scene5無限の過去に
「ああ、タクミさん」
そう、確かに聞き覚えがあったこの声。
「どうしたの? 酔っちゃったの?」
ポセイドン・タクミが心配そうに言う。
ハ、なにその瞬き、そのスピード。瞬きって瞬きって、こんなスピードでするものだっけ?
目尻へ向かうほどかさばる睫、がゆっくりと上下するとそれは羽いっぱいの扇子が震えたみたいだ。その隙間から見える深いブルーグレーの瞳、あれこの人ジャパニーズじゃないのかな、リョウタとはこれまた違った睫の多さに目を見張る俺。この眼の色はカラコンなのかな、ただでさえ黒目の範囲が広いのに、こんな深いブルーグレー、瞳の奥に異次元の空間がありそうだ。さっきまで気づかなかったこの瞳の色、照明が変わって初お披露目、なんとも妖艶な目元にどきどきする。
それにしてもなんなんだ、このエんモいモードは。俺はこのたった数回の瞬きで立ち眩みを覚えてしまったよ。
「あああ、シャワー浴びたばっかで呑んだからかな」
嘘つけ、俺はそんなヤワじゃない。
なんで咄嗟に嘘なんて……いやね、嘘じゃないよ、だって酔ったみたいに今フワついてんだも。
「ああ、あっくんが最後だったね、ン、いい香りだ」
フワっとポセイドンが俺の横顔の産毛を唇で舐めた、そう感じて、
「あわあわ! いやそんな良いやつじゃないんで!」
瞬時に俺はのけぞった。
俺は慌てたけど、舐められたわけじゃないよ当たり前にね。きっと触れるか触れないかの距離をタクミさんが顔を近づけたせいで風が生まれたんだろう、それが俺の頬の産毛を揺らしただけ、だ……きっと。
それにしても。
『この香り、すげぇいい香りだ』
甘くない先の爽やかさ、鼻先から耳の奥を通り抜けていく感じ。リョウタのあの雄独特の汗交じりの甘さがない。しかも、重さも一切ない甘さ、そうこれも甘さには違いないのにどうしてこうも軽いのか、と俺がクンカクンカしていたのがバレたのか、
「僕のは随分古いんだよ。今じゃつけてる人いないんじゃないかな。セージという多年草の香りが好きでね。だから手放せないんだエタニティを」
と、ポセイドンが言う。
聞いたことがある名詞、
「永遠って意味も素敵だし、この言葉には『無限の過去』という意味もあるんだ」
「『無限の過去』?」
「そう、なんだか不思議な言葉だよね」
「うん」
生まれて初めて聞いた言葉だ、『無限の過去』……かぁ。
俺の過去、俺にあるのはたった二十年とそこらだ、無限とは言い難いな。
ああ、待てよ、腹の中にいた時間も俺の過去になるの、か。そんでもってそれも過去なら父上と母上の種と卵……の時代もそうなるんじゃない?
と、それから……ん、これこそ永遠……なるほど、なんだかそんな風に思えてきた。
永遠って言うと未来の約束ごとのように感じていた。
だってエタニティリングとかってあるじゃない、けど過去も終わりは見えていない、実は。なんかすげぇんだな、過去の時間って。
そしてこの香水の名前って『永遠と無限の意味が対で表現されている言葉』だ……うわぁ、なんだか感動する、そんな名前の香りなんだも、夢中になれちゃうよね。と、タクミさんが教えてくれた『無限の過去』と言う言葉が俺を虜にした。
「『無限の過去』の時間の先に、僕らはいるんだ、常に。果てしない過去から様々な経験を積んだその先にいる、だから強いんだ人は。そして知っているんだ、その強さも。だから僕らは自然に未来を目指している、見えてはいないのに、怖れずに歩みを止めない……んだ」
……おーまいごっど。
嗚呼、ここに神が、海神が!
ざっぷぅ――んって、波の音がしてるよぉ。
ハァハァハァ、なにこれ、神光臨、今すぐにこの姿、この現実をなんたらボッテリさんに描いてほしい、いやきっと描きたくなるだろうよ、この人、タクミさん、やっぱすんげぇ恰好いい!
と語彙力低下も気にならないほどの俺の感動を是非とも共鳴してくれおまいら!
あの頃、この人に感じた荘厳なイメージは間違っちゃいなかった。直視できなかった眩しさはひとかけらの淀みのない真光だったからだ。
こんな雄が地上にいてはダメだ、もってかれる、メスもオスも。ぜぇ――んぶっ、この人にもってかれるゾ、ぜぇ――んぶっこの人のものになっちゃうヨ!
今の俺だって!
そうよ、今の俺なんてただの海辺の巻き貝みたいにくるんくるんしてる、ただただオメメくるんくるんしてるだけ、そうだ、それでいい、それが正しい反応だろうよ。俺はタクミさんの横顔に超夢中、だが、
「あっくんは……リョウタと同じのをつけてるんだね」
と、ずっとくるんくるんしてはいられなくなった。
「あ……ハ」
は、は、は、バレてる?
バレたことないのに?
これも神の所業か!
神にはすべてお見通しだ、ひれ伏そう!
今まで誰の誰にもバレたことはない、同じのつけても体温が違うし体臭も違うから、時間がたっても香りは変わるからバレないよって、リョウタから聞いた。だからもらったんだ残りのを。んで、リョウタの言った通りその通り、今までバレたことなんてない、のに。
「プレゼントなの?」
ポセイドンが今当たり前な質問をなさっている。
「うん」
俺即答、ね。
なんなら食い気味に。したら、神がなにかの啓示をくださった。
「そう。リョウタと全然違ってるけど、あっくんのこの香り、この不安定な感じ、ソソるね」
ザザザ――ッざっぷぅ――んッ
すんげぇ大波が来ました、津波です、はい。
海神ポセイドンな?
すっごい海の雄が、地上の巻き貝にソソるっておっしゃったんだよ。これ、現実なの?
ソソるってなによ、俺のソソるって言語の意味と同じなのかな?
ああね、俺バカかな? そんなはずはあるまいよ。まさか、この世界の美しい顔10位の男が、カフェの凡々カメリエーレにソソるとかないわ、俺は巻き貝だよ、ただの。
はっ!
しかもそれなによ、不安定な感じって。
それは、もしや不釣り合いだという評価なのでは?
お、お?
ポセイドン神よ!
どうか巻き貝にも通じる言語でお話しくださいませ!
ああ、なんてことだ、俺の大学生活いったいナニしてんの、バイトに必死すぎて傾聴力も読解力の低下も甚だしいよ。
……んえ?
え?
え?
しかもしかもしかも、タクミさんは、さっきから俺の顔を見ていないんだけど……今も俺の顔を見ずにソソるとかおぬかしあそばしたわけ?
話していてタクミさんの話に夢中で気にしていなかったけれど、いつの間にかこんな近くに並んでいるし。俺首右、ずっと右側のタクミさんへ向けたまんまだったんだ。
なんだよこの聴かせるテクニック、なんだこの時間は、俺だけさっきからタクミさんのことしか見ていなかったなんて。
「ごめん。困らせたね」
はぅ。
俺はスコンと謝れる人が好きだ。
あっさりすっぽり、スコンって。
そう、言葉とこのタイミングも。
「大丈夫、気にしないで」
俺は演技するみたいにタクミさんに合わせて答えた。
スコンとね、気にしてないよ男らしくね、巻き貝だとて男らしくさっぱり答えられるってとこ、見せなきゃってね。
あのさ、人って謝るときはなぜか饒舌にならない?
なんでだろうな、あれ。俺さ『ごめん』の一言をああでもないこうでもないと膨らませたりする人のことが残念で嫌いなんだ。いや、がっかりしちゃって萎えちゃう感じかな。男らしくないし、潔くないし、とにかくみっともないと感じるんだ。
ああね、これは同族嫌悪だ、きっと。
俺は、肝心な時にバシッと発言したり行動したりできないタイプだから、だからね、今のタクミさんみたいにさりげなくさっぱり謝れる人のことを尊敬するんだよ。
ちぇ、なんだよもう、ほんとタクミさんってなにもかもが好感度爆上がりじゃんか。
ふむ?
好感……度?
「さ、独り占めにしてるとリョウタがふてくされるから行こうか」
と、タクミさんが俺の肩を組んだ。
そう、組んだ。
その手の重さとアツさ、手のひらが俺の肩をまるっと掴んでほどよく食い込むタクミさんの指の圧が、怖いくらいに深い。
痛い?
ううん、痛いんじゃない……痺れる、痺れて……ちょっと、身が沈んでしまう感じ。
組まれた腕をほどく意味はない、そんな理由はないし、これはただのスキンシップだ。なのに、俺は向こうで俺らのことを見ているリョウタの視線に凄く困る。困ってしまってて、ただなんとなくこの腕をほどいた方がいいんじゃないかと感じてしまっている。
リョウタの唇は、歪んだ「へ」になってて、いつもみたいに右上がり気味なのに笑ってはないからだ。明らかにあの唇は異変を感じている形だし、間違いなくあの視線は、俺の左肩を見てるいからなんだ。
タクミさんは俺と肩を組んだままリョウタの元へ歩き出した、肩を掴んだままと言う方が正しいのかな、だってリョウタの目の前まで来たとき、明らかにタクミさんは俺の肩に触れている指に力を込めたから。
そして、
「う」
一瞬強く掴まれ怯みそうだった俺、絶妙な力加減だったタクミさんの指は俺の肩から離れると、
「リョウタはディオールが好きなの?」
と言いながら、今は自分の鼻先を仰ぐようなしぐさをしている。
何事もなかったように勝手に時間をすすめられた感覚がした、俺はまるで置いてけぼりの化石みたいに固まってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます