第七話

 五月某日。

 空は憎らしいほどに晴れ渡り、人工的に調整された微風がキャンパスを吹き抜けている。


 私立藤が丘高等学校の1年生全員が強制参加させられる『藤が丘ツアー』の朝がやってきた。

 このツアーの名目は「新入生への施設案内」だが、その実態は違う。


 この学園がいかに高度に管理され、いかに逃げ場がなく、そしていかに**「金(SP)こそが正義」**であるかを、我々新入生の骨の髄まで理解させるための洗礼(イニシエーション)だ。


 午前八時。第一体育館前広場。

 頭上を覆うのは青空ではなく、無数の監視ドローンだ。ブゥゥン……という低い羽音が、まるで巨大な蜂の群れのように降り注ぐ。


 約六〇〇人の一年生が、軍隊のように整列させられていた。私語はない。SA(Student App)が『集会中の私語:雑談税10SP』を徴収すると警告しているからだ。

 その中心、全校生徒を見下ろす一段高い特設ステージに、彼女はいた。


「皆さん、おはようございます。生徒会長の天川麗奈です」


 高性能スピーカーを通し、鈴を転がすような、しかし絶対的な響きを持った声が広場を支配する。

 朝日に照らされた美しい黒髪。制服の着こなし一ミリに至るまで計算された完璧な立ち姿。


 彼女は、まさにこの学園の絶対的な存在だった。


「本日は『藤が丘ツアー』にご参加いただき、ありがとうございます。このツアーでは、本校が誇る最先端施設を巡り、AIと共存する理想的な学園生活を体感していただきます。安全、安心、そして効率。それら全てが約束されたこの環境で、皆さんが充実した一日を過ごされることを願っております」


 完璧な挨拶。一切の隙がない。

 私の隣で、親友の瑠衣が「まぶしー」とわざとらしく手をかざしている。

 麗奈の隣には、副会長の美月先輩をはじめとする生徒会役員たちが控えている。全員が偏差値と所持SPの高そうなエリートオーラを放っており、不用意に近づけば「空気清浄代」とか請求されそうだ。


「それでは、有意義なツアーにしましょう。生徒会一同、皆さんの安全と快適な見学をサポートいたします」


 麗奈は優雅に一礼した。

 その瞬間、彼女の視線がほんの一瞬だけ、六〇〇人の群衆の中から私を捉えたような気がした。


 最初の目的地は、学園の北エリアに広がる『AI管理農園』だ。

 私たちはクラスごとに、運転席のない不気味な『完全自動運転バス』に詰め込まれた。


『ピロン♪ 皆さん、こんにちは。私はAIバスガイドの「フジコ」です。本日はドナドナ……失礼、藤が丘ツアーへようこそ』


 車内スピーカーから流れる合成音声のジョークに、誰も笑わない。いや、笑うと「感情労働への対価」が発生しかねないから笑えないのだ。

 バスは滑らかに発進し、広大な敷地を走る。窓の外には、手入れされすぎた並木道が流れていく。


『まもなく到着する「AI管理農園」では、土壌の栄養から日照時間、果実の糖度に至るまで、全てAIが完璧に管理しています。農民の汗と涙は不要。必要なのはデータと電力、そして予算だけです』


 到着した巨大なガラス温室は、まるで半導体工場のようだった。

 中に入ると、そこには土の匂いが一切しなかった。

 空中に吊るされたパイプから栄養液が滴り、トマトやイチゴが工業製品のように均等な間隔で実っている。


「うわぁ……なんか、野菜に元気がないっていうか、行儀良すぎない?」


 瑠衣が小声で耳打ちしてくる。


「愛がないんだよ、愛が。全部数値化されてるからね」

「ひなちん、それ生産者の前で言ったら消されるよ」

「でもこの場合の生産者って、誰になるんだろうね?」


 私が肩をすくめていると、ふと視線を感じた。

 少し離れた場所、ガラスの向こう側で、麗奈が他のクラスに説明をしている。


「こちらの施設では、年間を通じて安定した収穫が可能です。気候変動の影響を受けることなく、計画的な生産体制を維持しております」


 麗奈の説明は淀みなく、完璧だ。

 だが、その視線は説明している生徒たちではなく、ガラスの向こう側――私の方を向いている。


 目が合った瞬間、ポケットの中のスマホが短く震えた。

『SA警告:特定個人との持続的な視線接触を確認。好意レベル測定中……』


 ひっ。 やめて、見るだけで課金しないで。

 私が慌てて目を逸らすと、麗奈は何事もなかったかのように、また優雅に説明を続けた。

 でも、その口元に浮かんだ微笑みは、いつもより少しだけ柔らかかった気がする。


「……ねえひなちん。生徒会長、説明と全然違う方向見てなかった?」


 瑠衣が怪訝そうに言う。


「気のせいだよ。きっとあの高級そうなメロンを見てたんだよ 」


 バスは次なる目的地、『AI食品工場』へ。

 ここでは、先ほどの農園で収穫されたであろう作物が加工されている。

 ガラス張りの見学通路から下を見下ろすと、数百本のロボットアームが高速でパン生地を捏ね、焼き上げ、包装していた。人間は一人もいない。


『ここでは24時間体制で食料を生産しています。衛生管理は完璧。髪の毛一本の混入も許しません』


 フジコの説明は続く。

『ちなみに、この「藤が丘プレミアムあんぱん」の原価は1個10SPですが、購買部では150SPで販売しています。差額はシステム維持費および、学園の運営費に充てられます』


 AIガイドがサラッとえげつない搾取構造を暴露した。


 通路がざわつく。「暴利じゃん」「俺ら、搾取されてる……」


「人間、いらなくなっちゃうんじゃない?」


 瑠衣がガラスに張り付きながら、不安そうに呟く。


「大丈夫だよ瑠衣。そのパンを食べて、労働して、SPを払う『消費者』としての役割は人間にしかできないから」

「ひなちん、たまに真顔で怖いこと言うよね」


 瑠衣が苦笑した、その時だ。

 

 まただ。あの感覚。

 振り返ると、工場の視察エリア(関係者以外立入禁止)に、麗奈が立っていた。

 彼女は工場長らしき人物と何か話しているが、その視線はガラス越しにこちらを向いている。


 麗奈は工場長に何か指示を出しながら、私の方を一瞬だけ見た。

 そして、ほんの僅かに――誰も気づかないほど僅かに――唇の端を上げた。

 ……今の、笑顔?

 いや、きっと工場長への社交辞令だ。そうに違いない。

 

 昼食の時間。

 私たちは学園内にある巨大な『ショッピングモール』に放り出された。

 ここは資本主義の縮図だ。ハイブランドのショップが並び、映画館やゲームセンターが口を開けて生徒のSPを飲み込もうと待ち構えている。


 持てる者はステーキを食らい、持たざる者は無料の給水機で腹を膨らませる。

 昨日のテスト満点ボーナスで15万SPの臨時収入がある私は、今日はちょっとリッチに振る舞うことにした。


「瑠衣、今日は私が出すよ。パスタセット行こう」

「マジ!? ひなちん太っ腹! 一生ついてく!」

「800SPのパスタで一生を売らないで」


 私たちはフードコートの席に着いた。

 周囲の喧騒に混じって食事を始めると、ふと視界の端に異質な空間が見えた。

 一般生徒が立ち入れない、VIPテラス席。

 そこに、麗奈がいた。


 彼女のテーブルには、白いクロスが敷かれ、専属シェフが運んできたフランス料理のフルコースが並んでいる。

 格差社会ここに極まれり。

 麗奈は優雅にナプキンを膝に置き、フォークとナイフを手に取った。


 だが、その視線は料理ではなく、下の階のフードコート――つまり、トマトソースのパスタを啜る私に向けられていた。

 彼女は一口だけ料理を口に運び、そして静かにフォークを置いた。

 その表情は完璧に整っている。でも、その瞳だけが、じっと私を追っている。


 ……食べづらい。

 ものすごく食べづらい。

 あんな高級フレンチを前にして、庶民のパスタ食事風景を鑑賞しないでほしい。


「ねぇ、ひなちん。やっぱり生徒会長、ひなちんのこと見てるよ」


 瑠衣が怪訝そうに言う。


「気のせいだって。生徒会長は全体を監督してるだけだよ」

「いや絶対ひなちんだけ見てるって!」

「そう、かな?」


 私はパスタを急いで口に詰め込んだ。

 (麗奈……そんなに見つめられたら、パスタの味がしないよ)

 会いたい気持ちはある。でも、彼女と関わると、私の平穏とSPがマッハで溶けるのだ。


 午後の最初の目的地は、『ドローン管理棟』。

 薄暗い格納庫の天井まで、無数のドローンが積み上げられている。赤いLEDランプが点滅し、まるで機械仕掛けの蜂の巣だ。


『これらのドローンは、校則違反者の確保や、不純異性交遊の物理的阻止に活躍しています。昨年度の撃墜実績は500件。カップルの手繋ぎを分断する「嫉妬カッター」も搭載済みです』


 物騒すぎる。

 私はドローンを睨みつけた。このドローンたちが、私と麗奈の間に割って入る邪魔者だ。


 ふと見ると、麗奈もまた、ドローンを見上げていた。

 彼女は生徒会メンバーと何か話しているが、その表情は冷たく、無機質だった。

 まるで、このシステム全体を値踏みしているような、そんな目だった。


 目が合う。

 麗奈は何事もなかったかのように、優雅に微笑んだ。

 その笑顔は完璧だった。でも、その瞳の奥に、何か暗い炎が揺らめいている気がした。


 ドクン。

 心臓が跳ねる。

 その瞬間、私のスマホがけたたましく鳴った。


『ピピッ! 警告:心拍数の急上昇を確認。恋愛カテゴリーC(熱狂)へ移行準備。毎分課金モードを起動します』


 私は慌てて自分の胸を叩いて心拍数を落ち着かせた。


「違う! これは恐怖。 恐怖だから!」


 AIに言い訳しながら、私は深呼吸を繰り返した。危ない、危ない。この学校では、ときめきすらも有料コンテンツなのだ。

 ツアーの締めくくりは『水族館』だった。


 巨大な水槽の中を、遺伝子改良された発光魚たちが泳いでいる。青白い光が揺らめき、幻想的だが、どこか作り物めいた美しさだ。

 薄暗い館内は、カップル……もとい、不純交遊予備軍たちの巣窟でもある。


「綺麗だね……」


 瑠衣が水槽に見入っている隙に、私は少し離れた場所へ移動した。

 人混みに疲れて、静かな場所に行きたかったのだ。

 クラゲの水槽の前で一息ついていると、背後から凛とした声がした。


「お楽しみいただけていますか?」


 振り返ると、そこには麗奈が立っていた。

 薄暗い照明の中で、彼女の瞳だけが妖しく輝いている。水槽の青い光が、彼女の黒髪をキラキラ照らしている。


「か、会長」

「ふふ、驚かせてしまってすみません。今、お一人ですか?」


 麗奈が一歩近づく。その動きは優雅で、一切の隙がない。

 すかさず私のポケットの中でスマホが震える。

 『警告:生徒会長(特権階級)との接近。会話コストは毎分50SPです』

 高い! 会話するだけでタクシーメーターみたいにお金がかかる!


「は、はい。友達とはぐれちゃって」

「そうですか。それでしたら、少しお話しさせていただいてもよろしいでしょうか」


 麗奈がさらに一歩近づく。高級な香水のいい匂いがした。


そして。

 『課金開始。チャリーン♪』

 ああ、私の15万SPが削られていく音。が聞こえた気がした。


「……少し、顔色が優れませんね。お疲れではありませんか?」


 麗奈の手が伸びてきて、私の頬に触れようとする。

 その指先が触れるか触れないかの距離で、スマホが激しく振動した。


 『警告:接触は別料金(500SP)です。承認しますか? YES / NO』


 私は反射的に半歩下がった。


「だ、大丈夫です! ちょっと人酔いしただけで!」


 麗奈の手が空を切る。彼女は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、寂しそうな表情を浮かべた。

 でも、すぐにいつもの完璧な笑顔に戻った。


「そうですか。……無理はなさらないでくださいね。何かございましたら、いつでも生徒会室にいらしてください」

「あ、ありがとうございます」

「それから……」


 麗奈が少しだけ声のトーンを落とした。

 その声は、誰にも聞こえないくらい小さかったけれど、私の心臓を大きく揺さぶった。


「……また、お話ししたいです。今度は、もう少し静かな場所で」


 その言葉の意味を考える間もなく、麗奈は優雅に一礼して去っていった。

 『会話終了。計150SPを徴収しました』


 たった3分でジュース一本分。銀座の高級クラブかここは。

 でも、不思議と惜しいとは思わなかった。

 胸の奥が熱い。これは、システムに課金されたせいだけじゃないはずだ。


「ひなちん……?」


 戻ってきた瑠衣が、私の顔を覗き込む。


「顔、赤いよ? 熱ある?」

「ううん、大丈夫。……ちょっと、いい買い物しちゃっただけ」

 

 その夜。寮の部屋。

 ベッドに転がりながら、私はスマホを操作していた。

 麗奈からのメッセージが届いている。


【麗奈:本日は、お話しできて嬉しかったです】

【麗奈:本来であれば、もう少しゆっくりお話したかったのですが、生徒会の仕事がありまして……なかなか思うようにいきません】


 丁寧な敬語。

 でも、その文面の奥に、何か熱いものが隠れている気がした。

 私は少し考えてから、返信を打つ。


【陽菜:お疲れ様です。また話しましょうね】

 

* * *


 一方、生徒会室。

 麗奈は、窓の外に広がる夜景を見下ろしながら、スマホを見つめていた。


「……陽菜」


 画面には、陽菜からの返信。

 たった一行のメッセージが、麗奈の胸を熱くさせる。


「会長、また宇佐美さんのメッセージですか?」


 美月が呆れたように言う。


「ええ。……彼女は、本当に素敵な方です」

「会長、顔が緩んでますよ」

「……失礼しました」


 麗奈は表情を引き締めた。

 でも、その瞳の奥には、誰にも消せない炎が燃えていた。

 

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