その時は知らなかった
異性から付き合ってほしいと言われて断ったことが一度だけある。話したことも無いし、人伝に言われたので顔も見たことが無い先輩だった。後から知ったことだが不登校だったらしい。
「自分は武闘派で、強い女が好き」というようなことを電話で言われて再度お断りした。それが何故だかお付き合いしているという噂が流れていたらしい。そもそも何処で番号を調べたのか電話はかかってくるし、休みの日には家の前にまで来ることがあった。今は憶えていないが、その時に初めて顔を見た。
申し込んだら返事の否応は関係なく“付き合っている”という認識になる人間が存在すると理解した時には震えた。怖くて堪らなかった。更には素行が良くないと有名な人だったそうで、事実ではなくてもそんな人間と付き合っているという疑いを持たれ、友人は私から離れていった。手遅れになってから知ったことだった。
「自分の姉がその人と同級なのだが、その人はやめた方がいい」
他のクラスの女子が親切にそう忠告しにきてくれて知った。詳しく話を聞きたかったが彼女は逃げるように立ち去ってしまったのだった。私とも関わり合いになりたくなかったのだろう。付き纏われるだけでも厄介だというのに相手のよろしくない素性を知ったことでますます気が重くなった。
それはある土曜日のことで、期末テストの直前で部活は休みだった。また家の前に来ると思うと怖くて図書館へ行くことにした。かといって家を空けている時に家族に何かがあったら、と考えるとやはり怖い。
そっと玄関のドアを開けた。午前中であった為か家の前に人影はない。門の中に入って来るようなことは無かったが、家の前にいることが恐ろしい。時々後ろを振り返りながら速足で図書館へ向かう道すがら、遼太郎と将二に会った。二人は小学校から一緒だったらしく、仲が良いのはなんとなく知っていた。羨ましいとも思っていた。私にはそんな友人はいなかったから。いたと思っていたけれど気付けばいなくなっていた。二人とは会議のことで言葉を交わすようになった程度の仲だった。
「どうしたんだよ」
遼太郎が神妙な面持ちで聞いてきた。私は「おはよう」と言っただけなのに、あいつの日に焼けた眉間には皺が寄っていた。
「大丈夫か」
将二の手が肩に触れた瞬間に涙が溢れた。怖い。寂しい。悲しい。誰もわかってくれない。聞き入れてすらもらえない。それらが溢れ出した。事情を聞いてくれようと言葉を掛けられたのは初めてだ。誰も私の言い分なんか聞かずに遠ざかってしまった。
陽射しに背中を包まれたみたいに温かかくて何故だか我慢できなくなった。泣いたりしたのなんか何年ぶりだっただろう。友達が少しずつ離れていくようになった。自分がどんなに気を付けても離れていく人は絶えなくて、ならば誰が離れていっても、独りになっても私は強く在らねばならないと決めていたから。
だから、誰かの優しさで心がこんなにも容易く折れてしまうものだなんて知らなかった。私はしばらく涙を止めることができなくて二人を困らせてしまったと思う。ごめんね、なんでもないの。私がおかしいの。ごめん。ごめんなさい。そう言葉に出すのが精一杯だった。
「話せよ、大丈夫だから」
「そうだよ、吐き出しちまえ」
公園のベンチは半円形で、二人は私を挟んで座った。見知らぬ相手からの身に覚えのない好意、独り歩きする嘘の情報、家を訪問される恐怖。家族に被害でもあれば――――私が不安だったことを二人は茶化さずに聞いてくれた。
「でも、もう大丈夫だぞ」
「全然なんとかなるからな」
自信満々な二人の言葉に何の根拠も感じられなかったのが面白くて笑ってしまって、二人も笑った。根拠が無くたって私は充分に救われた。それから三人で図書館―――――はやめて、会話もできる学習室へ行き期末テストの勉強をした。
私は社会科ができなくて歴史は全て数字で暗記した。地理はそれも通用せずお手上げだった。遼太郎は漢字が全然できなくて将二は英語がさっぱりだった。三人で足りない部分を補い合って消耗してくたびれて、ラーメンを食べて帰った。家の前まで送ってもらった時には既に帰ったのか、今日は来なかったのか某先輩の姿は無い。家の電気もついている。
「今日は、ありがとう」
安心したらまた泣きそうになる。頭に触れた遼太郎の手が頼もしくてこっそり涙がこぼれた。春の未だ遠い夕方で暗くなっていたから気が付かれなかったと思う。濡れた頬に触れる風が冷たかった。
「またラーメン食いに行こうぜ」
「何かあったら言えよな、絶対」
「・・・・・うん。ありがとう」
私は心強い友人を二人も得て、それでいいと思った。その心強さだけでどんなに頼もしかったことか知れないのに、だが事態は一週間を待たずに好転した。
「だから大丈夫だって言っただろ」
サッカー部の遼太郎とバスケ部の将二は先輩にも後輩にも声をかけて、集まる限りの手勢を率いて件の先輩宅へ隔日で交互に訪れたそうだ。担任から呼び出されて聞いた話だ。某先輩(名前は失念した)はすぐに恐れを成して根をあげた。もう家に来ないでほしいと先輩の母親から電話があったそうだ。いや、来てたのそっちだから。
「気が付かなくて申し訳なかった」と薄くなった
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