舞い降りた天使
二人とは二年生の途中、先輩たちが隠居した頃から体育系の部長会で顔を合わせるようになった。ちょっとしたことがあり話すようになって、ある日の帰りに三人でラーメンを食べに行った。
「将二あんまり詳しく教えてくれないからさ、安里ちゃんと仲良くなった経緯のこと」
将二の彼女のことも私はすぐに大好きになった。麻耶ちゃんは私立の女子校で吹奏楽部に入っている。中学校は隣だったが、市の陸上大会に出ていた将二を一目見て好きになり学校へ押しかけてきて交際を迫ったのだという。
フードコートで時間を潰していた。お茶しない?と連絡をくれたのは麻耶ちゃんだった。「将二も安里ちゃんに話があるんだって」とのことで将二の部活が終わるのを二人で待っている。
「ごめんね、私のプライバシーを尊重して話さないだけだと思う」
「あは、無理には聞かないから大丈夫だよ。将二そういう奴だし私安里ちゃん好きだから」
「私も麻耶ちゃん大好きだよ」
嬉しい、と私の手に触れる麻耶ちゃんの手は小さくて温かい。
「将二を初めて見た時にね、目の前がパッと明るくなったの。電気がついたみたいに」
そう話してくれた中学生の頃はお人形さんのように可愛かったが、高校生になってからは天使の如く美しい。
「ちゃんと話すから、聞いてくれる?」
「いいの?」
「うん、麻耶ちゃんには知っててほしい」
将二にますます惚れちゃうんだから。そんな軽口を叩こうかという時だった。
「遼太郎っているじゃん?サッカー部の」
知っている単語が聞こえてきて私も麻耶ちゃんも言葉を飲み込み、頭を低くする。声のした方には椅子に座って足を組み、スマホを見ながらマスカラを塗り直している女子高生がいた。同じ制服を着た男に話しかけているようだが、その割に目もくれていない。二人分のドリンクが載るトレイを持った彼は今やっと追いついて席に座るところだった。どちらもうちの制服だ。
「知ってる人?」
顔を近づけた麻耶ちゃんが小さな声で言う。麻耶ちゃんはいい匂いがする。水はかぶってきたけれど、私はきっと汗臭い。
「遼太郎に最初に好きって言った子」
「化粧キツイね」
確か杉野さんという名前だった。私たちは耳を澄ませるが、そんな必要はないくらい杉野さんの声は大きい。品があるとは言えなかった。
「あいつ整形なんだって」
麻耶ちゃんと顔を見合わせた。
「二重にしたんだってよ」
「はぁ?マジで?」
「マジで、自分で言ってたもん」
杉野さんと一緒にいる男も見たことがある。派手なだけの目立ちたがり屋で、いつもつまらないことではしゃいでいる男だ。そいつが吐き捨てるように言い放った。
「キッショ」
共感を得たことで、以前よりも派手になった杉野さんは満足そうだ。
「顔だけのくせに作り物って」
「ださすぎ」
「ウケるでしょ」
「安里ちゃん」
おい、ふざけんな。
ふざけんなよ。
自分が席を立っていることに気が付いたのは、笑っていた二人が口を開けて私を見上げていたからだ。
思わず杉野さんの襟首に腕が伸びていた。
県大会の前に部活辞めるコースかな、これ。授業料はどうなるだろう。それどころか推薦枠で退部すれば退学だったかもしれない。
まあいいか、ゆっくり考えよう。部活も学校も辞めたら時間はいくらでもできる。
「っざけんなよ!」
「きゃあ!」
自分の声の低さに笑いが込み上げた。杉野さんも立ち上がって後ずさる。トレイごとコーヒーがひっくり返った。
「何すんだよ、このデカ女!」
だらしなく開けた胸ぐらに手が届きかけた。掴んでどうしようっていうのだろう?教えてやるのだ。おまえらなんかに何が解る。
「やめろチンピラ」
腕を押さえられて声の主を見上げた。将二が人を睨むのを見たのはこれが初めてだ。
「おまえらに何が」
将二が私の前に立ちはだかって言いかけるが、更にその横を麻耶ちゃんがスタスタと進んでいった。そして鼻先が触れ合ってしまうのではないかと心配になるほど杉野さんに顔を近づける。杉野さんも今度は何も言えないでいた。
「ぶっさ」
大勢が見守る中、麻耶ちゃんの声はよく通った。クスクス笑い声があがる。それから麻耶ちゃんは連れの男をジーっと見つめたかと思うと、盛大に鼻で笑った。
「お似合いじゃない」
麻耶ちゃんから微笑みかけられた杉野さんは叫んだ。
「こんな男が本命なわけないじゃない!」などと大声で言うもんだから、連れの男がほんの少しだけ気の毒になる。
「あら、そう。お似合いよ?」
「やめてよ!」
「行こう安里ちゃん。ブスって
麻耶ちゃんは私の手を握って歩き出した。杉野さんは顔を真っ赤にしてぎゃあぎゃあ騒いでいる。
「麻耶ちゃん」
ごめんね、ありがとう。そう思って麻耶ちゃんの方を見ると目が合った。片目を細めた顔が悪戯に満ちていて色っぽくて。改めて杉野さんなんか、私なんか到底敵わないと完膚なきまでに知らしめられる。こんなの私だって惚れちゃうよ。将二は幸せだ。遼太郎にもこんな素敵な彼女ができますように。
「遼太郎があんな女と付き合わなくてよかった」
私は呟いた。
「それは大丈夫だよ」
エスカレーターの一段下から麻耶ちゃんが、私の更に一段後ろにいる将二に「ねっ?」と同意を求める。すると将二も頷いた。
「あいつ好きな女いるもんな」
「あ、そうなんだ?」
知らなかった。いい人だといいな。その人と上手くいきますように。
私が手を合わせている間も麻耶ちゃんと将二は私を挟んで見つめ合っていた。なんで私、間に立っちゃったんだろ。
「安里、橋本って知ってるか?俺の後輩で」
「知らねえ」
サーモンピンクの夕暮れの下、三人で電車を待っていた。乗ってしまえば家までは二駅だ。自転車でも通える距離だが今の季節は厳しい。
「あれ、どっかで聞いたことあるかも。高橋?」
「橋本って言わなかった?」
「どっちかっつうと橋本がな、安里に興味があるみたいだぞ」
「・・・珍獣的な?」
「仲良くなりたいんだろうよ」
私は身構える。二人もそれを察知したようだった。理由を知らない麻耶ちゃんが不思議そうに将二の顔を見る。
もう二度とあんな怖い目には遭いたくないぞ。思い出すのは中学二年生が終わる頃のことだ。
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