scene8宮橋心菜(ミヤハシココナ)
「チャオ、よく聞いて! 年末のシフト、ペア発表するよ」
小さくざわつくメンバー。
『ペアだって?』『オールキャストになんでペアが必要なの?』ざわついても誰も質問しないカフェ「ダバンティ」のメンバー、質問は許可されるまで待つのが掟。
ホールは、リョウタ=玉木椋太と
キッチンとサブは、
ああ、これって、入店順通りの二名づつをペアにしただけじゃん、とみんなが気づき二度目のざわつき、こんなペアは初めてだから。
営業のパワーバランスを整えるのに、基本はプラチナとゴールドクラスがシルバー以下のメンバーと組むようになっているんだよね。繁忙期にはプラチナはプラチナ、ゴールドはゴールドとで参入、オールキャストではペア解消、という図式が定番だったから。
ちなみに最上位のプラチナは仁科くんとリョウタと島田さんと太田くん。ゴールドは北条くんと朴くんと菅野くん、あとココナ?
俺以下がシルバーなんだ。ペアの順位は組んだ下位のステージで呼ばれる、だからリョウタと俺が組んだときはシルバーペアになるんだ。ちなみに、キッチンとサブの太田くん以外はサブメンバーとしてホールも担う。『黄金トリオ』だなんて三村さんのダサネームがついちゃってるけどこの三名、恐ろしいほどにホールを熟知している。
「そして、諸君の慰労も兼ねて三日間の温泉宿泊で撮影を予定しているので、実質年末の営業は白紙だ。三十日は正午十分前集合、全員で三時間店内点検と完全閉店作業を行う」
あら、俺今年は帰省できないんだ。
まいっか、だったら帰ったらすぐに連絡しなきゃ、きっと寂しがるだろうから。また父上と会話するチャンスを失ってしまったし、母上への東京土産もあげられないから、お土産は現地から送っておこう。そんな勝手な俺の孝行予定を脳内で更新中に、店内では続々と新情報が公開されます。
「そして、午後三時にはバスに乗っていただく。行先は長野県、宿泊先で夕食となるが諸々の詳細は後日。そして、撮影に関しての質問は許可しない。また、撮影の都合により本日より、先の発表したペアで行動するということを忘れないこと」
はむ?
発表したペアで行動って、どういうこと?
「三十日までのシフトは改定済みだ、事務所で確認するように」
ええええ!
嘘でしょ、シフトも強制変更?
内心焦っているだろうが誰も慌てないカフェ「ダバンティ」のメンバー、さすがだ。だが俺は今すぐにでも事務所へ駆け込みたい、気になって仕方ないんだも。
「俺ヤバイわ、パルカじゃん……こえぇよ」
リョウタがぶるぶる震えるフリして言う。
パルカ=島田遥香さんは、リョウタの同期で超パワー系女子。規律を重んじる優等生、ぼいんぼいんすんごい女体の色女だが、なんせ気が強い。俺は嫌いじゃないが、リョウタは響子さんより苦手だと言う。
あのぼいんぼいんに似合わないキツイ目と紺色のフレームのメガネ、ちっさいお顔にアンバランスな大きさなのがいいんだよな。そのちょっと大きめのレンズを縁どるフレームから覗く切れ長の目がなんとも色気があって俺は好き。
俺がメガネっ子好きだったんだと自覚させてくれたのは島田さんと言っても過言ではない。そして、ふいにメガネをとってやりたくなる衝動、そんな気にさせるS気質を、 Sが育成する可能性を知ったのも島田さんのお蔭かな。
ミユとの雌フェロモンの違いは断然知的かどうか、だろう。
そういえば、島田さんも鼻がかった声なのに甘ったるくならない。歯切れのいい発音のせいだろうな。そのくせ、この人の香水って石鹸みたいな優しい香りで、まぁ、なんだな、さらっと匂わすよね風呂上りを。そこがまたいい具合に色っぽい、と俺は思っている。
俺みたいなのは女嫌いだと思った人は驚くかな、こういうの。
正直、俺にとっての雌としての魅力は芸術点みたいな感じ。確かに欲情は立つ、だがそれ以上の吐き出したい欲求にまでは届かない、という感じ。というかきっとね、単に現実世界でそんな雌に出会ったことがないからだと思うんだよ。だから、島田さんやミユのフェロモンには素直に反応できるよ、正常な雄として。
そうだな、小さな手でぼいんぼいん、内腿はつくかつかないか程度で香水はきつくないメガネっ子、これかも、俺の超タイプって。で、髪型は……そういえば俺のバディ、ココナ=宮橋心菜のぱらぱらと靡く多めの髪、薄茶と黒が混じる天然の色艶、肩すれすれの毛先が内側や外へ不規則に跳ねているあの髪型、いいよなぁ……と、そうだ、今日もいるはずなのにまだ姿を見ていなかった、そうだよ、気になって探そうと思っていたんだった、とここにきてやっと気づいた俺。
ココナは、俺より少し先に入店した子で一度もペアを組んだことがない相手だ。必要最低限な会話しかしたことがないし、実際三十分以上同じ場所に居たことすらないかも、というくらい接点がないのに気になる存在なんだ。
一時期、リョウタが気にしていたみたいだけど、あのリョウタのくせにココナには手を出せなかったみたい。そういや不思議に思ったな。確か早番特訓のコーチは仁科くん……だっけ、ココナはリョウタとは縁が薄いのかもしれないな。
それにしても、ココナは不思議な人だ。
なんだか懐かしさを覚える、そんな人。
互いに自己紹介をした日のことを思い出す。
新人研修を終えて、早番特訓も終えた合否判定のオフ日、俺らははじめて事務所で二人きりになった、仁科くんが来るのを待つために。
この日の通達で給料が決定する、俺は半分楽しみ半分緊張気味に事務所へ向かった。事務所のドアを開くと、彼女はすでにそこにいて立ったまま振り返った、半身だけで。
ココナは、ソファと窓の間に立っていて、窓からもったり……と漏れる夕暮れの赤らむ陽で頬を染めていた。
事務所のドアはノック
半円を描くための外側の肩が、優雅にゆっくりと動いたはずなのに目で追えなかった、確かに振り返ったはずなのに、気づいたらもう後姿だったんだ。ココナはただ「ブォン ジョルノ」と言って、またすぐさま窓の外へ視線を送ってしまった。
俺は当然、すぐに「ブォン ジョルノ」と返した、するとココナはハッとしたように、すぐさままた半身だけでまたこちらへ向き返り微笑んだ。
少しずれた俺らの挨拶が、不思議な「間」を作った。
「都心の窓から夕陽を見るのがはじめてで。ごめんなさい、無礼な挨拶で」
細くてかすれる声、周りの雑音に混じって消えそうなくらいの音筋なのに、きちんと届く声。
声優なのかな?
そう思わせるような声。
「ああ、大丈夫。気にしないで」
無礼というほどのことじゃない、そう伝えてあげようとしたけど、俺はココナの表情に見とれてしまっていた。
綺麗だった。
ヨハネス・フェルメールが今の彼女を描いたら、きっとあの耳飾りの少女と同じくらいに評価されるだろう、そんな想像が自然に生まれた。しかもこんな夕陽に照る頬を、その光を、どんな色で表現するのだろうか、とも思った。
『ごめんなさい』と『無礼な挨拶で』の間に閉じかけてすぐに開いたように見えた瞬きが、なんとも言えない絶妙な速さで、上品だけど高飛車じゃなく、可愛いけど無粋じゃない、そんな表情だと感じさせて魅入られたんだ。
この半身の立ち姿もよかった。
儚げに捻じれた腰と背、ほどよい肉づきだが、背がすっきりしているのがわかる。薄くテロっとしたブラウスの背が肩甲骨から反り気味に肌に吸い付いて、こちらを向いたときにわずかに浮き上がった肩甲骨は、元の向きの……窓ガラスの外を覗いた瞬間に静かに仕舞われた。
ただ見とれていた俺に、
「見てみる? 窓の外」
ココナが空を斬った。
幽体離脱していたみたいな俺、
「ううん、ちょっと考えごとをしてただけ。俺は神堂陸心、同期になる……のかな」
と自己紹介、
「私は宮橋心菜。私の方が少し早いの。でもちょっと研修から時間があいてしまって今日になったの。同期にはならないと思う」
ココナは今はしっかりとした口調でしっかりと説明してくれた。
今はしっかりと……と言ったって、ぼぉ――っとしていたのは俺の方だったけど。
「そうなんだ。東京の人じゃないの?」
さっきの夕陽の会話を思い出して訊いてみると、
「ださいたま、県よ。ふふ」
と意外にも自虐的、なんとも可愛げに答えたココナ。
いや、なんだろ、この生き物は。
なんだか可愛いぞ、超自然的に。
「そんなこと言うなら俺もだ。ははっ」
ははっ……だって?
おおおお!
なんだなんだこの少女マンガにあるような出逢いのひとコマ風な会話は!
今俺は興奮してる、今までの俺と重ねないでよ?
エロい妄想で興奮してんじゃないぞ!
誓って言うぞ、不謹慎で不埒で不浄の興奮ではない!
なかなか体験できないような素敵な興奮を感じているんだ。すごく心地いい異性との会話に、初めての興奮を感じているんだ。
「あの……アツミって呼んでもいいの?」
媚びない上目遣いを、俺はこの時生まれて初めて発見した。
断るわけない、ニックネームで呼び合うという掟だからね。
「うん。じゃ、ココナでいい?」
「はい。よろしくお願いします」
ぷはぁ――ん。
描写がむじぃ、なにこの表情。
とにかく……えっっぎぃんだわ、可愛さが。
と、俺はこの日からココナをココナと呼び始めた。どのメンバーに対しても、いやどんな相手に対しても名前を初見で呼び捨てることなんてなかったのに、そんな呼び捨て苦手な俺が、ココナだけにはお口が懐いちゃったみたいだ。
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