第2話 裏切りの解析(System Malfunction)
紫の残光
午前3時。静寂に包まれたワンルームマンションの空気は、精密機械の冷却ファンの音だけを微かに伝えている。
ベッドの横で、充電器に繋がれたトモヤの『ライフ・シンク』が、呼吸するように明滅していた。その色は、ミナが知る「安定」を示す琥珀色でも、「睡眠」を示す淡い青でもない。
禍々しい、妖艶な紫色。
それは、特定の相手と脳波を深く共鳴させ、高濃度の知的情動を共有している時にしか現れない「ディープ・シンク」のサインだった。
(……トモヤ、あなた今、誰と繋がっているの?)
隣で眠るトモヤの表情は、いつになく安らかだ。しかし、その夢の先には自分ではない「誰か」がいる。ミナの胸に、冷たい楔が打ち込まれたような感覚が走った。
彼女は音を立てずにベッドを抜け出し、キッチンカウンターに置いた自分のノートPCを開いた。工学部の特待生として、彼女が磨いてきたのは「他人のため」の技術だったが、今夜だけは、自分の「真実」を知るためにその牙を剥く。
トモヤは、自分のデバイスのセキュリティを完璧だと信じている。だが、彼は忘れている。そのデバイスの初期設定と、日々の最適化プログラムを組んでいたのは、他ならぬミナであることを。
「アクセス・認証……。管理者権限、バイパス」
ミナの指先が、流麗にキーボードを叩く。青白い画面の光が、彼女の無表情な瞳を照らし出した。
共有クラウドに潜む「不純物」
二人の生活は、すべて『ライフ・シンク』の共有クラウドにバックアップされていた。食事の記録、歩数、心拍数の変動。それらは「二人で一つの幸福」を築くためのデータのはずだった。
しかし、解析を進めるうちに、ミナは奇妙な「隠しディレクトリ」を発見する。トモヤが巧妙に階層の奥深くに隠蔽した、暗号化されたログデータ。
「……解析(デコード)開始」
数分後。画面に躍り出たのは、直視を拒みたくなるような「真実」の羅列だった。
そこには、ここ数ヶ月にわたるサオリ――ゼミの同期で、次世代AI理論の旗手と呼ばれる才女――との同期ログが、膨大な熱量を持って記録されていた。
【同期ログ:21:42 - 23:15】 対象:サオリ(ID: S-0992) 同期率:92%
(Over Resonance) キーワード:拡張知性、新世界の倫理、旧世代の淘汰 バイタル反応:快楽中枢の異常活性を確認。
ミナの指が止まる。 92%。 自分とトモヤが、三年かけて積み上げてきた最高値は78%だった。それを、彼はサオリと、いとも簡単に超えていた。
ログを読み進めるほどに、吐き気がこみ上げる。二人の会話は、もはや言語を必要としない「概念の交換」だった。彼らは、既存の倫理や感情を「ノイズ」と切り捨て、二人だけの高次元な世界で愛を語らっていた。
「レガシー」という名の烙印
解析の手は、トモヤが独自にカスタマイズしたAIの「自己学習リサーチ」へと及ぶ。 そこには、トモヤが自分の人生をどう定義しているかが、無機質なラベルで分類されていた。
トモヤのAIは、人間関係を「資産」として計算していた。
サオリ: 【次世代のパートナー】。知的高揚、社会的地位の向上、ライフ・アルゴリズム社へのパス。
ミナ: 【レガシー・システム(過去の遺産)】。
「レガシー……」
ミナは乾いた笑いをもらした。古い、使い古された、互換性のないシステム。それが、トモヤにとっての自分の正体だった。 さらに詳細なタグ付けには、こう記されていた。
『保守・管理コスト:低。情動的な安定に寄与。ただし、知的新陳代謝を阻害する要因。適時パージ(排除)を推奨』
彼は、ミナを人間として愛していたのではない。 ただの「便利なOS」として利用し、最新のハードウェア(サオリ)が見つかるまでの間、クラッシュしないようにメンテナンスしていただけだったのだ。
残酷なシミュレーション
最悪の発見は、最後に待っていた。 ライフ・アルゴリズム社の最終面接に向けた、トモヤ個人の「キャリア・プラン」という名のフォルダ。
そこにあったのは、『ミナの排除(パージ)に関する感情摩擦最小化シミュレーション』という実行ファイルだった。
トモヤはAIを使い、どうすればミナを「傷つけずに」ではなく、「自分(トモヤ)が恨まれずに、スムーズに」捨てられるかを、何百回も試行していたのだ。
パターンA: 内定決定後、多忙を理由に接触を80%削減。自然消滅を誘導。
パターンB: 「君の幸せのために、自分は高みへ行くべきではない」という自己犠牲的な嘘を用いた別離の提案。
パターンC(最適解): サオリとの関係を「公的」なものとし、ミナに「自分がいかにスペック不足であるか」を客観的数値で突きつけ、自発的な身振りを促す。
シミュレーションの結論には、ライフ・アルゴリズム社への入社当日に別れを告げるのが、トモヤの「社会的ブランディング」において最も効率的であると結論づけられていた。
「……あはは」
ミナの口から、掠れた声が漏れる。 涙は出なかった。ただ、脳の回路が焼き切れるような感覚。 自分が注いできた献身も、深夜に作った栄養管理メニューも、彼の指輪を磨いた指先も。すべては「効率的な廃棄」を待つための、無駄な時間だった。
トモヤは、ミナの「情」すらも、アルゴリズムの一部として利用していたのだ。
復讐のコード
「いいわ、トモヤ。そこまでシステムに依存したいなら……望み通りにしてあげる」
ミナの瞳から温度が消え、エンジニアとしての冷徹な光が宿る。 彼女はトモヤの『ライフ・シンク』のルート権限を掌握したまま、新しいプログラムを書き込み始めた。
それは、トモヤが信奉する「客観性」と「数値」を用いた、最も残酷な処刑台。
『誠実性の逆転回路(リバース・ロジック)』
トモヤが、面接で「自分がいかに優れたリーダーか」「いかに誠実か」を語ろうとする際、デバイスは彼の脳波の「欺瞞(嘘)」を即座に検知する。 そして、その嘘を修正するのではなく、「彼の深層心理にある本音」を、面接会場の全スピーカーと大型モニターに、AIの解析結果として強制出力するプログラム。
「あなたが大好きなAIの言葉よ。抗いようのない『客観的事実』として、世界に突きつけてあげる」
さらにミナは、自分のデバイスからトモヤとのリンクを物理的に切断するための「論理爆弾」をセットした。彼が破滅する瞬間に、ミナというバッファ(緩衝材)は完全に消失し、彼は剥き出しの醜悪な精神を晒すことになる。
作業が終わる頃、東の空が白み始めていた。 ミナはPCを閉じ、穏やかな表情でベッドに戻った。
偽りの朝
「……ん、おはよう、ミナ。今日もいい朝だね」
目を覚ましたトモヤが、いつもの「完璧な恋人」の笑顔で話しかけてくる。その首元には、ミナが仕込んだ呪いの指輪が、静かに、しかし確実に拍動していた。
「おはよう、トモヤ。今日の面接、きっとうまくいくわ。あなたの『本性』が、ちゃんと伝わるようにしておいたから」
「ありがとう。君がいてくれて、本当に良かった」
トモヤはミナを抱き寄せ、その肩に顔を埋める。 その瞬間、ミナは集音デバイス越しに、彼の指輪が発する微かなノイズを聞いた。サオリとの同期によって変質した、傲慢で冷え切った脳波の音。
ミナは微笑み返し、彼の背中を優しく叩いた。 それが、家畜を屠殺場へ送り出す飼い主のような慈悲であることに、天才を自称する男は最後まで気づかなかった。
▶▶▶
【作風:方向性思案中】
詠み専からの執筆の若輩者です。
これまで作品の拝読と我流イラスト生成がメインでした。
御意見:感想がの御指摘が閃きやヒントに繋がります。
宜しくお願いします。
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