆっくりと覗くとなんかしらのドリンク剤のようだった。

ちょっと驚いた、だって重みがあってココナの選ぶものといったら、てっきりゼリーだと思っていたから。テーブルの上に出して二度びっくり。

「マムシ?」

「そう! とっても効くんだって」

おどろおどろしいマムシのイラストに黒金赤のラベル、こりゃ効きそうだな、とは思うけど、

「なんかイメージが」

と俺は呟いてしまった。

「お店のおじさんがね、それが一番いいよって」

と、勧められたらしい。

いや……これ、絶対店主は要らん妄想しやがったな、と俺は苦笑いした。でも、このアンバランスなチョイスがまた可愛さを増したのも事実……もつかの間、

「今度私もチャレンジしたいっ」

と言うココナ。


あ――へぶん!


なんて可愛さなんだ、ココナ。

こんな可愛いのがマムシドリンクを両手に支えて飲んでいるのを見たら、俺は、俺は、ココナが口元にちょっと零しちゃったのに吸い付くかもしれん!

っつって、なんでココナが零すこと前提なのかは不明だが、とにかく可愛くて仕方なくて俺は苦笑いをすぐに撤回した。そうして、甘美な天国ステージに滞在していたら、

「リョウタくんはお留守だったんだね」

と言う。

噴いた、俺。

「ん? リョウタ?」

しか言えなかった俺。

「うん、同棲してるって」

「ど、同棲って! いや、違うよ、アイツが居候なだけだから。だ、だ、誰だ妙なこと言う奴は」

「リョウタくんが言ってたよ」

「あのね、リョウタが居候なの、居候って言いにくかったのかな」

とかなんとか、俺はやんわり同棲という言葉を取り消した。

妙な関係だと思われたくない、即座にそう思ったんだ。今やメンバーの誰が気付いていてもおかしくないように感じてて尚更に用心する俺。

タクミさんはマスターの三村さんが知っていると言った。仁科くんもミユだって俺らの関係を恋人同士だと思っている。俺のことだけならともかく、リョウタと俺がそういう関係だって思っている存在が既に三人もいるんだ。ああ、響子さんを入れて四人か。更には谷くんはミユからそういう話をされている可能性が高いし。谷くんは簡単に口外するようなタイプではないけれど、知られたくはない。

それに、仁科くんまでも。

あの仁科くんに気づかれているなんて、ここはもう本当にどう対応することが正しいのかを考えたくないほど不安だ。仁科くんが気づいていることを俺が知らないことにする、子供じみているけれどそうしたい、そういうことにしておきたいよ今は。

「アツミ? ごめんね。私なんだか変なこと言ったのかな」

ココナが申し訳なさそうに言う。

「いや、違うよ。リョウタが悪いんだ、変な言い方すっから」

「同棲……って言い方が変なの?」

「ああ、なんか恋人みたいじゃん」

と、俺は何を血迷ったかとんでもない発言をしてしまった。

いろんなこと考えながら話したら、言いたくないことを言っちゃうよね。意識しているけど見ていないフリを決め込みたいけど、ついつい口から零れちゃうよね、意識していることについて。

「恋人じゃないの?」

はい、そうなりますよね。

そういう質問を俺が誘ってしまいましたよね。

「違うよ、まさか」

きっぱり否定したのに、

「お似合いなのに」

と言うココナ。

苦笑いが消えた、失笑、固まった、俺。

「あのねココナ、お似合いって、ははは」

正しい苦笑い、はははがわざとらしい俺、

「私は二人を恋人だと思って……諦めたんだもん」

と立派に堂々と言うココナ。

一度失った苦笑いを取り戻そうとした俺はまたもや失笑する。ココナの発言の二箇所に誤りがありますよね、恋人というところと諦めたというところ。

じん、と痺れた。

ムズ痛い胸の奥、これは二度目の告白じゃないのか?

俺のあのときの告白だと感じたことが事実だったと証明されているのでは?

「あ! また私……ごめんね。困らないで!」

困らせといて困るなという理不尽も、ココナのならすんなり受け止めよう。

なんて甘い時間の流れなんだ、こんな風にときめいて、俺の真実は焦らされた分だけ甘さが増した事実になった。ココナは俺のことが好き、という紛れもない事実、だ。

「あ、ありがとう」

俺は思春期の、恥ずかしさしか知らない不器用な男子学生風に礼を言った。

「あ、こちらこそ」

ココナはゆっくりと、「あ」と「こちらこそ」の間で瞬きをした。

ありがとうという言葉も、こちらこその言葉も、意味が曖昧過ぎて説明が足りなさ過ぎて、そうして今は互いに勝手に思い込むしかないのだろうけど、俺はココナの告白がやはり心地よくて繋ぎとめたくて、そして黙っていられなくなった。

「このこと、また今度……ゆっくりと説明させて」

そう、今ではない、だけどココナの想いを真っ向から避けたくもない、前向きに考えるために、告白に対する回答を先延ばしにすることが正しいと感じた。

だがふとこうも思う。

リョウタとのことも先延ばしにしたのに?


ぼんやりと、リョウタとのことに早く決着をつけるべきだと気づきたくなさそうな俺は、今は笑顔でココナと向かい合っている。逃せない、今は、ココナの想いをもっと確実に感じ留めておきたいんだよ。それにね、ねぇ、気のせいかな、ココナの頬が赤らんでいるんだ。

コップの中を覗いて伏せられた睫から、コップに隠れているはずの頬の色を確かめる、そして、ふいに口元から外し下げられたコップに、隠されていた唇も。


俺の、また今度という言葉に無言のまま頬を染めているココナは、ぷっくりとした乾いた唇を何度も、アップルティーで濡らしている。

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