第五話


 放課後。

 私は約束の時間より少し早く、第一体育館の裏手に向かった。

 夕日が校舎をオレンジ色に染めている。


 体育館からは、バスケ部のボールをつく音と、シューズが擦れる音が聞こえてくる。

 裏手に回ると、そこには既に彼女がいた。

 非常階段の下。


 夕日を背負って立つ天川麗奈は、この世のものとは思えないほど美しかった。

 風が彼女の長い黒髪を揺らし、制服のスカートがふわりと翻る。


「……来てくれたんですね」


 麗奈が私に気づき、花が咲くように微笑んだ。

 その笑顔の破壊力に、私は一瞬、息を呑んだ。


「お待たせしました、会長」

「麗奈でいいです」

「え?」

「……いえ、なんでもありません」


 麗奈は少し顔を赤らめて、咳払いをした。

 そして、真剣な表情で私に向き直った。


「宇佐美さん。単刀直入に言います」

「は、はい」

「私、あなたのことが……気になって仕方がないんです」


 ドクン。

 心臓が大きく跳ねた。

 え、これって、まさか本当に?


「入学式のあの日から、あなたの顔が頭から離れません。勉強も手につかないし、生徒会の書類決裁もミスばかり……。これは、システムのエラーでしょうか?」


 麗奈が一歩、近づいてくる。

 彼女の瞳は潤んでいて、どこか切羽詰まったような色を帯びていた。


「あなたが今日言った通りです。気づいたら、そこにありました。この、胸の痛みが」


 麗奈の手が、ゆっくりと伸びてくる。

 私の頬に触れようとする、白くて綺麗な指先。

 距離はあと数センチ。

 彼女の吐息がかかるほどの距離。

 私の心拍数は限界突破していた。


 これは、恋? それとも吊り橋効果?

 分からないけど、彼女に触れられたいと、本能が叫んでいる。

 その時だった。


 ブォン!

 無粋なプロペラ音と共に、小型の監視ドローンが私たちの間に割り込んだ。

 赤いレーザー光が、麗奈の顔をスキャンする。


『警告:生徒会長・天川麗奈の生体反応に異常を検知!』

『心拍数:140オーバー! ドーパミン分泌量:危険域!』

『判定:重度の恋煩い(Love Sickness)』

『リスク回避措置:頭を冷やすための「冷却税」として、1,000 SP を徴収します』


「……」

 麗奈の手が空中でピタリと止まった。

 甘い雰囲気が一瞬で霧散した。

 さらに、私のポケットのスマホも震える。見ると、無慈悲な通知が。


『通知:天川麗奈からの「熱視線(高出力)」を受信しました』

『受信料として、宇佐美陽菜の口座から 50 SP 課金されました』

「受信料!?」


 私が思わずツッコミを入れると、麗奈は顔を真っ赤にしてドローンを睨みつけた。

 その表情は、羞恥と怒りが滲んでいた。


「うるさいですね……」


『警告:AIへの暴言及び公務執行妨害。追加ペナルティ 300 SP』


「お金なら払いますから、 あっちへ行ってください」


 麗奈はスマホを取り出し、画面をトントンと連打した。

 『課金:ドローン一時退去オプション(プレミアムプラン):5,000 SP』。


 チャリーン!

 小気味良い決済音と共に、ドローンは「まいどあり〜」と言わんばかりに上空へ退避していった。


「……会長。今、5000ポイント払いました?」

「はい、払いました」


 その顔は、夕日のせいだけじゃなく、耳まで真っ赤だ。


「……見苦しいところをお見せしました」

「いえ、あの、すごいですね……」

「宇佐美さん」


 麗奈は再び、私に向き直った。

 今度は、さっきよりも強い、決意に満ちた瞳で。


「私、友達があまりいないんです」


 あまりに唐突な告白に、私は目をぱちくりさせた。

「えっ、そうなんですか?」

「もちろん、天川グループと懇意になりたいと思っている人達はたくさんいます。でもそれは友達とは違う」


 麗奈の声が、少し震えている。

 彼女は、自分の弱さをさらけ出していた。

 完璧な生徒会長の仮面を脱ぎ捨てて、ただの「天川麗奈」として、私と向き合おうとしている。


「あなたは、私のポイントにも、家柄にも興味を示さなかった。ただの『私』を見てくれた。それが、どれほど嬉しかったか……」


 麗奈の手が、今度こそ私の手に触れた。

 恐る恐る、壊れ物を扱うように。

 彼女の手は、とても熱かった。


「だから……私と、友達になってくれませんか? いえ、もっと……特別な……」


 麗奈が上目遣いで私を見つめる。

 その瞳は、捨てられた子犬のように不安げで、でも期待に満ちていて。

 可愛い。


 理屈抜きで、そう思ってしまった。

 私のスマホが『心拍数上昇:好意フラグ成立? 10 SP』と通知を出したが、私はそれを無視して、彼女の手を握り返した。


「……分かりました。私でよければ」

「本当ですか!?」

「はい。ただし」


 私は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「課金で解決するのは禁止です。ドローンを追い払うのに5000ポイントとか、金銭感覚バグりすぎですから」

「うっ……善処します」

「それと、私のことは『陽菜』って呼んでください。宇佐美さんって、なんか堅苦しいし」


 麗奈が目を見開いた。

 そして、世界が輝くような、満面の笑みを浮かべた。


「はい! じゃあ、私のことも『麗奈』って呼んでください」


 上目遣い。破壊力抜群。可愛いな、この人は。

 私の理性が音を立てて崩れ去る。


「うん、わかりました。えっと……麗奈。よろしく」

「はい、 陽菜!」


 麗奈は感極まったのか、勢いよく私に抱きついてきた。

 柔らかい感触と、甘い香りが全身を包む。

 彼女の心臓の音が、私の胸に直接響いてくる。


 ああ、なんて心地良いんだろう。

 そう思ったのも束の間。


 ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 上空から、さっきのドローンが戻ってきた。

 しかも、今度は3機に増えている。


『警告:濃厚接触! 濃厚接触!』

『判定:ハグ(友情の範疇を超えている可能性大)』

『計測:密着度120%、体温上昇、フェロモン値異常!』

『課金:双方から 青春税として500 SP 徴収します』


「もう、さっきお支払いしたばかりなのに……」

「あはは。麗奈、逃げよ」


 麗奈が顔を真っ赤にして叫ぶ。

 私は彼女の手を引いて、走り出した。

 夕暮れのキャンパスを、二人で走る。


 背後からドローンの警告音と、チャリンチャリンという課金音が追いかけてくるけれど、そんなことはどうでもよかった。

 繋いだ手の温もりだけが、この世界で唯一の真実だった。


 ドローンとの追いかけっこを振り切り、私たちが息を切らして立ち止まったのは、学生寮への分岐点だった。

 辺りはすっかり暗くなり、街灯がポツポツと灯り始めている。


「はぁ、はぁ……。ここまで来れば、大丈夫でしょうか」


 麗奈が胸元を押さえながら、乱れた呼吸を整えている。

 走ったせいで少し紅潮した頬と、乱れた黒髪が、妙に艶っぽい。

 繋いだままの手は、汗ばんでいるけれど、離したくなかった。


「多分、大丈夫だと思います。……あの、麗奈」

「はい?」

「手、離さなくていいの?」


 私が少し意地悪く聞くと、麗奈はハッとして自分の手元を見た。

 そして、パッと離すどころか、さらにギュッと握り返してきた。


「……もう少しだけ、このままでいさせてください。追加料金がかかっても構いませんから」


 上目遣いでそう言われて、断れるはずがない。

 私のスマホが『接触継続:1分ごとに10 SP』と通知を出しているが、私は画面を裏返してポケットに突っ込んだ。

 安いもんだ。


「……今日は、ありがとうございました。陽菜」


 麗奈が、私の名前を呼んだ。

 少し照れくさそうに、でも大切そうに。

 その響きが、私の胸の奥をくすぐる。


「こちらこそ。……また明日、会えますか?」

「もちろんです!」


 私たちは顔を見合わせて、クスッと笑った。

 別れ際、麗奈は名残惜しそうに何度も振り返りながら、生徒会専用の高級寮へと歩いていった。

 その背中を見送りながら、私は自分の唇が自然と緩んでいるのに気づいた。


(……やばいな、これ)


友達として好き? それとも、もっと違う感情?

分からない。でも、明日彼女に会えないなんて考えられない。


それだけは、確かだった。

 寮の自室に戻った私は、ベッドにダイブした。

 天井を見上げても、瞼を閉じても、麗奈の笑顔が浮かんでくる。

 重症だ。


 ポケットの中でスマホが、情けないくらい軽く震えた。

 SAの「本日の収支速報」だ。


『本日のSP収支(暫定):-560 SP』

『内訳:親愛行動(世話焼き)-10/熱視線受信料-50/青春税-500』

『※接触継続課金は、現在も計測中です』


「暫定って何。いや、計測中って何……」


 ふと、スマホの通知ランプが点滅しているのに気づいた。

 母からの定時連絡の催促だ。

 私は現実に引き戻され、重い体を起こしてメッセージアプリを開いた。


【陽菜:本日の観察報告です】

【陽菜:システムは正常に稼働中。学業・運動能力の評価アルゴリズムは非常に正確です】

【陽菜:しかし、本日の「ハイライト機能」については、プライバシー配慮の観点から改善を提案します。個人の思想信条を全校に晒すのは、精神的負荷が高すぎます(実体験)】


 送信ボタンを押そうとして、指が止まる。

 今日の出来事――麗奈との接触、ドローンの介入、そして私の感情の変化。

 これらも報告すべきだろうか?


 私は「モニター生」だ。システムの不具合や、生徒への影響を報告する義務がある。

 特に、あの過剰なまでの「恋愛課金」システムは、明らかに生徒の自由を阻害している。


 でも。

 麗奈とのことは、私だけの秘密にしておきたかった。

 これは「データ」じゃない。「思い出」だ。

 私は少し迷ってから、続きを打ち込んだ。


【陽菜:追伸。感情認識AIの感度が過敏すぎる傾向があります。友情と恋愛の境界線を、もっと繊細に判別できるよう調整が必要です】

【陽菜:あと、「青春税」というネーミングセンスはどうかと思います。返金を希望します】


 送信。

 すぐに既読がつき、母から返信が来た。


【母:報告ありがとう、陽菜。ハイライト機能については、表示のオプトアウト設定を検討するわね。ごめんなさい】

【母:感情認識の調整は難しいのよ。人間の感情は複雑だから。でも、陽菜の意見は参考にするわ】

【母:青春税は……ふふ、開発チームの遊び心ね。青春にはコストがかかるものよ】


 遊び心で私のSPを削らないでほしい。

 私はため息をつき、スマホを投げ出した。

 その時、別の通知音が鳴った。

 軽快で、可愛らしい音。

 画面を見ると、麗奈からのメッセージだった。


【麗奈:夜分遅くに失礼いたします。無事にお部屋に戻られましたか?】

【麗奈:今日は本当に、嬉しかったです。陽菜とお話しできて、お友達になれて】

【麗奈:スタンプ(うさぎがハートを抱きしめてゴロゴロしている)】


 文面は丁寧なのに、スタンプが激しい。

 そのギャップに、私は思わず枕に顔を埋めて足をバタバタさせた。

 可愛い。可愛すぎる。

 生徒会長の威厳はどこへ行った。


【陽菜:私も楽しかったよ。明日も学校で会えるの楽しみにしてます】


 送信すると、即座に既読がついた。

 そして、画面上で『入力中...』の文字が出たり消えたりを繰り返すこと数分。


【麗奈:はい、おやすみなさい】

【麗奈:スタンプ(うさぎが布団に入って、でも目がギンギンに冴えている)】


 私はスマホを胸に抱きしめた。

 窓の外、遠くに見える生徒会寮の最上階。

 あそこの明かりがまだついている。きっと彼女も、同じようにスマホを握りしめているのだろう。


「……おやすみ、麗奈」


 私は小さく呟いて、目を閉じた。

 明日が来るのが、こんなに楽しみなのは久しぶりだ。

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