scene15愛犬ケルベロスからの神格化?
不穏な雲行きは素知らぬ顔で通り過ぎ、女神の三神がなんとなく和やかに散らばって、俺らもそれに倣って配置についた。
事務所のソファは大きめの二人掛けが対面に、それぞれが楕円形のテーブルの長辺に沿って置かれている。片方の背後には入り口、よもう片方には窓、当然上座とも言うべき窓側のソファに島田さんが座しリョウタはその右へ位置を決めた。
ココナはすっと島田さんの左側の一人席、ロッカーの並んでいる方向へ進む。と、ほぼ同時にミユはその対面へ移動、谷くんと俺は入り口側の二人掛けに座った。
さぁ始めようか。
もちろんイベントの打ち合わせだ。おおよその段取りとキャッチについて確認しあう、これはとても大事な工程だ。今回はペアなのだから特殊だが、オーダーを受けるときの声掛けはやはり必須だろう。
イベント中では、客からのオーダーは待たずに常にテーブルを周回するのがカフェ「ダバンティ」ルール。どのペアもそれぞれの個性をだしたいから、まずはキャッチを決めてかぶらないようにしたいんだ。
春イベでは、女神ペルセポネに並んでディオニソス神がレディへ声をかける、通常でもワインはハウスワインのグラスの他ボトルやデキャンタでオーダーされるが、きっと夏イベと同じルールだろう、最終的にグラスの杯数に換算されるはず。
「タニモン、決まってる?」
島田さんが声をかける。
谷くんも夏イベには参戦していたが前回と同じというわけにはいかないだろうな最下位だったから、俺はふとそう思った。俺だって下位だったから考え直すつもりだったが。俺らはキッチンのサブにまで抜かれた、それが歯がゆくて思いのほかへこんだことを思いかえした。
「はい……『女神の微笑みを注ぎます』にしたいと思ってます」
驚いた、もう決めていた。
谷くんもとても悔しそうだったもんな、あの結果を見て。だから気合いを入れたのかもしれない、そう思うと谷くんのことが頼もしくて恰好よく思えた。
「やるなぁ、タニモン。すげぇじゃん」
リョウタも嬉しそうに応える。
俺も谷くんもリョウタから仕込まれているから弟子みたいなもんだ、だから、こうして即答できるくらいの気合いを感じ取ると嬉しいのだろう。
「あっくんは夏のでいくんすよね」
谷くんまでそう言う。
谷くんとはシフト被っていなかったぞ。それに俺はギリのギリ、仁科くんの命令でホール担の参戦が決まった。元はホールのヘルプで出願、だから急遽仁科くんとリョウタとの動線確認に参加したんだ。
はて?
谷くんまで俺のキャッチを知っているってどういうことよ、まさかココナが観たというVを谷くんも観たってこと?
「そうなの! 私あれをアツミにお願いしたの」
ココナが言うと、谷くんがぎょっとしたのを俺は見逃さなかった。
「あのね、俺ら呼び捨てでいいよねって決めたんだよ」
求められたわけではないが即座に説明を入れる俺。
「あっくんも?」
谷くんは更に驚いた顔をした。
もちろん、と無言の返信をすると、
「へぇ――あっくんがねぇ」
ミユが意味ありげに含んだ言い方をする。
なんだこの言い方、こ……コイツ、まだ俺らのことを貶める気なのか?
エロ以外は本当に手ぶらなのか、ステータス配分をミスってやがるぜ。
エロ以外は手ぶらな女・ミユ、いやペルセポネ・ミユは即刻女神から降格だな、これ確定な!
と俺はまたもや苛立ちはじめた。そして、いきなり俺へ向かって最低だと言い捨てたあの夜のことまでも思い出して、いっそ堕天使へでも格下げしてやりたいと思っていたら、
「ココちゃんは可愛いからなぁ」
リョウタが余計な火種を投げた。
バカリョウタ!
それはいかんだろ。すると案の定、
「はぁ? 付き合ってるの隠してよく言えるわねぇ」
と、ここでまたミサイル投下のペルセポネ・ミユ。
ゆ、許せん、どうしてやろうかコイツ……と、俺の苛立ちが怒りに変わろうとしたとき、このミサイルは追尾型ではなかったようで、
「ココ! 本当なの? なんでリョウタなの!」
「まさか……嘘でしょ」
島田さんと谷くんがすんごい勘違い中。
標準がずれまくり、とりま、俺の怒りが収まろうとしかけたら、あろうことかリョウタがこれらの勘違いを迎撃、
「あん? ココちゃんに手ぇ出すわけないじゃん。ミユ、アツのこと言ってんだよな」
くそっ、リョウタ、お前まで格下げになりたいのか、と再び俺の憤怒が呼び起されようとした。そのとき島田さんの、
「あっくんかぁ……ああよかったぁ」
と、谷くんのなぜか未だ恐怖に満ちた表情、
「ココちゃん……あっくんって、本当ですか?」
を確認した俺は、これが俺にとっての好機だと知り、ここで過去最高の神反応をしてみせたよ。
そう、愛犬ケルベロスからの神格化ディオニソス・アツミの、初の神託をどうぞ。
「ミユちゃん、恋愛は自由だ、店も認めてる。だけど本人の許可なく公表していいもんじゃないよ。むやみに暴露するような姿勢を変えないなら、さっきの提案の件の真実、俺はカヲルくんに告発するよ」
す、すごい!
すんごいぞ、俺!
調子づいた俺は、
「リョウタもだ。プラチナらしくないよな」
と、リョウタのプライドをくすぐってやった。
すると爆乳メロン・パルカ……いやペルセポネ・パルカが咳払い、
「あっくん、ごめんね。私も恥ずかしいわ。リョウタ、うちらでまとめなきゃね、反省しましょ」
と姿勢を正した。
ミユは、
「フンだ! らしくないのはアツミくんでしょ。恋するボーイは強いのね!」
とふてくされた。
こやつのこの言葉、明らかにリョウタと俺のことを言ってるな、まだやんのかごらぁぁぁ!
と、ミユのこの発言で一瞬は俺の中で緊張が走ったが、どうやらこれで進撃は止む模様……今俺は心底安堵している。
と、このとき、俺の隣でペルセポネ・ココナが微笑んでいるのに気がづく。そして、
「アツミと恋人になりたいっ」
という俺にしか届かなかったココナの言葉。
『爆乳メロンになりたいっ』と言い、初の俺のデレを生んだ女神は、またもや新たな奇跡を生み落とそうとしている。
俺の顔を見てはいなかった、だけど、俺にだけ聞こえる声で言ったんだココナは。俺は、俺には告白としか思えなかった、いや、そう信じてしまった。
そして、図らずも……愛犬に成り下がろうとしていた。顎が緩み、涎が垂れそう、だった。ご褒美を『マテ』されたてのワンコロチックか?
そう、デレとは違う……なにか。そこはかとなく痺れるような、甘く恥ずかしいけれど受け止めてしまいたい、そう、ふいに受け取ってしまいたくなるような甘美な俺だけの真実……いや、これは、むしろ欲しがっているのでは?
この俺が?
すれ違い続けたシフト、約半年ぶりにココナと再会して過ごしたこの時間の経過の中で、ココナから流れてきた好意に違いないムード、そうだこれは告白というのだろ? それに、ほら見てよ!
今の、たった今ココナの俺に向けられた視線を、この瞳を、これはぶりっ子でもなんでもないぞ、はっきりくっきり意思表示するときにする目だろ?
だってこんなに目力が!
……は、ああ、いや?
なに言ってんだ俺は。
ココナは誰にでもこうした振る舞いであるのかもしれないじゃないか。誰だってココナにはデレを覚えるだろう、それはもう確認済みだ。同性の島田さんだってすごく可愛がっているみたいじゃないか、ココナの可愛さは雌雄無差別に投下されるもの、そう捉えることが正しいはずだ。なのに……自分だけが特別だ、と、なぜそう思うんだ。
ああだって!
今、今も俺の顔を見つめているんだ、ココナが。
俺の恋人になりたいと言った後、俺の顔を見つめたままなんだ。これは、告白した後に相手の意思を確かめたいという自然な、且つ抗いようのない本能的なアクションじゃないのか?
「ごめんねアツミ。困ったよね」
俺の視線をしっかりと捉え、少し八の字に垂れていた眉をゆっくりと戻し、戻し切ったところで柔らかく、微笑んでいるようにも恥ずかしがっているようにも見える儚い表情でそう伝え、うつむいてしまったココナ。
ハ、召されそう。
「で、あっくんは『レディの唇、渇いていませんか』で決まりね。うちは『とろける媚薬は』でいくわ。ここまでで質問は?」
と、島田さんの声で俺の視線はココナから剝がされた。
ヘブンから地上へ戻った席では、
「『は』で終わるんですか?」
谷くんが質問している。
「ああ、お求めになりますか、とうのは外した。キャッチのあとにアイコンタクトとハンドサインで誘う」
「なるほど!」
谷くんが感激している。
俺はまだ夢うつつなままただ正面を向いている。
「アツはなんかないのか」
リョウタの声で肝が入った、正気を取り戻したように俺は声を張って答える。
「全て承知、です」
と、俺が答えたあと島田さんが話を切り替えた。
「キャッチの件はこのままカヲルンへリポします。で、衣装のカラーだけど、私の提案なんだけど女神については規制なしでどうかしら」
「俺は賛成」
リョウタはもちろん島田さんと話し合ったのだろうから問題なし。
「私も」
ミユも即答、
「私も」
と言いココナは俺のことを見た。
というか俺もココナのことを自然に見たので目が合った。俺も賛成だと言おうとしたとき、
「だけど色かぶるのは厭じゃないですか?」
堕天使のくせにペルセポネ・ミユが発言、それならさっきそう言えよ!
だが、この件は全員が認めた。
「個性を出すためにはルールを決めるのはよくないというカヲルンの方針だけど、確かに、女神の衣装に関して話し合ってもいいかもね。ちなみに色の指定はあるのミユ」
島田さんの言葉にミユは、
「私は白を避けて、アイテムの色かぶりはOKってことがいいと思います。で、私はピンクでぇ――す」
「そう、ココは?」
島田さんは手際よく話を回す、
「ええ、私もミユちゃんに賛成です。私は……この色で」
とココナが右手の中指の指先で示した右の腿に皆理解、
「うすだいだいね。私はブルーで。これでいいかしら? 質問は?」
「濃淡込みですよね? 私はオレンジ、になります?」
ココナが問う、
「そうよ、いつも通り原色に近い形で言い換えること、ミユのはそうねピンクでいいわ」
とここでほぼ打ち合わせは終了だ。
「ではフィーネ!」
島田さんの声で解散することはわかったが、俺は、頭の向きは正面に置いたまま、視線だけでココナの指先に夢中になっている。
『私は……この色で』
とココナが示したココナの腿の、膝の少し手前で、ココナの……細く綺麗にカットされた中指の爪の、腿より少し濃い色の指先がくるくると遊んでいるのをまだ見ている。
肌の色、ココナの肌の色、色白を競うような今世で血色のいい桃色と橙の混じったようなココナの肌色。色名が『うすだいだい』に言い換えられようが、俺は肌色と言いたい。
俺から覗き見えるココナの腿の内側、それが例えようもないくらいに色っぽくて、ただの肌の一部なのにやたらと艶っぽく感じてしまって、ココナの肌の色に例えようのないエロスを感じている俺。
「アツミ、私パルカさんと行くね、今夜ラインするよ」
と言われるまで俺はまだそれを見ているような気分だった。
「あ、うん」
やっとそう答えたが、答えたかどうかの記憶までが怪しい。
がやがやと皆が散る、するといつの間にか俺の背後にいたらしいリョウタがダンっと俺へタックル、
「俺らも戻って呑もうぜ」
と言うのに、
「ああ、ああ」
俺は、あの……ココナの腿より少し濃い色の指先がくるくると遊んでいるのを、まだまだ見ていたかったようで、それを記憶から今も探し出そうとしている。
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