scene20リョウタとココナは版違い

「ふぅ」

短く吐息。

俺は一人見慣れた帰路をぽつぽつと歩いている。時折こぼれる吐息、本当に疲れている、どうしようもないくらいに背が重い。今日は自炊は無理だな、そう確信しているが磯崎さんちのオムライスを食いに行くほどの体力もなさそう。と、オムライスと脳内タイピング、急激な飢えを覚える俺。そういやイヴのパンケーキ以来、なにも食っていなかった。

「あかん、コンビニ行こ」

俺の独り言はくたりきっている肉体への命令だ、従うしかない、のたりのたりとクロスロードへ向かう。

右側の大きな道路では深夜から早朝に活躍する大型トラックの往来で、強弱様々な風圧があちこちで渦を巻いている。その渦の中、テールランプに照らされた雪は白さを際立たせ、その周りの雪は闇が深まるせいで灰色に染まったりする。積もりそうで積もらないそれらの雪は、最終形態を目指してひたすらにその営みを継続する、その様子が疲労を癒してくれるよう。だが足元は冷え、濡れたせいで重く、いつもならいつまでも観ていられそうな雪の様子に集中できない。

ふと、コンビニの入り口でミユの姿を思い出した俺、だがあのエロさを思い出すことさえ今は面倒だ、慌ててミユのあのエロ姿をかき消しカゴも持たずに冷凍食品コーナーへ。とにかく今はなにも考えたくない、特に面倒な奴のことはね。

「オムはないか、なにがいいかな……油臭いとやだな」

と、またまた独り言だが気にしない、俺のは標準だから。

疲れすぎていて唐揚げとかハンバーグとか、脂っぽいものは避けたい気分、だがそういうものばかりなのに気づく俺。日本人の食生活はどうなってんだ、とぶつくさ言いかけて鍋焼きうどんを見つけ、そばと悩み、結局二つ手にしてレジへ進む。俺以外誰もいない店内、店員さんがレジ前で待機、俺が置いたうどんに手を伸ばす店員さん、その目前で、

「あ、すみません、ねぎを……」

と俺は回れ右、ねぎを探しに行く。

ねぎねぎねぎ、あったこれでいい。

と、俺は重い体と水分を含んだ足に鞭打って、今度は小走りでレジへ駆けつけ軽く頭を下げてねぎを差し出した。

「レジ袋はご入用ですか」

「いいです」

と答えたが、

「いらないです」

と言い直し、リュックに品物をぶっこんで店を出た。

いいですって妙な返答だよな、という会話をファフィくんとしたことがある。いい、と言うので欲しいと思う海外の留学生のバイトは多く、たまに首を左右に振って目視で確認する人と出会ったこともあった。不要ならもっとストレートに断るべきだな、と思いそう答えることを習慣化する訓練中。それにレジ袋、もう作るの辞めたらいいのに、と俺はいつもこの瞬間に思ってしまう。たった数円かかるようにしたからって減らせるのかね、と。

かと言ってエコバッグをまだ持っていないのは、母上が送ってくれたにも関わらず荷物をほどいていない俺の不始末だ、ああそして、こんな時にしか思い出さないという愚かさまででワンセットなのよ。

いつも疲れたときに荷物のことを思い出して、またね、と先送りしてしまう。わざわざ送ってくれているのに申し訳ないが、今日は本当に無理、ごめんなさい母上。


と、そんなこんなでやっと玄関先、静かに入室。

俺はまずバスタブにお湯を、荷物をほどいてキッチンの椅子へ座って腕を伸ばしヒーターをONした。階下はなんかしらの事務所だから、うちの風呂は24時間稼働可能。扉は閉めたが僅かに湯の音がする、その音が凄く心地いい。

思わずテーブルにうつぶせる。

横目で見えるベッド、久しぶりに見るベッドは案の定ぐしゃぐしゃだ。リョウタの起きたあとはいつもこう、カバーは落ちているし、枕は行方不明、毛布も羽布団もぐしゃぐしゃだ。

「ふ」

俺は苦笑いしてしまう。

怒ってもいいんだけどな、だって俺はこういうことが不快だと感じるタイプだから。人を部屋へ入れるのも苦手だ、というかそういう機会に恵まれなかったせいもあるが、基本的に整理整頓清潔第一な男。

俺の好きなようにセッティングされている部屋、乱される要因など作らなかった、はずなのにな。

今思えば、リョウタはそういう意味でも特別だ。

雑だが清潔感のある野郎、抵抗感なく泊めることができた。

あ……ま、これもちょっと違うのかな本当は。俺はリョウタがいい男だと思ってたんだから、なにかしらの邪な期待はしてた。

え、期待って……肉……?

ああ、もう、続きはバスタブで考えよう、ここはちょっと考え始めるとどえらいことになりそうだから。つか、こんなに疲れているのに今日考えるの?

ああ、ね。

その方がいいだろう?

タクミさんの言う通りいいチャンスだと思えるし、そう思えた日が吉日だろうよ、と俺は俺のチャレンジを後押しする。


 熱めの湯がたっぷりのバスタブ、ぷしゅぷしゅ炭酸音、血筋が膨らみ循環をはじめる。

縮こまった首筋を伸ばして後頭部をバスタブへ完全に預けると、音量を増した炭酸の弾ける音が耳の奥の汚れを追い出してくれるみたいで心地いい。

ファンを回さない派、湯気で充満するバスルームは、精神と時の部屋くらい異次元感を醸し出してくれる。


さぁ始めようか。


俺はまず、もうすでに感じていることを、現実として、事実として認めることから始めることにした。

『リョウタのことが好き』

もうこれは間違いない、揺るがない。

が、その気持ちをどうするの?

リョウタに知ってほしいのか?

ああね……ここからもうわからない、これも確かだ。

『好きなのに?』

タクミさんの言葉を思い出す。

好きなのに、ってどういう意味だ。好きだったら知ってほしい、受け入れてほしい、ということなのか。うん、そうだろうよ通常は。互いに確かめって、そうしてハグしてキスしてモチベをUPしてくのだから、ベッドインへの。


ここで、俺は自身の決定的な性的欲求の欠落に気づく。


俺は、リョウタに俺のことを好きでいてほしい、とは思っていないこと。嫌われたくはない、その程度だ、と。

そうだ、ここなんだよな、タクミさんが驚いたと言ったのはここのこと、だろ?

俺は、リョウタが俺のことをどう思っているのかなんて気にしたことがないんだ。そら、リョウタのこと見て興奮することはある、実際あったし、でもアイツとその先へ進むことなんて望めていない。


でも……先輩のときは違った。

俺は今でもはっきりと、あの時の性的な興奮に混じった本能的な欲求を覚えている。触れたい、そうはっきりと感じた。その興奮と欲求をどう処理すればいいのか、その方法を知らなかっただけだ。では知っていたならよかったのかというと、これも微妙だ。ネットで調べてその方法を知ったとき、俺は恐怖したから。あんな行為をするのかと。同時に俺にできるのか、という不安もあった。だがだからといって欲求を失うことはなかった。

それどころか、もし先輩も同族であったなら、きっと『そういう間柄』になっただろうと思える。なんでだろうな、ここは随分と、はっきりとそう思える。

待てよ。

『そういう間柄』って曖昧な表現だな。

『恋人』だ、そう、『恋人』だと言うのが正しい。

あの頃の俺は恋人としてあの人と過ごしたいと願い、できたなら必ずそうしたはずだ、それが本心だ。

二人で少しづついろんなことにTRYできたらいいな、そんなことを願ったことがある、それが事実だ。

二人で一緒に、同時なら、怖れることはないだろうなどと考えたこともある。そうだ、俺は先輩と過ごせば過ごすほど、期待をするようになっていた。あの甘い期待感はなんだったのだろう。


いや待てよ……もしかしたら、先輩も?

だから俺がそう感じたんじゃないのか?

仮に先輩も同族なら、タクミさんのように俺の本性に気づいていたのかもしれない。そして、俺が悩んでいたことも。だから先輩は言い出さなかったのでは?

そう思うと、先輩との二人きりの時間に奇妙な『間』が起こった説明がつく。幼さゆえに仄かな期待を抱いただけだと思ったが、それこそが独りよがりだったのかもしれない。

それに、先輩も全く俺と同じだったのかもしれない、という線も充分にあるよな。俺らは互いに、怖れながら求め合っていたとしてもおかしくなかったのでは。そして、もしそうであったなら相思う者同士、恋人になれたかもしれないね。

ここにきて新たな思考が芽吹く。

あれは、ただのはしたない欲望ではなかったのかもしれない……と。


ぶくぶくぶく


俺はバスタブに沈んだ。


逃げる……な、

マインドを奮い立たせろ、

ぷはぁ――っと浮上。


いずれにしてもタクミさんの言う通り、俺の経験不足が全ての元凶なのだろう。

アキラさんと出逢って二度目のコトを拒んだせいで、俺は俺の正体を知らずに済んだどころか、臆病風吹かせた事実だけが存在して、肉体的な欲求と精神的な欲求と、そして思考が生む言動を全て切り離してしまったんだな。

真実も事実も、真理を伴わない結果でしかないんだと。


少しづつ見えてきた気がする。


見殺しにした俺の屍が教えてくれようとしているのだろう、まだまだ虚ろだが、一時間前の俺とは違っている。先輩から遠ざかった思春期はともかく、アキラさんから逃げた代償は大きかった……のかな。

うん。

再認識完了。

過去を照らすとは、こういう作業なのだろう。うやうやと蠢くだけのかげの正体が見えてくる。


『君は、マインドを精神のように扱って、いつも乾いている……よ』


俺の乾き。

……は、なんだ。

俺のマインドはなにを欲しているんだ。


『……そうやってリョウタのことを苦しめる君がもっと可哀そうだ』


俺に、欲しているものはない。

……これが俺の不自由なのか?


『アツ、やっぱ俺のこと好きだよな?』『好きだって言われたら考えなきゃな――って思ったんだよ』『俺はアツが好きだからな! それは覚えてろよ!』


は――ぅ、リョウタ、めっさ告ってんじゃん。

俺は告られてたんだ、な。


ペットでもないのに『マテ』を強要されるリョウタが可哀そうだ、というタクミさんの発言が正しい表現だとも気づき始める。


はは、ペットなら喜ぶ……のか。

『マテ』はご褒美の前の予告だからな、当然だ。

うまいこと言うな、タクミさんって。


リョウタ……


なぁ、俺が好きだと言えば、それはリョウタのご褒美になるのか?

考えなきゃって、俺との関係上に生まれてくる問題のことなのか?

俺にはリョウタへの欲望がないのに、こんなに俺の中は空っぽで、バラバラで、好きだって気持ちだけなのに、本当にそれだけでいいのか……な?


……一緒に、リョウタと一緒なら……ススメルのか?



と……なぜかココナのことが思い浮かぶ。

か弱く細い中指先の、膝手前でくるくると円を描く仕草、その内腿の色っぽさ、に腹の底が疼いた。


は……あれ?

なんでココナ?


『アツミと恋人になりたいっ』


ズクン、二度目の疼きを俺の衝動レーダーがキャッチ。

エロさのない色気を初体感した俺は、相当にココナにやられちまったみたいだ。今、やばいくらいにココナの映像がロードされ続けるというバグ。

触ってみたい、あの細い腰と背中に。

頬の柔らかさを確かめてみたい、そう感じている。

ココナは意図せずを装って、

『爆乳メロンになりたいっ』

と言った。

俺は咄嗟にココナの胸に視線を送ってしまった、そして島田さんの肉体にココナの頭を挿げ替えた。

その絶妙なタイミングで、

『アツミもメロン好き?』

と言ったココナの誘惑、ってあれってもう絶対に確信犯だろう。

あざとさがまさに女神並み。


はぁ――。


ドキドキする。

今思い出してもズクズクする。


ハ、俺は!

リョウタのことを考えなきゃだろ!

と思ってみてもバグ修正にはいましばらくかかるみたい、ならばここはちゃんと待つとしようか。


ココナと今日初めてゆっくりと話したけれど、予想を遙かに超える可愛さだった。ええとこしかない、惚れた。うん、これはわかりやすいくらいにはっきりしている。

ココナとなら付き合える、普通のカップルとして、なんて思えるほどにだ。

ん?

んあ?

なんでココナとは軽く想像できちゃうんだろうな、今カットしたシーンが完全にベッドシーンだったんだけど?

恋愛育成ゲーム並みに進行する脳内、不思議だな。こんな風に想像することなんてなかったのに。ココナ、恐るべし。


ってさ、俺、リョウタとココナ、どっちが好き?


ん……ン、むじぃ、これ、ステージがちゃうわ、つか版が違う?

どっちも好き、なんだわ。

あら、なにこれマジなの。


無音、炭酸は弾けきった。

湯煙の中の俺、なにげ新しい世界の扉を開いちまったみたいです。

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