scene3ハーデス・カヲルとポセイドン・タクミはグル

 恐る恐る神々のおわすステージへ近づいた俺に、

「説明しなくてごめんよ。あっくんを自然に撮りたかったんだ」

と、俺のご主人様が豹変しました。

『ああ! なんて甘く優しい笑顔なんだ!』

そりゃそうよ、うちのNO1だよ、麗しき王子様なんだも、この笑顔そこが王子様の証、この姿こそが真の姿さ!

いやぁ、見飽きないわこの笑顔。伊達じゃないんだよな仁科くんの笑顔って。心から世界を祝福している笑顔なんだよ、ああ素晴らしい!

……ハ、なに言ってんだ、アツミ。

油断するんじゃないぞ、よく見てみろよ、お前のことをまだ見降ろしてんぞ、す、す、すっかりお前は飼い馴らされてしまっているだけだぞ!

うぇ――ん、こえ――こえ――。

この人を店の権力者にしたのは大正解だ、三村さん、初めてあなたの先見の明を称えるよ。リョウタと人気を二分しているのは確かだけど、ありとあらゆる采配は、全てNO1の仁科くんによるもの。

そういや、仁科くんはリョウタのことを判断が甘いと叱ったりする。

客との距離感のことで、何度かぶつかっていた二人。単純に賢さ、という点でリョウタは分が悪いと思った。野郎としての魅力でいうと圧倒的にリョウタが勝るのだろうけど、人を率いるには感情が優位に立つと面倒なことになることが多いからな。リョウタは義理人情に負けるタイプ、そういうところも俺には魅力なんだけど。

そして……これ、

「彼氏や旦那にするならどっち?」

みたいな女子が好む人気投票ランキング的には、彼氏感ではやはり絶対王者なリョウタ。

でも、仮に一生を共にして、夜ごと過ごすとなったらどうだろう?

仁科くんの洗練された細やかな視線と仕草。

何でも知っているよと言いたげなこの口元。

程いい距離感とムード作り、冷たくも熱すぎることもない、女子が憧れる大人の男性を感じさせるリード、そういう振る舞いが自然にできる仁科くん。しかもそういう振る舞いが、実際の若さに見合っているという不思議感、まるで絵本の王子様そのものだ。王子様が日毎夜毎、繊細に自分のことを扱ってくれるなんて、まさしく女子にとってのヘブンだろ。

そして、集団内での圧倒的な支配感を放つ能力だって、誰もこの仁科くんにはかなわない。雄である限り必須な支配欲とその実効性、ここで知る限り、ハーデス・カヲルこそがボスであるべき存在であり完全体であると言える。

それでも俺は断然リョウタ派だけどね……ってなにこれ、俺ごときが御品定め?

ああ、そうだった、飼い主様の変貌ぶりに俺はまた妙な考察へ突入しちゃっていたんだな。

「そ、そう」

はい、遅れ馳せながらこれが精いっぱいの返事です。

俺にはせいぜい『はいそうですか』って、その理由を受け取ることしかできないんだよ。だけどね、これくらいはできるよ、やっと見つけた質問していいはずの発言、

「でも、撮るってなにを?」

そうです、これです、ここはちゃんと質問しておこうね俺。

「言ったじゃないか、店のモデルだって」

と仁科くん。

うん、聞いた、しなさいって言われた。

だけどなんだろう……なにか足りなくない?

なにが足りないんだろうな……ふんわりしている内容だよ今のままじゃ。だけどそう思うけれど、じゃなにがわかんないのって言われるとピンとこない。そう、仁科くんの説明に足りないものなんてあるのかな、ないな……とそんな気になる。と、ここで、

「タクミさんとこの企画で月二回うちで生配信すんだって。そんときのメインキャストが満場一致でアツってことになったんだ」

と、リョウタがいつも通り説明してくれる。

ほぅ、すんげぇわかった、わかりやすすぎたよ、リョウタってアホな割に説明うまいな、肝心なことだけをしっかりとまとめてくれたね、無駄がなかったよ。

こういうところ、俺も見習わなくっちゃ、な。

……じゃ、ねぇわ!

「待ってよ! そんなことできない、無理だよ!」

そう息巻いた瞬時、

「ほらね、バカオリョウ!」

ギロリとハーデスがゼウスを睨んだ。

「うう、スマン」

全知全能の神が不甲斐なくうなだれている。

「あっくには余計な説明は不要だ。あっくんの魅力はこの純朴さにあるんだよ」

ハーデス・カヲルは声高らかに話しだす。

「だけど純朴なくせに、いやそれゆえなのかナゼだナゼだと真面目さと賢さが純朴な笑顔を台無しにして、挙げ句ちょっと面倒な子になってしまう、それを防ごうとしたのに……全く」

と、またもや流暢な日本語でズバババっと言ってくれる仁科くん。

そ、そう、そうな……の?

俺ってそんな感じなのね?

そんな風に思われてたんか、へ?

純朴ってなによ、そんな田舎者みたいな表現は辞めてくれる?

うち、いちおー芸術一家なんだよ、うちの両親泣いちゃうから、やめてよそういう表現は。あ、いや、待てよ。そういや母上が俺のことを都会に似合わないって言っていたっけ。まあね、うちはあの海なし県だから、田舎でも近いからって、上京して間もない時は何度も何度も来てくれた母上。俺が留守の時は「ポエム」の磯崎さんにまで置き土産をして、俺への言伝をお願いして帰ったり。あら、バディも組んだことないのに、俺の飼い主様はさすがだな、全部お見通しってわけなんだな。

でも、『面倒な子』だとか……言うの、ほんとやめてね?

ちょっと俺、割とちゃんと傷ついちゃったよ今……と、今の俺はリョウタよりうなだれてしまっている。

「まぁまぁいいじゃないかカヲル。あっくん、これからあっくんって呼ばせてね。私はね、あっくんさえよければここで働きながらでいいから、うちの事務所に所属してほしいんだよ、リョウタと一緒に」

ポセイドン・タクミが海の男らしく、サッパリとこの場を収めようとしている。

ゼウスが損ねたハーデスの不機嫌に手を差し伸べて、海原のさざ波を鎮めるみたいに穏やかに。すごいなこの人。ツンとしている仁科くんの隣で、みんなの前で、なにげに仁科くんのことを宥めることができるなんて。ハーデス・カヲルのご機嫌は今後この神に託すのが正解なのだな、承知!

てか、海の男ってなんだ、語彙力クズな!

それにしても。

ポセイドン・タクミさん、あなた、所詮ハーデス様とグルなんでしょ?

俺のいないところで勝手に決定したことを、あなたまでもが俺に押し付けていることには違いないのだけど?

海の男への憧れはあるが、俺にとってはあなただって怖れる存在だよ。うん、この直感は正しいはずだ。

そして俺はもう一人の神、リョウタの顔を見た。

「ワクワクすっぞ!」

どっかの玉集めてるヒーローみたいに純粋無垢、無敵の笑顔でこっちを見ているリョウタ。そりゃそうだ、ダンスやってんだ、リョウタにとってはいいチャンスだもんな。タクミさんはきっといろんなコネを持っているに違いないし、リョウタにとってはビッグチャンス、当然だ、リョウタは意気揚々としている。

けど、俺は?


ぃ……やだ。


絶対やだ、俺は人目に触れたくない。芸能界とかネットとかそんなところに出たくなんかない。だって、だって……さ、

「僕が君を護るから」

完全にうつむいてしまった俺の頭上から、神の啓示か?

護ってくれる?

ああ、これはまさしく神の恩寵……だ、というはずはない、なんで仁科くんがこんなことを言うの、俺はハッと顔をあげてハーデスの表情を注視。

「そうだよ、安心していいよ。カヲルはうちの実質のボスだから」

とポセイドン。

ンな?

この二人は何者なのよ。

「あ――だから、タクミさんとカヲルンは身内で二人で会社を立ち上げたんだ、ちなみにタクミさんは」

「もういいよ」

リョウタの丁寧な説明をバシッと切る仁科くん。

「リョウタはあっくんのことを、まだわかっていないみたいだね」

またもや叱られてしまうリョウタ。

やっぱり仁科くんにはかなわない、かわいそうなリョウタはツンと横向いて拗ねる、なにその顔、かわええやんけ!

そういや、ハーデスはゼウスとポセイドンの兄だったはずだ、ゼウスは三男、なんてことを今思い出す俺は、なにげなくタクミさんのことも見た。仁科くんとリョウタへ視線を向けて、長い腕と脚を持て余すように絡ませ、柱に背を預けて微笑むポセイドン・タクミは、あの頃と同じでただただ恰好いい。


タクミさんの舞台、実はちょっと興味があったんだ。

監督の演出もさることながら、タクミさんは当時世界の美しい顔10位に選ばれた男、公演は世界中からのオファーで六か国で上演されたほど。そのときに配布された予告映像が特に話題で、タクミさんのポセイドン姿のビジュアルがえげつないくらいに恰好よかった。

恰好良すぎて、なんかね、直視できなかった。歯がゆいというか……というか。

『同じ野郎なのになんだこの差は!』

って、自信喪失するのが怖くて見ていられなかったんだと思う。

野郎が思春期にアイドルやモデルに対して毛嫌いするのは、この敗北感が原因だよ、きっと。絶対に勝てないことが明白なところ、ビジュアルの敗北は既に八割は負けているのだと本能でわかるからだ。更に、その天然のビジュアルが錬磨されたときの威圧感、これで完全に打ちのめされることになる。

あんな胸板に成形するにはいったいどれほど努力が必要だっただろう、あの腕と背中とみぞおちの薄皮の内の筋肉、サプリやドリンクで無理やりに作った体じゃないことは素人にもわかった。上腕の無駄に盛り上がることのない筋がしなやかに膨らみ伸びる瞬間、悠々しく浮き立つ手の甲の血脈。

完全な自信喪失、これだよ。

『同じ野郎としてどうなの?』

という問いですら安っぽく情けなくなって、雄のプライドとセクシャリティへの不信感の狭間で、完全に俺の人格を傷つけた、あの頃の俺をこっぴどく傷つけた存在が、今目の前にいる。

いや?

俺のことを傷つけたのは、そんな比較対象にない神々しいまでの雄の存在と自分とを、同じステージに並べるという愚行に走った『自分自身』じゃないのか。

うう……嫌なことを思い出しちまったじゃないか、店へ戻ってくるまでは最高だったのにと、どうしようもなくへこむ俺へリョウタがバックハグ、

「あんま難しく考え込むなって、男だろ」

と言う。

またしてもリョウタの勘違い。そしてなんだ、この昭和レトロ調なセリフは。

慰めているつもりか?

……けど、リョウタの言う通りだ。

俺がいない間に始まっちゃったのは気に喰わないけれど、なにかが動き出すときってこんな感じだもんな。モデルなんてわからん、だがあの頃みたいにただただ知らん顔して誤魔化すのはもうやめよう。

お――っし!

俺も愛犬だ、いや番犬だ、ケルベロスだぜ!

やってやんよ、俺はお前らと並んでやるぜ!

みてろよ、ハーデス・カヲル!

そして、ポセイドン・タクミ!

お前もな、ゼウス・リョウタ!

俺はケルベロス・アツミだぞ!


って、なで俺だけ犬なの?

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