鋼の指輪と、僕らの不一致

比絽斗

第1話 適正という名の冷えた夜

203X年、東京。大学生の恋愛において、「心」はもはや不確かなブラックボックスではなかった。


「ミナ、心拍数が110を超えているよ。少し交感神経が優位になりすぎだ。深呼吸して」


 夕食のテーブルで、倫也(トモヤ)が優しく微笑みながら言った。彼の指に嵌められたプラチナ色の指輪『ライフ・シンク』が、穏やかな正常を示す淡いブルーに発光している。


 ミナは、箸を止めた。

 目の前には、倫也の大好物だったはずのハンバーグが湯気を立てている。

「……トモヤ。今日は、私たちの3年目の記念日でしょ? 少しは、数字以外の話もしたいな」


 倫也は困ったように眉を下げた。

 その表情は、誰が見ても「思慮深く、愛に溢れた理想の彼氏」そのものだ。彼は学内でも『次世代の倫理リーダー』として知られ、SNSでは「パートナーのバイタルを尊重する、新しい愛の形」を提言して数万のフォロワーを持っている。


「もちろん、僕だって君を愛しているよ。でも、ミナ。愛しているからこそ、僕は君のログを汚したくないんだ。今の君のホルモンバランスでこれ以上の脂質を摂取するのは、明日の集中力低下に直結する。指輪の推奨値を見てごらん」


 倫也が自分のスマートフォンを操作し、ホログラムを表示させる。そこには、ミナの体調を解析した無機質なグラフが浮かんでいた。


「今日はもう寝よう。僕も明日は大手テック企業のインターン選考がある。脳を『最適化』しておかないといけない。……ああ、それから」


 倫也は立ち上がり、ミナの髪を優しく撫でた。その指先は温かいのに、ミナには氷のように冷たく感じられた。


「今夜は、指輪を『スリープモード』で同期させたままにして。君が隣で寝てくれるだけで、僕の深い睡眠の質は5%向上するんだ。君は僕にとって、最高のリラックス・デバイスだよ」


「……デバイス」


 ミナが呟いた言葉は、倫也には届かなかった。彼は既に、VRゴーグルを装着し、意識を「効率的な休息」へと切り替えていたからだ。


 深夜 隣で規則正しく呼吸する倫也の指先で、指輪が怪しく明滅した。

 ミナは眠れぬまま、倫也が共有を許可している「表向きのログ」を眺めていた。しかし、ふとした違和感に指が止まる。


 彼の心拍数が、時折、異常なほど跳ね上がっている時間帯がある。

 それも、彼が「図書館で集中モードに入っている」と主張していた深夜2時だ。


 ミナは、工学部の授業で習ったばかりのバックドアを使い、彼がひた隠しにしている『プライベート・思考ログ』の断片を覗き見た。


 そこには、聖者の仮面を剥ぎ取った、化け物の思考が羅列されていた。


【2:14 AM ログ】

 被験体(ミナ)の感情的反応を確認。

 非合理的。

 3年前のモデル(付き合い始め)からアップデートが止まっている。

 知的興奮指数:0.02。

 卒業までの維持コストと、損切りのタイミングを計算。

 サオリとのシンク(同期)は、これに比べてなんと生産的か。

 彼女の脳波は、僕をより高みへと最適化してくれる。

 インターン合格後、ミナを「円満に」パージする手順のシミュレーションを開始。


 ミナの指が震えた。

  倫也にとって、ミナは愛する恋人ではなく、ただの「睡眠の質を上げる重石」であり、時期が来れば捨てる「型落ちのパーツ」に過ぎなかったのだ。


 部屋の隅で、倫也のデバイスが静かに、そして邪悪な紫色の光を放った。それは、彼が夢の中で、別の誰かと深く、生々しく「脳波」を重ね合わせている証拠だった。


 ミナの中で、何かが音を立てて砕け散った。 しかし、同時に、彼女の瞳からは涙が消えていた。工学部で培った冷徹なまでの論理性が、彼女の心拍数を急速に安定させていく。


(……わかったわ、トモヤ。あなたは『最適化』が好きなのね)


 ミナは暗闇の中で、静かに自分のラップトップを開いた。 青白い画面の光が、彼女の冷ややかな笑みを照らし出す。


(なら、あなたの人生を、私が最高の形で『デバッグ』してあげる)


 ミナの指先が、キーボードの上で「静かな焔」を灯すように動き始めた。


 ▶▶▶

【作風:方向性思案中】


 詠み専からの執筆の若輩者です。

 これまで作品の拝読と我流イラスト生成がメインでした。

 御意見:感想がの御指摘が閃きやヒントに繋がります。


  宜しくお願いします。

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