scene18過去を照らせ
「なんだか疲れてるみたいだね」
ポセイドン・タクミは神格化したばかりのディオニソス・俺に握手を求めながら言う。
は、言動がアンバランスなんだが?
別れの挨拶をする握手の握力の程が、心配する相手にかけていい強さじゃないんだよ。
「温泉の発表も済んだことだし、早速だけど僕に一日くれないかな」
そして、早速って、なにが早速?
不審がる俺に、
「やだな、忘れたんだね。リョウタと僕とどちらと過ごすか賭けたでしょ」
俺の全身の緊張がいきり立った。
「な、なに言ってんすか! どちらとか、どちらって……過ごすもなにもそんなことに俺を巻き込まないでくださいよ」
とどぎまぎしながら必死の反論、
「そんなこと? 巻き込むもなにも、これって誰得だと思っているの」
という断定的な言い回しに、
「俺のためではないでしょ」
と言ってやった。
どうだ、俺はもう神格化したんだぞ、強いだろ?
だが、胸は張ったが、実はちょっと俺得だろうとは感じている。だって、この賭け、ゼウスとポセイドンを並べて選べるのだから。あのリョウタと世界の美しい顔10位の男、どっちをGETしたって元愛犬からしたらすんごいご褒美じゃない?
あ?
アホか俺、ふざけていい場合じゃないぞ、よく考えろ。なんでこの人は俺に一言も確かめないんだよ、肝心なことを。知った風に決めつけて勝手に賭けに興じるなんて、いくらいい男でも許せんぞ、
「タクミさん、俺のことをなにか勘違いしてるみたいですけど、リョウタを口説きたいんならご自由に。俺には関係ないんで」
精一杯の果たし状。
「……はは、ごめんね。怒らせちゃった。じゃ、いいかな、はっきりさせても」
笑い声だが決していいムードではない、笑い声に似つかわしくない言葉が並んでいるから。
「あっくん、君はマジョリティー側でないはずでリョウタのことが好き、認めているはずのマイノリティーなはずだが……明らかな経験不足。ここまでは合ってるよね?」
顔のどの部分も美しいくせに、口先だけはさもイヤラシイ。
そして、吐くセリフの毒の濁りが胸糞悪い、いっそ失神するくらいの猛毒を吐けばいいのに。それに、どれもこれも図星だが、俺はポセイドンへ忠誠を誓うつもりはないから認めはしないぞ。ああ、ちらりとでもこの神を愛でてしまったことを、今はもう忘れてしまいたいし撤回してやる、と俺はタクミさんへ背を向けようとした。
「やめるかい、ここを」
すぐさま姿勢を戻す、俺。
「隠しておきたかったのだろうけど、悪いけど……オーナーもカヲルも気づいてる。僕だってすぐに気づいたよ。あっくんが僕のことに気づかないのは、経験値の差だ。だから僕は、あっくんの自由をもっと広げてあげたくなったんだ」
「自由って……なんて勝手なことを言ってるんですか」
驚きよりもムカつきが勝って、俺はタクミさんに憎しみに近い感情を抱こうとしている。
「君は不自由じゃないか。リョウタはあんなに君に懐いて近づこうとしてるのに、君は『マテ』を強いてる。それを自覚しているとでも? 違うね? それともこれはペットを喜ばせるプレイなの?」
「な……に、を」
「ペットでもないのに『マテ』を強要されるリョウタが可哀そうだ。そして、そうやってリョウタのことを苦しめる君がもっと可哀そうだ、だから君は不自由だと言ってるんだよ」
この憎しみは図星が発展したもの、しかも繁殖するみたいだ。
正々堂々正論論破、海神の声にも言葉にもどこにも淀みなどないが、強いて言えば悪意なら十分にあるだろう、そう思い込もうとした。が、いくらなんでもそこまで愚かにはなれない。この神は嗤ってなどいない、ここには真理がある。
「リョウタと俺は……俺は、友人だと思ってます」
無意味な反論は虚しく朽ちていく。
お門違いな憎悪、図星を隠滅するための憎悪にこそヘドが出るよな。
俺にはとうにわかっている、ヘドがでるのはディオニソス・俺に対してだ。
「そうなの……か。では皆が思い違いをしている、特に友人であるはずのリョウタは、友人の君が自分のことを好きだろうと思い違いをして、そしてその厚かましい思い違いを自分本位に押し付けようとしているだけ……なの」
ポセイドン・タクミの語尾がいちいち面倒くさい。
疑問なのか断定なのか嫌味なのか、そういうあいまいな話し方が今は心底鼻について憎しみが増すだけ、だ。だが、同じ速度で俺は嘘がバレそうなときの情けのない恥にまみれた罪人のような醜悪な気分でもある、自分の吐いたヘドに溺れそう、だから。
『……だけは……君のことを見殺しにするなヨ』
あの唇のピアスの真珠の光の玉、あの唇をなぞるほっそりとした人差し指、右の唇の端を乱暴に押し上げる指先……アキラさんの声が波動になって俺のマインドをなだらかにしていく。
やみかけた雪の街、カラフルなネオン、人ごみで溢れかえる道路の真ん中、白いマントが真っ黒な羽をすっぽり包む光景、昂る胸……と白い息。
そして、あの、みるくむーん。
『アツ、やっぱ俺のこと好きだよな?』
『今ならうけてやってもい――ぜ』
あれは……どういう意味だった?
二人しておどけていたんだよな?
「ああ! 好きだよ」
「俺も、お前が好きだ――!」
二人しておどけてふざけてた……んだよな?
ふざけてた……のか?
『お前の名前でちゃった』
『女、めんどくせ――な』
ミユが部屋を飛び出した夜……リョウタは、はっきりと言った。
恋人だと疑われたとき、
『じゃ、いいじゃんか、恋人ってことで』
『は、なに? 俺じゃ不満か』
リョウタは迷わず言っていた。
昼休みの事務所、
『ンで、お前俺のことスキなの?』
『は、違うの? なぁ――んだ』
『好きだって言われたら考えなきゃな―――って思ったんだよ』
リョウタはなんで俺が告白すると思ったんだ。
俺ははっきりと否定して、そして、
『クビ回避、『イイことシあう仲』そんでいいじゃんか? な?』
そうリョウタに言われてチクリとした。
チクリ、そう胸が痛んだんだ。
さっき……リョウタと話した、
『悪かったよ。追い詰めるつもりないから、ごめん』
リョウタは謝った、
『俺はアツが好きだからな! それは覚えてろよ!』
なんで?
なにに謝ったんだ?
いやだ、考えたく……な……い。
『そう、君だけは……君のことを見殺しにするなヨ』
ああ!
やめてくれ……よ、もう!!
どうしろって言うんだ、俺にどうなれと言うんだ。
俺はただ待っているんだ、俺の中の正義が勝つのを。もっと集めなきゃならないんだ、これが正しいことだって!
まだ足りないんだよ!
もっと確かめるんだ!
「俺になにをさせようって言うんです。俺は不自由だとは思いません、不自由だと感じたことなんかない……ただ確かめたい……んだ」
「何を、確かめたいの」
「俺は……正しいのか」
「なにについて」
「俺の求めていいもの」
「それはなに」
「感情」
「どんな」
「……好きな……こと」
「そう」
タクミさんが俺の隣へ、柱に背をつけて並んだ。
俺はうつむいている。
「僕もそうだった」
タクミさんは静かに話しだした。
「僕もね、随分隠し続けたよ。でもね、ある人のことを好きになって……僕は……さ、隠せなくなってしまったんだ。そして降参した、自分の気持ちに。あっくんを見ているとあの頃を思い出すよ。いろんなことをごちゃまぜにして考えて、本音に上塗りをするみたいにして隠していくんだ。そう、隠してしまうんだよ、タイムカプセルみたいにさ。埋めてしまっていつか忘れてしまえるようにね。どこに埋まっているのか、なにを埋めたのか、もうわかんなくするんだ。無限の過去って言う言葉に囚われたのはその頃なんだ。今、現在、というのは過去の積み重ねだろうに、僕の過去は曖昧で不安定で、そして、嫌いだから。だから今の自分のことを好きになれるはずがないんだ、ね」
俺はなぜこの人のことを憎々しく感じてしまったのだろう。
ああ、そうだな、同族とか同種とか、それすらも俺にとっては嫌悪するものなんだな、まだ。だけど、タクミさんの話している内容は、その物語は俺のものと同じだ。
タイムカプセル、か。
この人の話は魅力的だ、抽象的なようでわかる人間にはよくわかるし、その上に云い得ている。
本音に上塗りする、この表現だってそうだ、なかったことにはできないから隠そうとする、視線を逸らして別のことに注視してそこからどんどん始める、考えて考えて……を繰り返えしていくことで本音から遠ざかる。
ほら、人の集中力なんざたかが知れている、もう忘れてしまってる、だろ……てね。
「いいチャンスじゃないか」
ポセイドンが腰を折ってうつむいたままの俺の顔を覗き込んで言う。
「なにが……ですか」
わからないから訊く。
「リョウタは待っているんだから。僕が君のことを狙っていると思ってて可愛いんだけど」
なんて顔して笑うんだよ、いい男ってのは本当にタチが悪いな。
こんな笑顔を向けられたらつい、つられてしまう。
「俺は、リョウタとどうなりたいとか考えたことがないんです。ああ、いや……つまんないことを想像したりはするけど、でもどうなりたいのかってのは、本当にわかんないんです」
「好きなのに?」
今の質問は通じた、タクミさんははっきりと問うている。
「好き、というのもこのイヴに自覚できた程度です」
「へぇ……驚いた。あっくんは本当に手ごわそうだ」
そう言いながら大笑いするポセイドン。
「手ごわいって! いったいなにを企んでいるんですか」
わからないので訊く。
「企んでる? ひどいな! さっき言ったでしょ、自由にしてあげたいんだって。もっとストレートに受け取ってよ」
俺は、この言葉にピクリと反応した。
リョウタと同じことを言われた、タクミさんからも。
「ごめ……んなさい」
素直に謝る俺。
「ふふ、いいねあっくんは。カヲルが気にするのがわかるよ。ああ、誤解しないで、ただ気にしてるってだけだよ」
仁科くん……が?
俺は一度ゆっくりと仁科くんと話す必要があるのかもしれないな。
こんなに仁科くんのことを皆が口にするのだから、きっと本当に俺のことを気にかけてくれているのかもしれない。
そうだ、仁科くんは俺が面接で最高得点だったって言っていた。俺は気にしていなかったかけれど、それが理由なのかもしれない、どうして俺はそう言われたときに理由を確かめなかったのだろう。
「じゃ、モデルの件も含めて、温泉楽しもうね」
そうしてポセイドンは人の波を、海を割ったようにかきわけて去っていった。
と、振り向き、
「過去を照らせ! だよ!」
大声でエールっぽく叫んだ。
その姿に俺はやっと微笑む。
過去を照らせ……か。
今の自分と向き合うために、俺は過去の姿を明らかにする必要があるのだろう。
それは、なにかの啓示というほどのものではないが、俺にとっては新たな世界線の始まりのように神秘的な意味を含んだ言葉だった。
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