scene12冥府の神と女神の腺
だが、勇者になるんだという俺の純真は、誓った数秒後に打ち砕かれちまう、目の前の美神によって。
「ディオニュソスはとても複雑な神なの」
い、い、いきなりの神昇格、この俺が?
今ココナが俺の勘違いをやんわり避けながら説明してくれています。
恥ずかしいぞ、俺、勇者だと思っていたのに。だから『俺はペルセポネを守る勇者なんだね』なんて清らかに笑って見せたのに、神だったなんて。
そしてこの神様、相当にややこしい神様だ。信仰によって出生や母親も違ってくるし、なんだかいかがわしい能力を持っているみたいだし、いくらココナが優しく教えてくれても、俺にはその魅力が全く入ってこないのよ。
それを察知したのか、ココナが「私が好きなところは」と言い、俺の耳を緊張させた。
「若いゼウスと言う名の意味どおり、彼は熱狂的な信者を得る達人でもあるのよ。だから、この企画、本当によく考えられていると思うの」
熱狂的な信者……か。
そうだな、既にカフェ「ダバンティ」にはそんな客が大勢いる。こうもひっきりなしにカメリエーレ宛にプレゼントが届く店も珍しいだろう。近隣ではちょっとした噂になるほどだもんな。
このイベントでは、中でも既に人気者である先輩リョウタと、新人ながら着実にファンが増えてきている後輩である谷くんの二人と競い合うことになる。とにかく自分のことを好いてくれるファンが必要だ。しかも今回はパートナー付き。女性を伴ってもなお応援してくれるファンを獲得することは容易ではないだろう。確かにこれは、狂信するような信者を獲得したディオニソスという設定にぴったりなのかもな。
ファンかぁ、俺はそういうの苦手なんだけどな。
正直、この点については少しばかり闘争心がナヨりそう。
「元は人の子だから神格化すること自体とても名誉なことだし、彼もずいぶん受難に満ちた運命だったのに、たくましくて素敵だわ」
ココナは語り手の名人だ、俺はまた聴き入っている。
『たくましくて素敵』の『たくましい』は彼の精神のことを言い、『素敵』なのは彼の運命に抗う努力のことを指しているのだろう。決して見映えのことを言ったのではない、そのことは説明の内容で充分すぎるほど伝わった。
だとしたら俺もディオニソスになれるかも。そう、俺は人どころか犬だったんだぞ、これはすんげぇ昇格だよ!
ヒヨるな、俺!
そうだよ、ココナの話す通りさ、受難に満ちた過去と今夜の出来事で、俺は波乱の波に揉まれまくった。だが俺だって雄なんだ、リョウタにだって負けたくはない、その意気込みで頑張れば、『たくましくて素敵』は俺のものだ。
好きだからこそだよ、アイツに『すげぇ』って言わせたい。
と俺は脳内でたくましくて素敵な俺を組み立てていた。すると、
「ハーデスとディオニュソスは似ているのかも知れないわ」
再び耳が緊張する、
「神なのに、人のよう」
ハーデスと似ている?
ディオニソスが人のよう、なのは……理解できるけど。
行動を起こすときの理由がわかりやすい、からね。やり方は特殊な存在だから度外視だけど、人が理解できる根拠がちゃんと存在している。村人を狂わせ集団縊死へ追い込んだことがあるらしいが、その理由も明白だった。後に改心した村人たちを許しているし、この辺は人と何ら変わりない。
ではハーデスはどう?
この神は意外と純真。ペルセポネに恋してわざわざゼウスのもとへ求婚の許可を貰いに行ったり、さらった後も無理やり手籠めにするこもなかった。オルフェウスの竪琴の音色に感動して涙を流したり、人情味あふれているようだ。
こちらの世界線のハーデス様からは想像もつかないけれどね。それにしても、確かに冥府の神として似つかわしいくないな、『人のよう』というのは云い得ているのかもな。
「衣装は私が準備できると思うの。アツミは困るでしょ、そういうこと」
おお!
さすがは女神だな!
よくご存じでいらっしゃる。
「悪いね。じゃ、あとはオーダー拾う時のキャッチと、サービスだね」
俺はそう言い、また勝手にどんよりする。
俺の夏イベのキャッチ、クソだったから。
あん?
いや、だめ、言わないよ……言いたくないよ今は。絶対に言わないからね、ここでは!
「『レディの唇、渇いていませんか』……だったかしら」
ぶぅ――っっっ!
今なんか飲んでたら絶対やってる、ぶぅ――っっっって。
「ココナ! なんで知ってんの!」
俺は真っ赤っか、だ。
よりによってココナに知られているとは。つか、ココナと組んだことはないのに、なんで知っているんだよ!
「カヲルに見せてもらったの」
仁科くんに見せてもらった?
ああ、あれか!
動線確認するときの動画だ、そっか、仁科くんなら全部持っていただろうな。
「声まで入ってたの?」
「あれ? テーブルに固定されていたはずだけど」
「俺初めて知った」
なんということをしでかし遊ばすのかしらハーデス様は!
俺は知らんかったぞ、これは確かだ!
あ、いや、イベ日当日……そういやリョウタが『カメラは3と6だよな』って言ってたっけ。そんで俺が聞き返したらなんでもないって慌ててた。そうだ、あのとき、仁科くんもいてリョウタは怯えていた。そうだよ、明らかに不審だったからなんのことだって問い詰めたっけ俺は。結局最後まであの野郎は答えなかったけど、あれのことだったんだな、クソ野郎め。
あ――もう、俺は完全にご主人様を捨てるぞ、決めた。愛犬ケルベロスはもう、城を出てやるぞ! 地獄から地上へ出てやるんだ!
いくらご主人様だとてペットを好きにしていいってことはないんだぞ!
ご主人様、『おいた』が過ぎましたな、我も神として光臨させていただく!
と興奮気味に憤慨する俺、すると、
「アツミの動きがとても素敵で、カヲルが参考にしなよって見せてくれたの」
「俺の動き? 参考って」
「そうよ。動きすぎるけれど、とても大切なことをアツミは自然にできるんだって、カヲルが自慢するみたいに教えてくれたの」
「あ……そ、そう」
憤慨が萎む、不審に。
もちろん、俺はそんなことを聞いたことがなかったから。参考になるようなものだったなら褒められていたっていいはずだだろ?
しかも自慢するみたいにって、そんな姿は想像もできないんだ。だから不審だ。
ああ、待てよ、褒められた……かもな。
なんだか「いいね」みたいに言われたことはあるかもだな。そう、はっきりはしないけど。いつも淡々と伝達されるだけでしまいだからさ。というか、そもそも仁科くんとは仕事以外のことを話したことはないから。仁科くんとは……だし、ココナとも今日初めてだし。
みんな同世代だけど、シフトの関係上ぺアを組まない限りは話す機会が少ないから。キッチン&サブのメンバーとは、絶対に何度も組むことになるけどね。
あれ?
仁科くんが特訓したのってリョウタとココナだってことか。島田さんがいるのに、どうして仁科くんだったんだろう。でも、これが仁科くんとココナの接点を濃くさせた理由なんだろうな。特訓があって俺もリョウタとの距離感が近くなったし、谷くんとだって特訓の話題きっかけで近くなった感があるからな。
共通の話題って手っ取り早いコミュニケーションだもんな。そういうことから考えると俺が仁科くんのことをよく知らないのも納得だし、ココナの話題を知る機会がなかったことも、至極自然なことだったんだな。
あ、いや待てよ。
キッチンのメンバーはみんな必ずココナと組んだはずだし、仁科くんから特訓されたはずだ。その割にはココナの話題が少なすぎるんじゃないか?
ああだけど、元々キッチンとはそんなに話す機会はない……か。俺らホールは基本的にキッチンへの出入りは禁じられているし休憩が重なることもない。こういうことって割とメンバー間の関係性に影響していたんだ。
それにしても、入店半年って案外店の内情には疎いもんだな。というか、俺が入店してからリョウタのことで頭がいっぱいだっただけなのかな。なんだか、勝手にチームワークを大切にしているつもりだったけれど、俺ってやっぱり薄情というか人に興味を持てていないというか……なんだな、自覚通り陰キャには違いないんだな、などと思う。
ここが、カフェ「ダバンティ」が大好き、なんて言っておきながら、こんなにもなにも知らないなんて。俺はリョウタ以外とも、ちゃんとコミュニケーションがとれている気がしたけど、これって自己満の思い過ごしだったらどうしよう。
いったん不安に駆られるとお決まりのコースメニューが差し出される。いくつもの疑心暗鬼が浮かんでは消え浮かんでは消えて、その浮かんだ猜疑心が、消えかかる寸前に純真をあざ嗤う、その度に余計に不安を色濃くしていくという穢れた連鎖。
そして、そう、いったん生まれた疑心は心の奥底で育って脳内で確信として転生するんだ、いつか。
「カヲルはアツミのことが好きなのね」
ココナが柔らかい声で囁いた。
俺は今やっと目が覚めた、という風に頭をあげてココナの笑顔を確かめた。これは現実だ、この笑顔はなんてリアルに優しくて心地いんだ。だけど、この言葉の意味が全く理解できない。あれ、なんの話をしていたんだっけ……と虚ろになる。
「そんなことないよ」
どんな会話をしていたかもわからないのに、なぜか俺はきっぱりと否定できたよ。
そんな実感がなかったからだ、だがそれもおかしな話だ、とすぐに思い直したよ。だって俺は仁科くんのことをなにも知らないのだし、ココナのこともよく知らないのに、なぜ否定できると思ったのだろう、と感じたからだ。
「アツミはカヲルのこと知らないのね。ふふ」
ああ、そうだ、それは当たっているよ。
そうそれは今俺が確信していることだから、今確実に、俺が実感していることだから。
なんだろう、これ、は。
この感じ、俺はココナといてなんだかんだ浮かれていたけど、今のこの会話を俺は既に体験したことがある。俺の推測を遙かに超える意見と事実が相まって、まるで無茶な現実設定を押し付けられるような感じ。
そうだ、いつもの仁科くんとの会話、だ。
なぜか仁科くんとココナが近づいていくように感じた。
いや……近づく、のではなく……繋がっているような。
ああ、そうだ、忘れるところだった。
まだ謎が二つも残っているじゃないか。
冥府の神と女神の、闇にまぎれた謎が。
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